|
カテゴリ:海外旅行
『シナイヤ僧院』の見学を終え、次の観光場所の『ペレシュ城』に向かって
フルニカ通りを徒歩で向かう。 ホテル『Vila Intim』の前の坂道の遊歩道を進む。 ![]() 霧雨の中、遊歩道を上って行く。 ![]() 振り返ると、先程観光した『大教会 Holy Trinity Church(Biserica Sfânta Treime)』の尖塔、 そして古い教会『聖母被昇天教会 THE DORMITION OF THE HOLY VIRGIN MARY SINAIA』を 囲む建物が、黄葉し雲に霞む山を背景に確認できた。 ![]() 遊歩道の両脇には一面に枯れ葉の絨毯が。 ![]() 木々の葉も雨に濡れて絶えずヒラヒラと。 ![]() 土産物屋。 ![]() 遊歩道にも濡れ落ち葉が一面に。滑らないように気をつけながら進む。 ![]() 山の地面の色が全く確認できないくらい一面に茶色の絨毯が敷き詰められて。 これぞ晩秋の光景。 ![]() 頭に被るのであろうか。ハロイン用か? ![]() 土産物屋が左手にズラッと並んでいた。衣類関係の土産が多く吊るされていた。 ![]() 『Valea Peleșului川』の流れが遊歩道の横に。 ![]() そして右手に見えて来たのが『ペレシュ城 Peleș Castle(Castelul Peleș)』。 ペレシュ城(ルーマニア語: Castelul Peleș)は、ルーマニア中部シナヤにある ドイツ・ルネッサンス様式の城。王室の夏の離宮として、初代国王カロル1世により建設された。 ルーマニアで最も壮麗な城とされ、部屋数は160以上あると。 ![]() 1875年から39年もの歳月をかけて造営され、1914年に完成した。 巨額の建設費を投じての豪華な離宮建設に、国民からは不満の声もあがったという。 カロル1世は、この城の完成から数カ月後に崩御した。現在、旧ルーマニア王室に所有権が 認められているが、旧王家の意向によって博物館として公開されており、絵画、絨毯、 武器や甲冑、伊万里焼を含む陶器などのコレクションがあり、また城自体にも グスタフ・クリムトの装飾画や木彫り装飾などが美しく施されているのだと。 ![]() 端正な塔に優美な壁画や彫刻、メルヘンチックな木組みの構造とが見事に融合した、 複雑かつ優雅な外観はため息もの。 進むにつれて角度によって多彩な表情を見せてくれる『ペレシュ城』は、見ていて全く 飽きることなし。 この後、正面から、斜めから、近くから、遠くから、さまざまな場所からその美しい姿を 楽しんだのであった。 ![]() 坂道の反対側の『Valea Peleșului川』の白き流れ。 ![]() 白き流れに枯れ葉が迷い込んで。 ![]() ズームで。 ![]() ファンタジー世界がそのまんま出て来そうなデザインに驚きと感動。 ![]() 遊歩道を登りながら『ペレシュ城』を追う。 ![]() ペレシュ城の時計塔を見る。 ![]() ペレシュ城手前、左手にあったレストラン『Bar Regal』&『La Tunuri』。 ![]() 店の前には大砲が飾られていた。 ![]() 『Castelul Peleș(ペレシュ城)』 見学案内板。 ![]() 『ペレシュ城』アクセスルート&付近案内板。 『ペレシュ城』とは道路の反対側にあった『Pelișor Castle ペリショール城』の見学は ツアーのコースに残念ながら含まれていなかった。 ![]() ネット情報・ウィキペディアに拠ると、美しい木組みが施された美しい城。 カロル1世が甥のフェルディナンドとその妻マリーのために建てた狩猟用の城であると。 ペレシュ城とは異なり、中世ドイツ風の木組みの美しい外観で、1902年に完成。 城の内部は、アールヌーヴォー調の家具や装飾が施され、豪華でありながらシンプルな造作。 調度品や絨毯、シャンデリア、室内デザインにいたるまで細かく指示したという 王妃マリーのセンスが、色濃く反映されているのだと。 ![]() 【https://en.wikipedia.org/wiki/Peli%C8%99or】より 『ペレシュ城』の姿の上空からの写真をこれもネットから。 ![]() 【https://livedoor.blogimg.jp/sue20-momo/imgs/1/8/180f68a3.jpg】 端正な塔に優美な壁画や彫刻、メルヘンチックな木組みの構造とが見事に融合した、 複雑かつ優雅な外観はため息もの。 ![]() ルーマニアの子供たちも遠足であろうか。 ![]() 美しい木組みの構造が向かって左翼の建物に。 ![]() 噴水が設置された城の前の庭園。そこには数々の彫刻が見事な姿で並んでいた。 ![]() ドイツ・ルネッサンス様式で建てられたこの城は施された多くの彫刻や噴水を用意した庭など、 年月をかけて建てられたこだわりが随所に感じられたのであった。 そしてカロル1世は、この城が完成して数カ月後に亡くなったのだと。 ![]() 彫刻像のそれぞれがとても豊かな表情をしており、ペレシュ城だけではなく、 個々の像をゆっくり見ていたかったのであったが。 ![]() 裸婦像、いや女神の姿であろうか? ![]() この城を作ったカロル1世の像と後ろに向かって右翼の建物。 ![]() 1839.4.20. ジークマリンゲンに生まれ、1914.10.10. シナイヤにて没す。 ルーマニア王国初代の王 (在位1881~1914) 。 ドイツのホーエンツォレルン=ジークマリンゲン家の出身。プロシア軍に任官。 従兄のナポレオン3世の仲介で,1866年ルーマニア公となり,81年ルーマニア王国の成立に伴い 初代国王に即位,内政改革,軍備拡張,産業振興に努力。しかし農民問題の解決を怠り, 1907年の大反乱を招いた。初め親ドイツ的傾向のため不人気であったが,ルーマニアの 国際的地位の向上,特にオスマン帝国からの独立に外交的手腕を発揮して支持を集めた。 自由党と保守党に交互に政権を担当させ,巧みに内政を操縦したが,結果として責任内閣制の 成立を遅らせることになった。 ![]() 『CAROL-1 PRIMUL REGE AL ROMANILOR 1866 1914』は 『カロル1世 ルーマニア初代国王 1866-1914』。 ![]() 『ペレシュ城』の奥の擁壁。 ![]() 擁壁手前の庭園への階段。 ![]() 城内は現在は博物館として公開され、各部屋に、カロル1世が集めた美術品や金銀、 中世の武器などを展示している。 クルミの木に彫刻を施したらせん階段や、黄金の漆喰装飾が美しい壁など、精巧な装飾は ため息がでるほどの美しさであるとガイドブックにあったが、我々のツアーに城内の 観光は含まれていなかったのであった。 『城内の様子』👈リンク を参照ください。 ![]() 城の前から前庭を見る。 ![]() 像も苔むして。 ![]() 多くの像が前庭に並ぶ。 ![]() 写真中央アーチが城内への入口のようであった。 ![]() ペレシュ城の時計塔。 ![]() 時計塔の上まで上れるのであろうか? ![]() 『ペレシュ城』前にも大砲とその下にライオン像が。 ![]() 敷地の入口の一段高い場所に置かれていた大砲。 ![]() レストラン『Bar Regal』&『La Tunuri』を再び。 ![]() 宿泊施設『Vila Economat』。 ![]() 美しい木組みの壁をズームで。 ![]() 束の間の自由時間に『ペレシュ城』手前の庭園を急ぎ足で周り、集合場所に戻ったのであった。 ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2019.12.09 06:42:11
コメント(0) | コメントを書く |