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JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.12.16
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カテゴリ:JINさんの農園
この日は12月9日(木)、今年・令和3年も晩秋の紅葉を愛でに、東京・世田谷区奥沢にある
「浄真寺(じょうしんじ)
を訪ねました。
この地にはサギ科のシラサギ(白鷺)とラン科のサギソウ(鷺草)にまつわる悲話が伝わります。
そのサギソウは世田谷区の花とされ、境内の「さぎ草園」では毎年8月上旬に多くの花を咲かせる
そうです。「シラサギ」とは、ほぼ全身が白いサギ類の総称であり、シラサギという名前のサギが
いるわけではないようです。
「浄真寺」の山号は九品山(くほんざん)で、九品仏(くほんぶつ)とは後ほど触れるように、
同寺に安置
されている9躰の阿弥陀如来坐像のことを言うのです。
最寄り駅は東急大井町線・九品仏駅。小田急線、田園都市線、東急大井町線を利用して
九品仏駅に。自宅を出て1時間15分ほどで九品仏駅に到着。



大井町線は5両編成で運転されるのに対し、ここ九品仏の駅のホームは4両分しかない。
そのため、最も溝の口寄りの車両はホームからはみ出るためドアが開かないので注意が
必要なのです。
「改札口」を振り返る。



そして「九品仏駅」から踏切を渡り徒歩2分程度で「浄真寺」の参道入口に到着。



右手に「浄真寺参道」と刻まれた石碑。
左手に「2014~2034年 浄真寺「平成令和九品佛大修繕事業」大勧進」と。



「九品佛参道界隈」案内。



「浄真寺」境内案内地図。



「浄真寺」のHPより「境内案内図」。



「総門」の切絵図。
絵の左下に書かれている「お面かぶり」とは、江戸の時代より3年ごとに、この寺で奉修される
「阿弥陀如来二十五菩薩来迎会」のことで、無形文化財に指定されているのだと。



「上野毛五島美術館一帯」切絵図。
五島美術館は、東京都世田谷区上野毛の閑静な住宅街の中にある私立(財団法人)の美術館。
国宝「源氏物語絵巻」をはじめとする数々の名品を所蔵する美術館として、展覧会を中心に
幅広い活動を展開している人気の美術館。



枯れ葉を踏みしめながら参道を進む。参道に朝の陽光が射し込む。



散歩の人の姿も。



「禁銃猟 警視廳」と刻まれた石碑が右側に。
背面には建てられた年が書かれていて、明治32年(1899年)と。
「この辺りでは銃を使っての猟は禁ずる」という警視庁が出した明治時代の告知であると。
当時のこの地域一帯はほとんど人が住んでおらず、雑木林ばかりの土地であった。
狩猟もやりやすかった時代。この石柱はそういった古い時代の名残なのであろう。
この後、境内にも同様な石碑が建っていた。



「2014年~2034年 浄真寺 「平成令和九品佛大修繕事業」大勧進」案内板。
九品仏の駅名にもなって親しまれる浄真寺は、上品上生仏より下品下生仏の
九品阿弥陀佛が奉安されております。
この度、元禄以来の大修繕を行うこととなりました。
未来に受け継ぐ、この大修繕事業に値遇を得ることは希代の勝縁と思し召し、大勧進に広く
皆様のご協賛を賜りたく存じます。
浄財を喜捨された方の芳名は、結縁交名帳に記録し九品佛像の壹座内に永代保存します。
詳しくは寺務所、龍護殿にございます趣意書をご覧頂ければ幸甚です。




前方に総門が見えて来た。
約200mの長さで参道には黒松を中心に植栽が行われている。
入り口の参道は「二河白道(にがびゃくどう)」を表しているのだと。
火の河と荒れ狂う河に挟まれた白い細い道、白道は浄土往生を願う信心の道で一心不乱に
念仏を
唱えて極楽浄土へ渡ろうということを意味していると。
樹齢30年以上の黒松の間に次世代を担う黒松の苗木を植樹し、それが成長しているのであった。



参道の中程の右側には九品仏広場という公園があり、参道と調和した雰囲気のいい子供達の
遊び場となっていた。
その先参道の左側には「参道の石碑群」の庚申塔や地蔵様が並んでいた。



中央に「奉寄進庚申供養塔」と刻まれた石碑が。



ズームして。



「庚申塔」と「石仏」。



そして「浄真寺 総門(山門)」前に到着。
九品山唯在念佛院浄真寺(くほんさんゆいざいねんぶついんじょうしんじ)は浄土宗寺院。
越後国村上泰叟寺の珂碩(かせき)上人を請うて延宝6年(1678)に創建されたものであると。
総門の柱の場所に厚い板に書かれている「九品佛浄真寺總門」。書体は新篆書体か?



