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碁法の谷の庵にて

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2006年07月11日
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 7月2日、模擬裁判の結果として参加者の大半が裁判員に参加したくないと応えるという事件が起こった。法曹関係者は落胆を隠せない様子であるらしい。
 参加者も、法科大学院生とか裁判所職員のようにそれなりに法の世界に詳しい人間で構成されていただけに、この結末は痛いものであろう。


 裁判員制度の不安は、特に実務家については極めて大きいようである。かく申す私も、裁判員については基本的にいい顔をしていない。学部時代のゼミの教授が裁判員制度について色々語ってくれていたり、NHKスペシャルでは学者代表として出たりしている立場だけに複雑であるが、不安要素は現実にとても大きいといわざるを得ない。


 第一の不安材料は、裁判員の「思考回路」の確保である。

 裁判員制度が始まるからと言って、それは裁判員が好き勝手放題やることを許すものではない。あくまでも法律の枠内でどうなるかを考えてください、と言うだけである。
 ・・・さて、それができるのかどうか。
 まずは裁判官の方から「法律の枠」に関して知識を裁判員に与えることになる。これについては、彼らがノウハウを作っているはずなので、それに期待するしかないが、仮にそれがうまくいったからと言って、裁判員がそのような思考回路で考えてくれるだろうか
 また、法律解釈は裁判官の専権で裁判員が文句を言うことはできないのだが、もしそれに反対の裁判員はどうだろうか。
 さらに、「心神喪失の刑法39条は削除すべきだと思う」と考えている裁判員が、その賛否を別にして考えられるか。

 こうした枠の中で考え、自分の賛否を問わずそれに従って考える能力は実務家には不可欠である。
 例えば安田好弘弁護士は死刑廃止論者でありながら死刑からの減刑判決をいくつか取っているが、それも死刑制度の是非論を一旦脇において理屈を展開できる能力が存在するからだろう。死刑廃止論を法廷で演説しても何にもならない。
 だが、これは法廷で短時間裁判官が教えたからどうにかなるものだろうか。おそらくそういう能力はある程度は才能か勉強していく中で身につける能力だと思えてならない。
 もし私のその予想が正しいすると、思考方法を教わって、はいそうですかとばかりにその通りで考えられるのだろうか。スイッチオンで思考チェンジ、法の賛成反対もお構いなし・・・はかなりの難題である。
 そうなると法教育に期待するしかないが、少なくとも今の日本の法教育は、知識として色々な制度を教えるにとどまっていて、とても実務家のように法に従って物事を考えるようにはできていない。最低限学部にいく必要があるだろう。
 「どうしてみんな犯人扱いしているのに裁判しなければいけないの」と言う質問が子どもから出てくるどころか、いい年した大人までそう考えている、なんて「検察官が」嘆いていたりもするのである。
 その上報道も扇情的である。犯罪について5W1Hを伝えるだけではなく、何でもかんでもまぜこぜに報道し、これが裁判員に予断や偏見を与えないか。裁判官だって予断や偏見を持たないとはいえないだろうが、裁判官ならある程度ならそれを追い出して思考する脳ミソはあるだろう。素人の裁判員にそんな脳ミソがあるといえるだろうか?それは誰もが持っているようなものではない。

 例え感情に流されて裁判をする、と言うような批判が外れていたとしても裁判員による裁判が少なくとも裁判官によるものと同等のクオリティが保たれる、というのは難しいだろう。
 といって、評議を裁判官のご意見拝聴タイムにするのでは何のために裁判員を呼ぶのか分からない。労力も金銭も全部無駄である。

第二の不安材料は、裁判の迅速化である

 実は、刑事弁護を担当する弁護士からも裁判員制度に対する批判が多いどころか、支持する見解はほとんど見当たらないとさえ言う。その理由が裁判の迅速化のために弁護人が必死にならねばならないことだ。決して彼らは手抜きをしたいのではないと思う。
 弁護側は検察に立証を丸投げしたりすることが許されにくくなり、自らもある程度主張していかなければならなくなったのである。それも、裁判員を拘束するほんのわずかな期間で、その主張を整える必要が出てきた。
 警察のような強制捜査権限などこれっぽっちも持っていない弁護人が、わずかな報酬(否認の国選事件で時給500円と言うような計算が「弁護士のため息」で紹介されている)で、他に自分の抱えている事件を差し置いて短期集中でそれをしなければならないというのはとんでもないことである。第一、コンビニの昼間バイトだって時給はもっと高い。もし仮に事務所維持費や弁護士会への登録料抜きで時給500円だった日には弁護士たちがストライキを起こしかねないだろう。手抜き弁護では問題外である。
 これで公務員として生活に一応の保障があるならばまだよいが、弁護士は公務員ではない。生活に保障があるわけではなく、報酬もないような事件のために労力なんか割いていたくはないだろう。
 

第三の不安材料に、誰もやりたいと思っていないということがある。

 国民の大半は裁判員をやりたくないようだ。裁判員のために仕事をあけたりすることはとてもできない。一応裁判員をやった分の報酬はもらえるが、大した額ではない。
 法律上は、裁判員のためなら仕事は休ませることが義務となっており、義務の免除は要介護の人間がいて代わりが頼めないとか、本当に彼が数日でもいないと会社が即つぶれるというような極限に近い状態に限定されている。また、休んだからと言って不利益に取り扱うことは禁止されているが、実際にはそれは難しいだろう。不利益に扱いたいときに、あからさまに不利益に扱うほど人事の担当者はバカじゃないし、たとえ裁判をおこして立証に成功して勝ったところで、だからなんだである。
 そうすると、金銭的に余裕のある人は、裁判員の呼び出しへの不出頭に対して支払わされる10万円以下の過料には目をつぶってでも不出頭と言うことは、本当に考えられる。
 志願制にするという手は難しい。「志願する人」と言うのはそれ自体に一定の傾向があることが考えられ、裁判員制度の一般国民の視点を活かすという目的から外れてしまいかねない。



 従来の裁判官裁判に官僚的、書面審理、審理遅延などと言ったいくつかの欠点があったのは事実であろうが、裁判員制度ならばそれを解決でき、かつこれまでの裁判官裁判のもつ長所を活かすことができるのか、と言われると、私はとてもそれを支持できない。
 他にも、裁判員に国民を駆り出すのが意に反する苦役を禁ずる憲法18条に反しないか、裁判官の職権行使の独立行使を定めた憲法76条3項に反しないか、国民の裁判を受ける権利を定めた32条に反しないかと言った憲法上の問題点だって見過ごせるものではない。もちろん政府内部ではそれ相応の説明を用意しているのであるが、私が政府関係者の立場にたったときに裁判員制度を弁護しきる自信はない。
 裁判員でなければ、被害者の司法参加だってもうちっとスムーズに進められた可能性だってあると思っている


 そんな裁判員制度だが、事実上始まることは確定している。
 制度がどれほど生きるか、注視せずにはいられない。




 追加
 nhkの回線から見ている誰かさん。
 見てくれるのは嬉しいですが、異様なまでの多数アクセスになっているのはどういうことなんでしょうか?ほどほどにお願いしますね。





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最終更新日  2006年07月11日 14時56分32秒
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