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碁法の谷の庵にて

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2007年03月17日
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 昨日は2件の社会的注目を集めた判決が東京・さいたま地裁でなされた。


 川口の事故の方は、裁判官が現行法上業務上過失致死傷罪に対しての最高刑である懲役5年をそのまま適用した。
 かなり速いスピードで運転しつつ脇見もテープ交換。気のゆるみかもしれないが、過失の内容もひどいもので、結果も4人死亡、更に負傷者もということで相当に重大。その後の情状も決していいとは言えないようなので、この判決はある程度予想されたものと言ってもよかったかもしれない。

 遺族の方は危険運転致死傷罪の適用を求めていたが、残念ながら脇見運転は危険運転致死傷罪の構成要件に入っていない以上やむをえない。
 今回の脇見は運転しながらテープを代えるというタチの悪い脇見であったが、他方で見るべき方向を見ない脇見というのは運転をしていればどうしてもやりがちなもの。構成要件の明確性並びに過度の厳罰回避という見地から、脇見を危険運転致死傷罪からはずした立法は妥当であると今なお思っている。
 また、進行制御困難な高速度による運転でも、危険運転致死傷罪が成立するのだが、今回は「一応」法定速度内の運転だったらしい。それでは進行制御困難による危険運転致死傷罪に問うのは難しいだろう。
 私見としては、法定速度であったとしても進行制御困難速度による危険運転致死傷罪を使う「余地はある」と思うが、法定速度は当然「進行制御困難といえるかどうか」の判断に使われるし、実際に使える事例は僅かであろう。遺族が強く危険運転致死傷罪での起訴を求めたに関わらず業務上過失致死で起訴したのは、そういう思考をしたのではと想像している。


 今回、裁判官の方は懲役5年でも罪責を評価しきれないと厳しい言葉を被告人に投げかけている。
 検察官に「危険運転致死傷で起訴してほしかった」という意味を感じたという話もあるが、注目された裁判の割に裁判官が訴因変更を促したりしたという話がないので、私はむしろ立法の不備を嘆いた、仮に懲役6年とか7年とかが出せたならそれにしたというような意味を感じている。
 交通社会へのメッセージ的な意味もこめて、例え危険運転で無罪になっても起訴してほしかった・・・というのはちょっと読みすぎかな?

 だが、個人的には、危険運転罪が成立するような場合を除けば、交通事故を殊更に取り上げて重罰で臨むのは反対である。運転者である限り交通事故は誰もが起こすもの、不運な結果につながったものを取り上げて処罰するという構図を呈するのは、刑事法の根本的な有り方さえ問われかねない問題である。
 過失犯全体の刑を底上げするのはともかく、交通事故だけを取り上げるのは筋が違うし、窃盗罪と比較して刑が軽いというような立論のやり方は、「10メートルの辺を持つ長方形と40メートルの辺を持つ長方形があれば40メートルの長方形の方が大きい」というようなナンセンスであると思う。

 ただ、このような悲惨な事故を見て、交通安全に思いを強くする人たちがいる事を願うのみである。普通の人は、誰も殺したくない。
 殺したくないなら、運転をしない事である。だが、運転をしなければならないけど殺したくないという矛盾した状態に今の社会はなっている。それなら、せめてこのような事件があったことを胸に刻む人が増える事を切に祈る。そういう人たちが増えれば、へたくそな厳罰規定の導入よりはるかに事故防止には効果があるものと信じる。


 さて、もう一つはホリエモンの方。懲役2年6月の実刑判決ながら保釈が認められてなお釈放中とのこと。あまり刑期が長くないので、未決算入がどうなっているかも多少は気になるかも。

 といっても、証券関連には詳しくないので、今日話題にするのは裁判官の訓戒。
 裁判官は、刑事の判決の後に被告人の将来に対して訓戒をする事が認められている(刑事訴訟規則221条)。他にも、法廷では何かにつけて裁判官が言葉を発する事は多いようだ。その言葉を見て、裁判官も人間なんだなあ・・・という、ある意味では当然のことを認識する人も多いという。
 「それでもボクはやってない」は、裁判官がどんな訓戒をしたのか、作中では描かれていなかったがどんなものか興味がある。それだけでなく、仮に当初の裁判官が有罪を認定していた場合、(その可能性はないとも言い切れない)どんな訓戒をしたか。案外当初の裁判官の方が、有罪を認定するならきちっとした訓戒を考えてきそうな気もしないではない。
 ちなみに、痴漢事件で無罪判決後に、「電車の中では女性とはなれるのがマナーです」と訓戒した裁判官もいたという。この裁判官、満員電車に乗った事はあるのかナ?

 有名なものとしては、さだまさしの「償い」をもちだして、「この歌詞を読めばなぜ君たちの謝罪の言葉が胸を打たないのかがよくわかるだろう」といったという話がある。
 無罪判決でだって、判決後に話をする事はある。安田好弘弁護士の強制執行妨害事件の一審無罪判決後、担当の裁判官は「もっと違う形でお会いしたい」と語ったという。昨今バッシングされる安田弁護士の、弁護能力の高さを窺わせる例だ。ちなみにこの裁判官は、結構いろいろと有名な訓戒をしている。2chでは「無罪病」などと叩かれたりもしている。

 裁判官の訓戒その他をいろいろまとめたページとして、ここをご参照いただきたい。微妙に私の先生もいたりとか。


 さて、今回の裁判官の訓戒は、この事件に関して裁判所に送られてきた手紙を用いるというもの。
 ホリエモンはとある障害者にとって、若くして身を起こし力を与えた存在だったということを忘れないでもらいたいというもの。

 ありもしない手紙を捏造したとは思えないし、裁判の外でそんなものを読むと公平が疑われる恐れも否定できないので、訓戒で用いるとはいえよく読んで、しかもそれを公にするなあという気もするのだが、人間としてのプライドに訴えかけるのは結構有効な手法かもしれない。
 特に、今回情状で裁判が争われたとは考えにくいので、なおのことかもしれない。



 もちろん、裁判官だけではない。検察官はもちろんの事、弁護士だって自白事件などということであればその更生に力を貸すのは一つの立派な職務であろう。
 私も実務家になれれば、彼らの心に残る言葉を彼らの心に残したいものである。





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最終更新日  2007年03月17日 12時53分28秒
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