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カテゴリ:JINさんの農園
「森山社」を後にして、県道207号線に向かって、葉山町一色の住宅街の道を進む。
![]() 「長雲閣こみち」。 長雲閣とは、総理大臣や陸軍大臣を歴任した、桂太郎氏の別荘のこと。 日露戦争の前後には、政府要人たちが度々会議に使用したそうです。 現在は、この小道に名前が残るのみ。 古い時代に想いを馳せつつ、さらに進みます。 ![]() 「長雲閣こみち」。 ![]() 県道沿いのレストランの塀に「桂太郎別荘・長雲閣跡」の案内が掛かっていた。が、 私が聞いた話では、県道から少々入った建物である。 下の写真は、「長雲閣こみち」と、中央に建物が写っているが、その建物が、数年前まで 桂太郎別荘とされていた。しかし地元歴史家よると、ここではなく、向かい側の建物が そうだと変更になったのだと。 ![]() 「桂太郎別荘跡」はここであっただろうか? 日露戦争前後には、政府要人による重要会議が別荘を中心に度々開かれている。 司馬遼太郎原作「坂の上の雲」でも「葉山会議」と称して登場している。 ![]() そして再び県道207号線に出て北上する。 左手にあったのが「神奈川県立近代美術館 葉山館」。 奥にあったのが屋外にある常設展示。 2003年の開館以来、一部作品の入れ替えや追加を経て、2016年に旧鎌倉館から移設された 9点が加わり、現在は彫刻20点が庭園に、壁画2点が建物内に常設されている。 葉山館のイラストマップ「彫刻はどこにいるの?」(館内無料配布)と一緒に、一色海岸に 臨んだ庭園を散策しながら野外彫刻を楽しんだのであった。 三浦郡葉山町一色2208−1。 ![]() 茶色の石材で。 ![]() 中島幹夫 NAKAJIMA Mikio 『軌 09 Orbit 09』 1966年 ![]() 館内では「吉田克郎展」が、開催されていた。 「吉田克朗展 -ものに、風景に、世界に触れる」 会期:2024年4月20日(土)〜6月30日(日)。 武蔵野美術大学の教授だった美術家、吉田克朗の全貌に迫る初めての回顧展と。 ![]() 吉田克朗『触“春に”V』。 これまでほとんど紹介されることのなかった作品や、さらに油彩から版画作品までを網羅し 展示していると。 ![]() 県道沿いには幟が立っていた。 ![]() 駐車場の横にあったアルミニウム&大理石の作品。 ![]() 清水九兵衛 KIYOMIZU Kyuubei 『BELT』 1978年 ![]() 駐車場から「神奈川県立近代美術館 葉山館」を見る。 ![]() ![]() 小田 襄 ODA Jo 『円柱の展開 Development of a Cylinder』 1983年 ![]() ![]() 李 禹煥 LEE Ufan 『項 Relatum』 1985年 ![]() 「神奈川県立近代美術館 葉山館」入口。 ![]() 若林 奮 『地表面の耐久性について』 ![]() ホセイン・ゴルバ Hossein GOLBA(1956~) 『愛の泉 Fountain of Love』 イラン出身のホセイン・ゴルバの作品『愛の泉』。 最初イタリアのチェレ彫刻公園の水飲み場として制作された。 樹木の幹を鋳造、他の部分を蝋型で付加。「愛」の意味とは? 「飲料水 Drinking Fountain 右下のボタンを踏むと水が出ます」との案内も。 ![]() 水桶には二人の顔が。 ![]() さらに葉山館だけの作者からの「おまけ」も足元に。 強く踏むと、ボタンを踏んでいる足に水がかかるのであった。 ![]() 鈴木 昭男 『「点音(おとだて)」プレート・葉山』 2012年。 ![]() 『地平の幕舎』。 鉄板でテントのような形を。鉄の赤錆がいい色を出していた。 ![]() 保田春彦 YASUDA Haruhiko 『地平の幕舎』 1993年 ![]() 『天地の恵み Blessings of the GOOD Earth』。 ![]() 眞板雅文 MAITA Masabumi 『天地の恵み Blessings of the GOOD Earth』 2003年 ![]() 『ハーモニーⅡ HarmonyⅡ』。 