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碁法の谷の庵にて

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2005年09月04日
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カテゴリ:その他雑考
今日、サンデーモーニングなんぞを見ていたら判定騒動が何回か出ていたので、ちょっと取り上げてみよう。ちなみに、あそこで取り上げていた事件が全部誤審であったというつもりはないので、一般論として読んでいただきたい。
この手の問題に詳しい方のコメントをいただけると幸いである



基本哲学は、「人間のすること、間違いは誰にでもある」ということである。さすがにこれは誰もが認識するであろう。

社会的には、誤審の類には何らかの救済が用意されていることが多い。
裁判ならば、「再審」という制度がある。刑事裁判・民事裁判双方にあり、実際誤った裁判から少なからぬ人々が救われている。中には、それで死刑台からの生還を果たした人もいる。

また、裁判官を誤審を理由にクビにすることは現行法上多くの問題があり難しいが、裁判官は任期を終えたあと再任されることが多いのでその再任に際して考慮したり、高裁裁判官→最高裁裁判官といったような出世コースをふさいでしまうという圧力をかけることで事前に抑止をかけることもできる。

では、誤審の類があったということでそれが誤審であったことを立証して裁判所から損害賠償を取れないか?これは難しいといわれている。裁判官が憲法76条3項の憲法・法律・良心に従って裁判をしている限りにおいて、たまたま間違えただけでそれが違法であると判断することは難しい。事実の有無に関して、裁判官は証拠から自由に判断してよいという考え方(自由心証主義)もあるので、違法であると判断するのはよっぽどの場合でなければならない、と言うのが通説的理解である。
つまり、誤審があったことが発覚しても、相手から取り返したり、今後の刑罰から開放されることこそあれ、損害を何とかしろということは実は難しい。あえて言うなら、裁判という公的な救済措置を受けるのならそういう危険も自分で負担しなさい、ということになる。
ただし、刑事裁判に関しては刑事補償法という法律で損害全額とは行かないが一定額の補償金が支払われることが決まっており、さらにそれが憲法上保障されている。(憲法40条)また、他の誤審の類についても、従来の法律の枠組みでなく、新たな法律によって何らかの救済をする必要性は議論の対象とされてもよかろう。



では、プロ野球の審判の誤審はどうか。

まず、根本的な誤審の救済はまずできない。点数計算のミスならまだしも、根本的に救済するにはもう1回試合をやり直すしかないからだ。それは金もかかるし、それ以前に誤審で得をした相手チームが勝っていた試合を反故にされることにもなりかねない。別に誤審は得をしたチームに責任があるわけではないのでそんなやり方は採用できない。

その場しのぎの技として監督が審判に抗議している、と言うのはよくある。
しかし、実はプロ野球では選手はもちろん、コーチ・監督にも抗議権は認められていないそうだ。理論上は抗議した瞬間に退場とされても文句は言えないのである。実際、「え、今のストライク?」と言った瞬間退場という憂き目にあった選手もいたらしい。
抗議権を認めるということは当然抗議が正しければ訂正と言うこともありうるということ(そうでなければ抗議など試合を遅らせるだけ)だが、それすなわち中立的審判より一方的な立場の選手や監督の言い分の方が正しい場合があると認めること。いくらなんでもそれは認められないと言うことなのだと思われる。誤審トラブルがあるのも、別に選手や監督の方が公正・力量大だからではなく、自分たちに有利な希望的観測があってそれが偶然当たっているに過ぎない。
ただ、常軌を逸した抗議に出ない限りは審判の方もある種のファンサービス・士気高揚手段だと思って見過ごすから、けっこう抗議と名のつくものは行われているのだと思われるが。

そうすると最後の手段は誤審審判への制裁である。
もっとも、あの手の誤審にはミスと言うべきものを見出すことは実は難しい。角度によっては「そんなの見えるか!!」ということもあるし、見えないと言って判定を投げ出す訳にも行かない。もちろん見やすい位置に審判が出るのが基本であるとはいえ、守備の妨害をしないで移動を強いるのは実際のところ無理ではなかろうか。
ミスでもない不幸な偶然に責任を負わされるのでは、審判としてもたまったものではないとも思われる。

だが、見世物としてプロ野球を考えたとき、審判の公正中立・絶対正確は一つの絶対条件であり、審判のミスの有無にかかわらず誤審は重大な瑕疵であり、ファンを失望させる一つの要因である。そうすると、見世物に登場して金銭を稼ぐ審判はその見返りに不幸な犠牲になっても我慢してくれ、と言う言い分はさして不当とは思われない。
実際、プロ野球選手であれば出しても見世物にならないがためにいくら練習を死ぬ思いで重ねていても下積みのまま選手生命を終えてしまう選手はいくらでもいる。そして、審判は多くが元選手であり、また全員が選手と同じくシーズンごとに契約する個人事業主である。


私と同様の思考回路なのかどうかはしらないが、実際のところ、誤審を理由に契約解除・ペナルティを食らってしまう審判がいるようである。これはよいことだと思う。
しかし、私はもう一段階踏み込んで、科されているペナルティを積極的に公表すべきではないかと考えている。見世物としてのプロ野球の地位を保つには、さらし者にしてファンの納得を求めると言うのも一つの手である。もともと審判が誰であるかはちゃんと公表されるので、あとになって誤審だけさらされるのは嫌、などという言い分は通用するまい。



プロ野球は所詮見世物、と言う視点を忘れず考えると、そういう結論になってしまった。
いいのかな?





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最終更新日  2005年09月04日 16時32分30秒
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