朝のアポイ山麓ファミリーパークキャンプ場
やはりこの寒暖差からくる心身の不調。
イスラエルとハマスとの戦争の報道がそれに輪を掛ける。
ロシアのウクライナ侵攻はどうなっているのだろう。
乗り入れ可能なバイク用サイト。他にライダーもいたが、ここを使用したのは私のみ。
9月18日、昨日と今日は移動日である。
昨日の夕暮れに引き続き、朝の襟裳岬を見に行く。朝食も岬で食べるつもりである。
途中の岬が見える道路端で撮影。
昨日買ったアンパンと牛乳。
壮大に感じる襟裳岬の先端。まさに海に沈んでいく山脈の様である。
カモメが同じような場所を何度も飛んでいるので、それを待つ。
このような場所に住んでおられる方がいるのは一種の驚きであった。
広尾側に少し走ってから、岬をショートカットする道を戻って長万部に向かう。
途中の道の記憶がほとんどないというのは、悲しい。移動なので写真もない。
少し疲れていて、「道の駅みついし」で休憩する。道の駅の隣に地元の物産を販売する建物があり、これを道の駅と勘違いしていた。トイレが見つからないのでおかしいと思ったが、ここが道の駅でないと気づくのに少し時間がかかった。
隣の道の駅に移動し、しばし休憩。自動販売機で見つけた「レモンスカッシュ」を飲む。ツーリングの途中でこれを飲むことが多い。飲むと気持ちがシャッキリして、少し元気が出る。空き缶は事務室に持っていく。
ツーリングサポーターは、門別を過ぎたあたりで、無料開放されている日高自動車道を案内する。1995年には門別で給油し、満タン法で17.7km/リットルと計算している。昔のバイクは燃費が悪い。
苫小牧市街地の東の端で自動車道を降り、市街地を抜けて支笏湖に向かう。
ブラタモリが苫小牧を訪れたときに支笏湖は不凍湖であると言っていた。深くて水量が多いからという理由らしい。
支笏湖に着いたのは13:00過ぎである。空模様は怪しい。相変わらずの昼食を湖畔のテーブル付きベンチで食べる。
1995年には、支笏湖畔でバンガローを800円で借りているのだが、モラップキャンプ場だったのであろうか。
湖の向こう側で雨が降っているのが見える。
日本の観光地という風情が嫌いではないが好きでもない。道路の反対側に移動できないものだろうか。いずれ消えゆく施設なのかもしれない。
ここから洞爺湖に向かう。1995年に来たときは、支笏湖そばの「苔の洞門」に寄ったが、今は入れないようである。
この後、バイクを倒してしまうという失敗を経験する。事故というのは不意に起こるから事故なのであるが、どうして倒してしまったかがわからない。
雨が強くなってきたので雨具を着る場所を探していたのであるが、良い場所を見つけて通り過ぎ、Uターンをし終わった時にその瞬間は来た。バイクが急にUターンの外側の左に傾いてしまった。そこには縁石があり、チェンジペダルがそれにあたって曲がってしまった。なので、完全には倒れていない。サイドスタンドにも大きな傷がある。
起きてしまったものは仕方ないが、これから先のシフトアップが大変だなぁと悲観する。
洞爺湖の脇を通るが、時間も無くなってきたので寄らずにそのまま長万部に向かう。
キャンプ場のある長万部公園に着いたのは受付終了間近の16:55であった。ここをベースに神威岬まで行きたいので、とりあえず二泊分を申請する。
少し下向きな気持ちでテントを設営し、バイクの様子を見るが、エキパイも大きく凹んでいるではないか。さらに気持ちは下向きになる。
気を取り直して買い物に向かう。市街地には「ラルズマート」というスーパーマーケットがある。大きめな店舗なので安心した。私は寄らなかったがそばには「ツルハドラッグ」もあり、長万部では買い物に困ることはない。
入浴は「長万部温泉ホテル」に寄った。長万部温泉全体が一昔前の昭和の温泉街の雰囲気があり、ホテルと言っても旅館である。お風呂も昭和の銭湯そのままである。昭和レトロを十分に味わうことができた。
夕食の内容は完全に固定化してきた。明日は雨が降りやすい天気の様だ。