福建省---アモイ旅情10
「アモイ旅情10」 「中国写真ライフ」では、福建「アモイ」の写真を公開しています。南普陀寺の大悲殿の脇を抜けて裏側の方へ向かうと、地殻変動により自然に岩が組み合わされた下を潜った。少し進むと、自然ではなく人工的に作られた浅い、池風の水槽があり、その中に石灯篭が置かれていた。そして向い側の岩肌には文字が彫られていた。その近くには中国の硬貨が祈りの為投げ込まれていた。参拝者や観光客が硬貨を投げ入れ祈りを捧げる姿も、見られたが、岩に彫られている文字は、南無阿・・・。日本で石燈籠といえば、神社の参道に立っていたり、仏閣や庭園の添景として置くものなどいろいろある。今では日本の伝統的な風景に融け込み癒してくれる。石灯篭のルーツを求めると、中国で仏前の献灯に使われ、朝鮮王朝から奈良時代に日本に伝わって来たものである。形は八角や六角が多く、四角や稀に三角の灯篭もある。 石燈籠は今でこそ、観賞用として置かれているが、室町時代頃には火を灯し照明としても利用されていた。元々、仏教寺院の仏像を安置する仏堂であった。仏教の経典には、仏に燈火を供えると功徳があると説かれ、石燈籠には、仏への礼拝や供養の意味が込められていた。 飛鳥時代、石燈籠は当時仏教盛んな朝鮮半島の百済から、仏教美術品として日本に伝わった。当時の飛鳥朝廷は百済と、交流が盛んで、日本最初の仏教寺院の飛鳥寺を造営した。飛鳥寺の正面入口両脇に安置されたのが石灯篭の始まりであり、現代の電気の光のような明るさでは無いにしろ、小さな仏像を、照らすには菜種油に浸した心で十分すぎる明るさだった。 中国から朝鮮王朝、そして日本へと伝わった石灯篭は、日本にて独自の美術品として変化を遂げていった。写真は、岩に掘られた「洗心」の文字であるが、日本人なら、「心を洗う」と読むのではないだろうか?「洗心」の意味は、「改心し、過ちを改めて更生する」とほぼ同じ意味である。