テーマ:囲碁全般(743)
カテゴリ:囲碁~それ以外
碁を検討していると時々出てくる表現に「被告」がある。ネットで検索しても新聞碁解説や某大学の長老OBのHPでも使用されている由緒正しい(?)囲碁用語といって良かろう。
なんとなんとこれの元は法律用語ではないか。囲碁と法律・両方の世界を両生類のように行き来している私としては当然ここはメスを入れてみたいところ。 囲碁の世界では主導権を相手に奪われて攻められているようなときに「被告になった」と表現することが多い。そして「被告になること」はえてしてマイナスの評価をされる。 いきなり訴えられ、裁判の場に引きずり出された被告は裁判という場所にドギマギしているし、さらに日本の場合は刑事裁判で訴えられた被告(正確には「被告人」だが)をお白洲のようなところで裁くというイメージが定着してしまっているので、こうした表現が通るようになったのだろう。 実は、実際の裁判では被告というのはそんなに弱い立場ではない。むしろ原告より強い。 というのも、裁判では大半が「被告は何もしなくても勝てる」けど、「原告は何かしないと勝てない」という形式になっている。 つまり、引き分けは被告勝ち。そして引き分けになる可能性は実際の裁判では相当高いのである。つまり、被告は余裕しゃくしゃくで構えていればよいが、被告の相手である原告は勝つために必死なのだ。 囲碁に戻すと、ある程度の実力者になれば、いくら攻めていても「攻めて戦果を取らなければ負け」というときは生きた心地がしないし、逆に攻められていても「ここで戦果を出させなければ勝ちだ」というときは気が楽なのが通常だろう。 原告・被告の関係を碁盤の上=裁判という形で忠実に再現すると、そうなってしまうのである。 あるいは、碁盤の外で、コミなし打ち込み碁にも原告・被告の関係を見ることができる。被告は先番、原告は白番である。 要するに引き分けに持ち込む(ジゴではなくコミ碁半目勝負を引き分けと考えていただきたい)ことができただけでは原告の白番は勝てず、勝つためにいろいろしなければならない。これに対し、黒番は先着の効を守れば勝ちなので比較的気楽な被告ということになる。 …とここで、「原告は勝てば賠償その他が取れるが被告は勝っても一文にもならない。だから原告の方が気楽という見方もできる」と指摘する向きもあるかもしれない。 だが、原告は負けたらやり直しは聞かない。例え権利があっても実際上裁判に負けたら消滅してしまう。つまり、原告だから気楽だということはない。 別に誤用だから本来の意味でなければ使用は許さんなどというつもりはないので、今後ともどんどん使って頂きたい。しかし頭の片隅にこんな知識も置いておいてくれればうれしいものである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年06月02日 22時27分59秒
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