「掲示板
火の用心
毎月七日午後一時
 開山忌 法要・法話・写経
十二月三十一日(金)
 除夜の鐘
 ※本年は開門致しません。
安産・厄除・各種祈願
寺務所・本堂にて受付中」



総門」に掲げられている扁額「般舟場(はんじゅじょう)」。
常に行道念仏して現前に諸仏を見奉る「般舟三昧」する道場であり、参拝者に願往生の心を
自然に
発さんが為に書かれたものであるとのこと。
「般舟三昧」とは浄土教で説く精神統一法。諸仏現前三昧,仏立 (ぶつりゅう) 三昧ともいう。
7日ないし 90日間この三昧を行えば現前に仏を見ることができるのだと。



「創建の由来
当山はひろく「九品仏」の名で親しまれているが、正式には「九品山唯在念仏院淨眞寺」といい、
浄土宗に属し、境内約12万m2( 3万6千坪)は往古の面影を保存する都内有数の風致地区である。
開山は江戸時代初期の高僧「珂磧(かせき)上人」で、四代将軍徳川家綱公の治世延宝6年
(1678)に、奧沢城跡であったこの地を賜り、浄土宗所依の経典である観無量寿経の説相によって
堂塔を配置し、この寺を創建された。「江戸名所図絵」に描かれている堂塔の配置と現状とは
ほとんど変わりはないが、昭和40年に本堂・仁王門とも茅葺を銅版葺に改修した。
※淨眞寺「縁起」:本堂札所にあります(有料)」



「九品佛道」と刻まれた石碑が「総門」右手奥に。



そして「総門」から境内に入ると、境内は朝の陽光と紅葉でオレンジ色の世界が拡がっていた。



そして「六地蔵」への小径の角の地蔵像群。



地蔵像群に近寄って。



そして「六地蔵」を正面から。



「六地蔵」の手前右側にあった石仏。



「六地蔵」から引き返す。



緑とのコラボも美しい。



紅葉のカオスの世界には言葉はいらない。







赤い帽子、赤い涎掛けの石仏を追う。



ここにも。



「総門」を振り返る。



そして「閻魔堂」前の「三途の川」。
人は死ぬと七日目には三途の川の辺に到着するそうです。
ここには、人が冥土に行く為には、渡らなければならない三つの川、「葬頭川(そうずがわ)」
「三瀬川(みつせかわ)」、「渡り川」があります。
川の流れは三つに分かれていて、前世の行為(業)にしたがって、それぞれにふさわしい流れを
渡ることになるそうです。
三途とは地獄・餓鬼・畜生の三悪道のことですが、この川の辺に上記の衣領樹 (えりょうじゅ)と
いう木があります。
木の下には「奪衣婆(だつえば)」という老婆がいて、木の上には「懸衣翁 (けんえおう)」
というお爺さんがのっています。
お婆さんが着ている衣類を脱がせ、木の上のお爺さんに渡し、木の枝に掛けると、その重みで
枝が垂れる。枝の垂れ方で生前の罪の軽重が分かる仕掛けです。
その「懸衣翁」と「奪衣婆」が、35日目の閻魔大王の裁判に陪席している ので、嘘の申告は
出来ないのだと。



「三途の川」に架かる石橋と「閻魔堂」。



朱の欄干の石の太鼓橋。



2019年8月に落慶した新「閻魔堂」。



入口には「わるいことはするな!」、「うそはつくな!」の幟が両脇に。



扁額「閻魔堂」。



中央に「閻魔大王」が鎮座。



お顔をズームして。



懸衣翁(けんねおう)。
「奪衣婆(だつえばぁ)」、「葬頭河婆(そうずかばぁ)」が剥ぎ取った衣類は、
懸衣翁(けんねおう)という老爺によって衣領樹(えりょうじゆ)にかけられる。
衣領樹に掛けた亡者の衣の重さにはその者の生前の業が現れ、その重さによって
枝の垂れ方が異なるので、亡者の生前の罪の重さを計る事により死後の処遇を決めるのだと。
罪の重い亡者は三途の川を渡る際、川の流れが速くて波が高く、深瀬になった場所を
渡るよう定められているため、衣はずぶ濡れになって重くなり、衣をかけた枝が
大きく垂れることで罪の深さが示されるのであると。また亡者が服を着ていない際は、
懸衣翁は衣の代わりに亡者の生皮を剥ぎ取るという恐ろしい話。奪衣婆は閻魔大王の
妻であるという説もあるのだと。
前回のブログにも書いたが、私の衣類は枝が大きく撓るのであろうか?



お顔をズームして。



「奪衣婆(だつえば)
三途川の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を
剥ぎ取る老婆の姿。奪衣婆(だつえば)、正塚婆(しょうづかのばば)、
姥神(うばがみ)、優婆尊(うばそん)とも言うのだと。



お顔をズームして。



さらに。



「延命地蔵」が乗っている江戸十夜講の「三界万霊塔」。
「三界万霊塔」とは、路傍や寺の入口、あるいは墓地によくみかけるもので、次のような意味を
持っている。三界とは仏教の言葉で、欲界(食欲、物欲、性欲の世界)、色界(物質の世界)、
無色界(欲も物もない世界)の三つの世界をいう。また、過去、現在、未来をいうこともある。
これらの世界の霊、この世の生きとし生けるものすべての霊をこの塔に宿らせて祀りするために
建てられた塔である。多くは寺の境内や墓地に建てられて、万霊の供養や無縁仏を供養するものと
されている。



移動して「三界万霊塔」を。



まだ葉を落としていない銀杏の木を。



そして「仁王門」に向かって進む。




                   ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2021.12.16 15:47:11
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