小糠雨(←これ、コヌカアメと読むそうです。さて、どんな雨でしょうねえ…というわけでシリアスドラマです)
「静かにしとしと降る雨のことを小糠雨(こぬかあめ) と言うんやよ」 遠い昔、母さんが言ってたっけ・・・ 3歳の私が乳母車に乗って、 寄り添うように歩く輝男兄さんが5歳で・・・ 町はずれのスナックの雇われママの美雪は、 お昼過ぎから降り始めて、店が看板になる 夜の10時過ぎまで降り続いている闇夜の雨を音で感じていた。 たった一人残った客は輝男だった。 輝男と美雪は兄弟として育てられたが、血はつながって いない。輝男の父が、競馬狂いで多額の借金を残し 消えてしまった。残された輝男の母も、情の薄い女で アパートの隣の部屋に住んでいた美雪の両親に預けて そのまま戻って来なかった。輝男が3歳の時だった。 そんな幸薄い輝男を美雪の両親は、自分の子供同様に 育てた。優しかった美雪の両親だが、輝男が高3で 美雪が高1の時に、相次いで病気で亡くなった。 病床の美雪の母に輝男は誓った 「俺、絶対に美雪を守るから・・・幸せにするから 母さん、母さんと父さんに育ててもらった恩返しやしな」 ・・・ しかし、現実は甘くなかった。 身よりのない無学な輝男は、いくつもの仕事を転々として、 いつしか競馬にパチンコにのめり込み、多額の借金を 作ってしまった。美雪と住むアパートには、毎日のように 借金取りが押し寄せた。 ある日、美雪が高校から帰った時、輝男は強面の男二人に 詰め寄られ、 「兄ちゃん、あんたに傷害保険がかけてあるんや・・・ ここで腕の一本でも切り落としたろか・・・」 男はキラリと光る小刀の両面で、輝男の腕を何度も何度も 嘗めていた。輝男は、勘弁してくれ・・・勘弁してくれ・・ と泣きわめいていた。 「私、学校やめて働くから・・・お兄ちゃんを助けてあげて」 あの日から、もう10年になろうとしている。 いつかは・・・いつかは・・・立ち直ってくれる・・・ そう輝男を信じつつ、美雪は水商売にドップリと浸かって行った。 「美雪、10万でいいんだ」 いつものように輝男は、美雪に金をせびりに来ていた。 「この前、20万渡したところよ・・」 泥沼のような10年間に美雪は心身とも疲れ果てていた。 こんな男の為に・・・ 本当の兄でもない、夫でもない・・・ そんな男のために、美雪はボロボロになっていた。 「もう、これっきりやから・・・頼む」 「ほんとに、これっきりなのね・・・立ち直ってくれるのね」 もう聞き飽きたはずの言葉に返す言葉もなく いつものように、ハンドバックに手をやろうとした美雪は 少しふらついたかと思うと、そのままバタンと倒れた。 びっくりした輝男が、近くの居酒屋に駆け込んだ。 「たすけてくれー」 驚いて駆けつけた居酒屋の店長をしている横田が、 「ほら見てみい、もうスナックなんか辞めろって言うたのに」 倒れている美雪を哀れむように言った。 美雪は、数年前から肝臓をかなり悪くしていたのだ。 そのことを、気心の知れていた父のような年頃の 横田にはうち明けていたのだ。 何にも、知らなかった大バカ野郎は輝男だった。 すぐに救急車で近くの病院に運ばれた美雪だが、 病状はかなり悪く昏睡状態に陥った。 「美雪・・・美雪・・・」 と泣きながら枕元にすがる輝男を横田は病室の外に ひきずるように引っ張りだした。そして、 力の限り、2回3回・・・輝男を殴った。 驚いた看護婦たちが、止めようとするのも聞かず 殴って殴って・・・。 いつしか顔がぐちゃぐちゃになるくらい涙ぐんだ横田は 「これ以上、殴ったら美雪ちゃんに怒られるわ・・」 と言って握り拳を止めた。 「すんまへん・・・すんまへん・・・」 と腫れ上がった顔で、何度も土下座する輝男だった。 そんな輝男に、横田は背中を向けて 「おい、美雪ちゃんはな・・・あの子はなあ・・ おまえのようなヤツの嫁はんになること夢見て、 わしが止めるのも聞かず頑張ったんじゃ・・ おぼえとけ・・・このカス・・・」 そう言い残して去って行った。 あとに残された輝男は、座り込んだまま膝を叩いた 「今度こそ・・・今度こそ・・・」 うわごとのように言いながら叩き続けた。 何やら慌ただしく看護婦と医師が病室に駆け込んで行く。 しとしとと小糠雨が降り続いていた・・・