ストレスから解放されたいなら、自宅と勤務先から300km以上離れた場所に携帯電話を持たずに行け。
さすがに携帯電話無しでは出掛けられないが、それに近い北海道キャンプツーリングだった。
バイクに乗ることもキャンプすることも、身に背負ったものから解放される時間だった。誰でもそれが目的にキャンプツーリングに出掛けているのだろうか。
以前から NHK のブラタモリでみた「網走監獄」に行きたいと思っていた。今回の北海道キャンプツーリングでその思いがかなった。いい勉強になった。
道すがらに見つけた菜の花畑。秋の菜の花はいったい何なのだろうか。
キャンプ場を6:00頃に出発。まずはツーリングサポーターで知った直線道路の「斜網広域農道」を走りに向かう。
途中「道の駅 ノンキーランドひがしもこと」で朝食と歯磨きとトイレを済ます。道の駅で・・・・・、ということも増えてきた。キャンプ場よりもはるかに快適だからである。
「斜網広域農道」に入ると、確かに直線道路だが、これに交わる道路もほぼ直線道路で、この道だけが直線ではないとわかってくる。そう考えると途端にありがたみが無くなってくる。北海道にはこんな道路は沢山あるだろう。
「斜網広域農道」に交わる道路
網走監獄の駐車場に着いたのは9:20頃。駐車場の端にバイク専用レーンがあり、駐輪方法がわかる写真が掲示されている。日曜日ではあるが、まだそれほど車やバイクは停まっていない。
1,500円を支払っていよいよ入館。15:00頃まで見学に費やした。
多くの写真を撮ったが、群馬県とのつながりが見える資料もあった。
北海道の開拓の夜明けはここから始まったのだと、強く考えさせられた。明治政府の軍事的方策もその理由だという。
そもそも誰のものでもなく、国家とか政治とかいう概念を持たなかった先住民の土地を奪ったことを、頭に置かなければならない。日本史で習った「征夷大将軍」がその始まりである。
囚人が開削した道路の総延長:724kkm
短期間での人力での開削である。大きの犠牲が伴ったという。
囚人が建てた屯田兵村の兵屋総数:1,474棟
学校の日本史で屯田兵は教えてもらったが、こんなことは教えてもらえなかった。
囚人が開墾した土地の総面積:17,000,000平方メートル
負の歴史なのだろうか。こういうことを教えてもらいたかった。
右の文書の中央下には「群馬県」の文字。
恐らく群馬県文書館から寄贈された文書であろう。
この文書には「前橋地方裁判所検事局」の文字。
毎食の味噌汁で鉄格子を腐食させて脱獄したという。
ブラタモリでも取り上げられていた。
昨日買った昼食は網走監獄のベンチで食べた。
この辺りから、翌日の昼食も夕食と朝食と一緒に買うというキャンプツーリングスタイルが確立してきた。
今日の入浴は、グーグルマップで見つけた「女満別農業構造改善センター ひまわり温泉」に行ってみた。
お湯が異常に熱い。低温と高温の浴槽があるのだが、低温の浴槽が42度になっている。受付の女性に聞くと、これより低いと温いと言われるのだそうだ。ゆっくりできない。
今宵はチューハイである。ビールよりチューハイの方が安いのである。
翌日の昼食も「アークス」で一緒に買ったのは言うまでもない。