7469234 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Category

Freepage List

Comments

aki@ Re:秋の神宮外苑、麻布、増上寺を歩く(その4):国立競技場-2(01/18) この様な書込大変失礼致します。日本も当…

Favorite Blog

蓮の花、カラスビシ… New! 隠居人はせじぃさん

山北町の寺社史蹟巡… New! オジン0523さん

【ONCA COFFEE ・ … Gママさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Headline News

Archives

Calendar

2015.02.13
XML
カテゴリ:国内旅行

 慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)の見学を終え、2連の長い下りエスカレーターを

乗り継ぎサン・ファン・バウティスタ号に向かう。

P1010185_R.JPG

下部のエスカレーターの横の壁には3.11大津波の到達レベルの表示が。 

ドック楝展示室は天井付近まで津波が来たためガラスなどが全て割れてしまい、

展示物の流失、流れ着いた瓦礫が室内に散乱するなどまさに壊滅状態になったと。

P1010186_R.JPGP1010186_R.JPG

復元船の基本資料と設計思想が説明されていた。

復元船の船体は、キール(竜骨)に肋骨材110本を並べ、外板を張っていると。

船体の断面は丸みを帯びており、波の衝撃に強くなっているのだ。

キールは26.06mで、ベイマツの角材を使用。肋骨材は宮城県志津川町(現南三陸町)産の

マツ1000本を切り、2本の角材をボルトと釘で接合したもの。

外板は、牡鹿半島のスギ1300本を伐採し、最大9センチ厚の板を蒸して曲げたもの。

船全体で使う木材は2239m3。約50坪の住宅64棟分に相当すると。 

P1010189_R.JPGP1010189_R.JPG

全長55.35m、船体長47.1m、高さ48.8mの巨大木造船。

大きくてカメラに入りきれない大きさ。

P1010190_R.JPGP1010190_R.JPG

マスト3本のうち最も高いのが、中央のメインマストで、「貞山公治家記録」に

「帆柱十六間三尺、松ノ木ナリ」とあり、当時の一間を六尺五寸とすると、32.43m。

材質がマツなのは、粘りがあり風に強いからと。メインマストは船艙のキールに固定。

復元船では上甲板の辺りが一番太く、直径90cm。頂部からさらに、2本目のマスト、

その上にフラッグポールを継ぎ、全体で48.80mに。材料はベイマツとのこと。

P1010197_R.JPGP1010197_R.JPG

東日本大震災によるサン・ファン館の地震被害はほとんどなかったのだと。

海沿いの施設のため津波被害が大きかった。10メートルを超える津波が押し寄せ、

サン・ファン・バウティスタ号は震災の津波ではほとんど破損しなかったが、

4月27日の台風の影響でメインマストとフォアマストが折れたのだと。

しかし、現在マストはどちらも直っており震災前の凛々しい姿に戻っているのだ。 

P1010200_R.JPGP1010200_R.JPG

津波に襲われた時の慶長使節船ミュージアム(サン・ファン館)から撮影した

生々しい写真も展示されていた。 

P1010201_R.JPGP1010201_R.JPG

復元船は、船尾楼・船きょう楼甲板、上層の遮浪甲板、中層の上甲板、下層の船艙と

5層構造(見れるのは4層)。

P1010204_R.JPGP1010204_R.JPG

見事なメインマスト。 

P1010208_R.JPGP1010208_R.JPG

入り口から内部見学開始。 

P1010209_R.JPGP1010209_R.JPG

大砲。

海賊などに襲われた時の為に24門積んで行ったと。

P1010214_R.JPGP1010214_R.JPG

この棒を左や右に倒して舵を取っていたのだ。

P1010215_R.JPGP1010215_R.JPG

船の後方にある、グレートキャビン。ルイス・ソテロの部屋で航海中の大切な

話を話し合ったのだと。机に座るセバスチャン・ビスカイノと隣には航海士。

サン・ファン・バウティスタ号は、仙台藩主伊達政宗により建造が命じられスペイン人提督

セバスチャン・ビスカイノの指導のもとに造られた日本製のガレオン船なのだ。

そしてその右には支倉常長。

P1010217_R.JPGP1010217_R.JPG

船腹には大砲が並んでいた。 

サン・ファン・バウティスタは軍艦ではないが、敵の軍艦や海賊船などの遭遇に備え、

このように大砲が積んだのだと。しかし、実際は危険には遭遇せず、アカプルコ入港の際に

祝砲を撃ったのみであったと。

P1010225_R.JPGP1010225_R.JPG

天井の低い船倉。 

P1010230_R.JPGP1010230_R.JPG

船尾の姿。 

P1010232_R.JPGP1010232_R.JPG

多くの荷物が船底に。

P1010233_R.JPGP1010233_R.JPG

船内での食事は、乾飯(ほしいい)といった乾物や漬物など、保存のきく食物が中心であったと。

寝転んで猫と戯れる人物の姿も。日本から乗り込んだ猫? 

P1010236_R.JPGP1010236_R.JPG

破れた帆の修理や交換用の新しい帆を作るのは大事な仕事。

日本人水夫はその技術が無かった為、スペイン水夫に教わりながら行ったのだと。 

P1010239_R.JPGP1010239_R.JPG

帆を張る為にロープで作った格子。 

P1010244_R.JPGP1010244_R.JPG

メインマストの最上部には日の丸がはためいていた。 

P1010245_R.JPGP1010245_R.JPG

遮浪甲板前部には乗組員の食事の調理をおこなう竈があり、 乗組員180人以上の

食事をこの竈で作っていたのだと。

P1010248_R.JPGP1010248_R.JPG

最前部の雄姿。 

P1010251_R.JPGP1010251_R.JPG

船首飾りは、伊達政宗が好んだという「阿吽(あうん)の竜」。 

P1010255_R.JPGP1010255_R.JPG

漸くサン・ファン・バウティスタ号全景がカメラに。 

P1010259_R.JPGP1010259_R.JPG

船尾に輝く伊達家の家紋・九曜紋。

P1010266_R.JPGP1010266_R.JPG

ローマ法王に謁見する支倉常長の姿がドック楝展示室の壁に。 

P1010267_R.JPGP1010267_R.JPG

仙台城を背景に、伊達政宗の命を受けた支倉常長の勇姿も。 

P1010268_R.JPGP1010268_R.JPG

支倉が渡欧している間に、日本国内では幕府が禁教令を出しキリシタンの弾圧を始めたため、

当初は布教に寛容な姿勢であった伊達政宗も藩内でキリシタン禁令を発し、取締りを強化

することになったのだ。すなわち、支倉が日本にいない間に状況が激変。

帰国後の支倉常長については詳細が判然としていないのだと。

帰国して2年後に失意のうちに亡くなったというのが定説だが、閑居して80代まで

ひっそりと生きたという異説もあると。

400年前の国際人であった支倉の生涯は遠く歴史の彼方へと消えていってしまったのだ。

なお、支倉が持ち帰った品々は国宝に指定され、仙台市博物館に所蔵されているとのこと。






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2018.02.19 15:04:21
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.