「喪主をやることになった(その3)」通夜の夜は、オヤジといろいろ話すことができた・・・
霊魂とかを強く感じたのは自宅にいた時だ。オヤジもまだ、自分が死んだことを分かっていなかったのだろう。家の中のどこにいてもオヤジがいるような気がしてならなかった。二日間、ほとんど、眠れなかった。目がさえてきたので、そのうち、昔話を語ったり、子供たちのことをいろいろ頼んだりした。当然、オヤジからは声は出ないのだが私にはちゃんと聞いてくれたと感じた。オヤジはいたって元気だった。84歳だが、年末の健康診断ではどこも悪いところがないと診断されていた。オヤジは、いつものように新聞を読んでいるうちに居眠りをした。そのまま天に召されるとは本人だけでなく誰も想像だにしなかったはずだ。外傷もなければ病気もないから警察が動くことになった。かかりつけの医師が死亡診断書を書いてくれなければしばらくオヤジの亡骸は警察に安置されただろう。死因は心筋梗塞(疑)だった。葬儀場に運ばれてからはオヤジも観念したのかもしれない。それと、通夜というのは喪主にとって翌日に行われる葬儀のリハーサルのようなものだ。参列者への挨拶をしたが、即興でやったので、少し早口になってしまったようだ。おかげさまで葬儀ではバッチリ話すことができた。オヤジも満足だったろう。