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JINさんの陽蜂農遠日記

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2023.01.20
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カテゴリ:国内旅行
そして「名胡桃城」の「本丸」に到着。
遺構は馬出し郭・三の郭・二の郭・堀切・本丸・ささ郭と主要な郭が北東に直線に並ぶ
連郭式の崖端城で、両側が切り立った天然の要害であった。



「本丸」中央に「六文銭」の幟が棚引いていた。
長さ50m、幅30mの本郭は当時もっと広かったと。



「名胡桃城」復元鳥瞰図を再び。



名胡桃城址之碑」が立つ。
本郭の中央に立つ「名胡桃城址之碑」。
石材は地元の富士山で採れた安山岩。
碑面の文字は徳富蘇峰(とくとみそほう)の揮毫(きごう)であると。



裏側には「大正十三年三月 建」??の文字が。



温故知新之碑
保存由来記
わが郷土の誇りである名胡桃城は天正の頃豊臣秀吉の旗下真田昌幸の所領であった。秀吉一代の
悲願である天下統一の最終段階に於て北条氏政と和睦を結ぶにあたり北関東において名胡桃城
だけは昌幸の領地としてされた。然る処氏政は私兵を以て当城を攻略した。秀吉の憤慨遂に
勅諚を仰ぎ小田原を亡し多年の宿望が完成せらるるに至った。此の様な由緒ある史蹟を保存
せんと大正十三年一月を期し内海文之助 高橋茂三郎両氏発起人となり城址保存會を設置し
以来地元有志の活動に依り地域を買収して公園と化し本丸には一大記念碑を建てて保存に専念して
今日に至った。
本年茲に保存會創立四十五周年と明治百年を迎えるにあたり之を記念して副碑を建立しその意義と
経圍とを後世に伝え史蹟の弥々全からん事を祈念するものである。
昭和四十三年四月二十日
保存會長 内海文之助 撰文併書」。



「本丸」の先の「笹郭(ささくるわ)」への階段を下る。
笹郭と本郭との間は幅約12m、深さ約6mの堀切で断ち切られ、幅1mほどの狭い土橋で
連結されていた と。現在は、階段が設けられて渡ることができるようになっていた。
堀切の向こう側に見えるのが「笹郭」。



その先に案内板。



笹廓(ささくるわ)」案内板。



「笹廓(ささくるわ)
ささ郭とは、域の主体になる本郭が外に対してむきだしにならないように設けた郭て、唯一
この城跡に残存する土塁を両側にもつ狭長な通路でした。ささ郭の先端側には袖郭と物見が続き、
尾根づたいに下方に通じていました。
ささ郭は長さ約31m幅約14mで、中央には約1 m掘り込んだ幅2 ~ 5mの通路があり、その両側を
1mほど盛り上げた土塁で挟んでいました。通路の先端には礎石が4個設置され、搦手門が
ありました。土塁の内側には、自然石を3 ~ 4段乱雑に積んだ石積みがみられます。
本郭との間は、幅約12m深さ約6mの堀切で区画され、幅1mほどの狭い土橋て連結されて
いました。
現在、礎石門址・通路・石積み・土橋などは、保存のため埋め戻されてみられません。また、
ささ郭堀切に設置した階段通路は当時の復元物ではありません。」。



「ささ廓(ささくるわ)」案内図。



写真右に発掘状況が。



「ささ廓復元想像図」。



「ささ郭」を越えると「袖郭」へ。



「袖郭」の先端にも「案内板」が。



「案内板」と「石祠」。
ささ郭から臨む三峰山
先端のささ郭からは北から南に流れる利根川とその向こう岸に三峰山を見ることができます。
また、三峰山の麓には真田に敵対していた北条方の明徳寺城も見えます と。



「案内板」には周辺の地図が描かれていた。



石祠の屋根の上にはお賽銭で作った「六文銭」が描かれていた。



5円硬貨、10円硬貨で描かれた「六文銭」。
私もやられていない、50円硬貨、100円硬貨で描こうとも思ったが・・・・・???
数不足で???



正面を。
笹郭先端からの見晴らしは非常によく、周囲に築かれた真田氏側と北条氏側の多くの城を
見渡すことが出来たのだと。
往時は笹郭先端には礎石が4個設置された搦手門があったが、現在、礎石門址・通路・石積み・
土橋などは保存のために埋め戻されていて見ることは出来なくなっているようであった。



ズームすると前方に国道17号から「月夜野IC」への誘導路が。



東方向を見る。利根川に架かる「月夜野大橋」が見えた。
袖郭の先端の崖下(比高10mほど)に物見台があったと。
本郭や笹郭の方が高い所にあるのだが、東方の山の尾根が邪魔をして沼田城が見えないので、
ここに物見櫓を建てて見張っていたとのこと。



そして引き返して「本廓」方向に。



紅葉の下に「四阿(あずまや)」が。



「みなかみ町」の街並みであっただろうか?



入口まで戻り振り返る。
名胡桃城址は、主郭部と外郭間を国道17号線で断ち切られていた。
城址名の大きな看板のすぐ向こうが丸馬出し。



「名胡桃城」の幟を再び。



「歴史を変えた名胡桃城」の幟の上部。
幸村くん、昌幸くん、信之くん、幸隆くん
幸隆くんの扱いが??・・・。



「名胡桃城址案内所」も再び。



「下野(しもつけ)」の花に似ていたが?



近づいて。



「名胡桃城 般若郭跡」の上に出来た駐車場。
駐車場は他の場所に造れなかったのか??



駐車場から「名胡桃城 」の「二廓堀切」方向を見る。




                               ・・・​もどる​・・・



                 ・・・​つづく​・・・





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Last updated  2023.01.20 07:41:30
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