波乗りジェーンって感じで。 ![]() 富樫 一 TOGASHI Hajime 『ハーモニーⅡ HarmonyⅡ』 1972年 ![]() ここが先程訪ねた「葉山しおさい公園」からの連絡通路。 ![]() 「開門時間 土曜日・日曜日・祝日の 近代美術館開館日のみ 午前10時30分~午後4時まで」 ![]() 「三ヶ岡遺跡 神奈川県立近代美術館葉山の建設に伴い、この地にあった三ヶ岡遺跡が発掘調査され、主に 古墳時代から平安時代(4 ~ 10世紀)にかけての集落の跡が発見されました。この遺跡で特筆 されることは、海浜に立地する特徴を活かした平安時代の製塩跡が見つかったことです。 ムラの跡 竪穴住居が22軒、掘立柱建物が1棟密集して発見されました。 ほとんどが6 ~ 7世紀のもので、継続して居住していたことがわかりました。 製塩跡 約2X6mの範囲に火を受けて赤く硬くなった地面があり、そのそばから多量の土器が 打ち捨てられたままに出土しました。また海水を煮詰めるためのものか、石組炉の跡も2基 発見されています。」 ![]() 「製塩跡」と「竪穴住居跡」。 ![]() 『イノセンス-火 Innocence:Fire』。 ![]() 西雅秋 NISHI Masaaki 『イノセンス-火 Innocence:Fire』 1991年 ![]() 西雅秋 『大地の雌型より』 2003-5年 葉山漁港の4隻の木造船にコンクリートを流し込み、ひっくりかえして木部を外したもの。 ![]() 「一色海岸」を望む。 ![]() 西雅秋 『大地の雌型より』の一部。 ![]() アントニー・ゴームリー 『Insider Ⅶ』 1998年 ![]() ![]() 山口牧生 YAMAGUCHI Makio 『棒状の石あるいはCosmic Nucleus aBar of Stone,or Cosmic Nucleus』 1976年 ![]() 『揺藻(ゆれも) Swaying Alga』。 ![]() 空 充秋 SORA Mitsuaki 『揺藻(ゆれも) Swaying Alga』 1985年 ![]() 湯村光 『Stone Work – Stream』 1987年 ![]() ![]() 柳原義達(1910~2004) YANAGIHARA Yoshitatsu 『裸婦 座る Sitting Nude』 原型 1956年(鋳造 1964年以前) ![]() 『こけし Kokeshis(Japanese Wooden Dolls)』。 ![]() 近づいて。 イサム・ノグチ(1904-1988)は、日本人の父とアメリカ人の母の間に生まれた、20世紀を 代表する世界的な彫刻家。彫刻はもちろん庭園や舞台芸術、家具そして照明のテザインも 手がけるなど、現代彫刻の可能性を大きく押し広げ、作品と活動を通して世界各地て 愛されつづけている芸術家である と。 ![]() イサム・ノグチ Isamu NOGUCHI 『こけし Kokeshis(Japanese Wooden Dolls)』 1951年 ![]() ![]() 『石人 Stone Man』 1966年 (古墳時代6世紀後半の扁平石人の複製(岩戸山古墳[福岡県]出土・現在大分県日田市に設置) ![]() イサム・ノグチ Isamu NOGUCHI 『こけし Kokeshis(Japanese Wooden Dolls)』を振り返って。 ![]() これは、展示物ではなく、石製の休憩場所のようであった。 ![]() 「レストラン オランジュ・ブルー」。 ![]() イサム・ノグチの作品を別の場所からも。 ![]() 最後に「神奈川県立近代美術館 葉山館」を再び振り返って。 ![]() ・・・もどる・・・ ・・・つづく・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.06.22 06:47:10
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