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カテゴリ:鎌倉市歴史散歩
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円覚寺の拝観を終え、県道を左手に進む。200メートルほど行くと右手に東慶寺があり、 さらに200メートル程真っ直ぐに進むと、横須賀線の踏切が見えて来た。 その50メートル程手前の右手に浄智寺への道が。 浄智寺 MAP。 浄智寺惣門(高麗門) 「寶所在近」の文字が掲げられた惣門。高麗門は2本の本柱の上に切妻の屋根をのせ、 本柱の後ろに控柱を立てて、両柱間に小さな切妻屋根を付けた形状の門。 その前の池には苔むした石の反橋がかかり、 その脇に鎌倉十井のひとつ「甘露ノ井」がある。 杉林に囲まれた参道は鬱蒼としていて、その先に鎌倉では珍しい唐様の鐘楼門(山門)が。 手前の鎌倉石の階段も美しく、すり減った鎌倉石が歴史を刻む古刹の佇まいをみせてくれていた。 入山のチケットを購入し浄智寺境内へ。 浄智寺は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院。臨済宗円覚寺派に属する。 鎌倉五山第4位。山号を金宝山(きんぽうざん)と称する。 中世から江戸時代にかけて「金宝山」と「金峰山」が混用されてきたと。 本尊は阿弥陀如来・釈迦如来・弥勒如来の三世仏で、それぞれ過去・現在・未来を象徴。 境内は「浄智寺境内」として国の史跡に指定されているのである。 2007年に再建された高麗門・鐘楼門は「山居幽勝」の額が掲げられ、花頭窓のある上層には 1649年(慶安2年)の梵鐘が吊るされている。 曇華殿(どんげでん)と呼ばれる仏殿。 本属は珍しく室町期作の木像三世仏坐像で県指定重要文化財。 向かって左から阿弥陀・釈迦・弥勒の各如来で、過去・現在・ 未来の時を代表しているのだと。 鎌倉地方に多い衣の裾を台座に長くたらした様式が見どころと。 鎌倉仏の特徴をよく表しているとのこと。 脇にも仏像が。 左が二祖国師・孤雲懐奘禅師真像?右は宗覚禅師像か? 曇華殿前の境内には散り落ちた銀杏の葉が一面に。 丸い石のオブジェは、世界平和の碑。 こちらの銀杏の老木にはまだ真っ黄色の葉が残り陽光を浴びて輝いていた。 陽光の当たり方でここまで落葉の時期が違うのか?人間も同じかとふと。 曇華殿裏の竹林。 寺の裏手には谷戸が広がり、鎌倉ならではのやぐらも見ることが出来た。
そしてやぐらの中には墓石が並んでいた。 かつて、水を貯めていた横井戸。 東慶寺奥の墓地の峰まで最短距離でトンネルを掘ろうとしたらしいのだと。 狸塚。 浄智寺に狸が三匹いるのだ。 田舎の宿屋や酒屋、一杯飲屋の店頭に置かれている「信楽」風の陶器。 大きな一体が親爺、一粒種の子供がその足下に一体そしてその前に母親が。 背後には穴が開いていて、此処が狸家族の棲家のよう。 ネット情報によると『浄智寺裏山には、タヌキやハクビシンが生息していて、時々、 車にはねられたりして死んでいる。そんな動物たちを葬ったのが狸塚。』と。 布袋様への参拝路の小さな素掘りトンネル。 素掘りのトンネル内の階段を上る。
陽光も射し込んで。
裏手には谷戸に江ノ島鎌倉七福神のひとり、愛嬌のある布袋尊が。 この布袋様は鎌倉七福神の一神。 参拝客に撫でられたお腹と胸は黒光り。そして私も布袋様のお腹を撫でて、その後 自らのお腹にも手を。しかし決して腹黒にはならぬようにと戒めつつ。 境内裏手の紅葉を暫し楽しむ。
そして珍しいものを発見。 三角カラーコーンには地蔵様の姿が。 調べてみると『2015年に行われた「鎌倉のお寺さんに地蔵コーンを寄進した~い」プロジェクト (http://iikuni-kamakura.jp/pj/IknT4514023)』活動の品と。 客殿から庭への眺めも絶景。 浄智寺の紅葉もこの週が見納めか。 棟門。 書院から出口に向かうところにある門。2本の柱と控え柱に屋根がのり扉の付いた棟門。 棟門前の渋柿。 扉に葵の紋が付いているが、どうやら家康公がちょくちょく旧鎌倉郡の野庭城~玉縄城周辺に 鷹狩に来た際に、浄智寺に山門を寄進したそうで、それ以来、葵紋の使用を許された のだと。 棟門前からの境内。
浄智寺は葛原岡ハイキングコース登山道への入り口となっていた。 鐘楼門を横目に裏山に進んで行く。
美しい淡いピンクのサザンカの花。
急な山道に差し掛かる前に見かけた大変趣のある門。 こちらは濃いピンクのサザンカの花。 葛原岡神社への標識。 木々の根っこが露出して、ここが階段の如き細い山道を上って行った。
更に急な坂道を上り終わり、今度は坂を下って行くと真っ黄色な銀杏の大木が 迎えてくれたのであった。
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Last updated
2022.05.19 14:59:49
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