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碁法の谷の庵にて

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2008年06月23日
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テーマ:囲碁全般(745)
 いずみ囲碁ジャパンで、学生の精鋭たちが鎬を削る死闘を繰り広げ、またあるところでは、私の県の本因坊のたった一つの椅子が激しく争っていたころ、私は日曜日なのをいいことに12話+12話+特別編のアニメを全部1日以内で見るという大快挙愚挙をやっていました。

 そういえば、私はもしかするとまだ微妙に学生十傑の出場資格があるのかもしれませんね。まあ、もう出る気もありませんけどね。
 私自身は碁の調子はよく、幽玄の日本サーバーで7段をバッタバッタとなぎ倒すくらいの調子は出ているのですが、学生囲碁界全体のレベルアップがそれ以上のようです。

 まあ選手の皆さんは頑張ってくだされ。



 しかし、今年も高校生の枠抜けはなかったようです。
 私の記憶に間違いがなければ、高校生が最後に枠抜けしたのは、今から7年も前。

 枠抜けしたのはのちの学生本因坊にして現プロ二段、白石くん(中大附属高、後に中央大)と、学生王座戦で準優勝した吉成くん(筑波大駒場高、後に慶應大)いずれも学生囲碁界に足跡を残した傑物です。高校生で関東の重包囲網を突破するのは、むちゃくちゃな棋力が要ります。高校生で関東を抜けた人、例えば阿佐巧さん(早稲田実業高、後に早稲田大)はのちに学生本因坊2期、王座1期、十傑1期。鈴木紀之さん(南多摩高、後に九州大)は、高津昌昭くん(須坂東高、後に立命館大)の高校選手権3連覇に抜かれるまで、高校選手権男子2期、準優勝1回という大記録を打ち立てた強手。

 日曜日、私の県で、かつて学生タイトルを次から次へととっていった坂本修作さんと半目勝負を演じた赤旗名人関くんも、関東の重包囲網に捕らえられ、枠抜けに失敗しました。いや、正確にいえば失敗「させ」ましたといったところでしょうか。クスリ。今となっては、彼を破ったことは私の数少ない自慢の一つです。

 そういえば、白石くんが枠抜けした当時の出場者の高校生が、今年枠抜けしました(あの時彼を破ったのは…)。光永豊くん(麻布校出身、現順天堂大)。高校生の大会で初めてまみえた時は私が勝ちましたが、少なくとも3年ほど前あたりから、もはや私では歯が立たなくなっていました。
 


 なぜ関東では他の地区と異なり、高校生は枠抜けできないのでしょうか。出場人数が高校生は相対的に見て少ない、ということは確かにあります。しかし、こう何年も枠抜けが出ないとなると、もうちょっと理由を考えてみたくもなります。

 基本的な実力は、高校生も大学生も大学院生も個人的な素質によることは変わりありません。むろん、その実力が飛びぬけていれば、相手が大学生でも大学院生でもなぎ倒してしまうはずです。韓国の15歳のプロとかが学生十傑戦に出てくれば、たとえ村上くんであろうと倒してしまうでしょう。
 そして、真剣勝負を続けるだけの体力というような面では高校生の方が大学生や大学院生を凌駕している可能性の方が高いとさえいえるでしょう。

 ただし、関東の重包囲網の中では、「飛びぬけた存在」となることは理屈の上では可能ですが、まずできません。ある程度の粒ぞろい、しかも自分より年上で、「ある意味では」プロをも上回る「試合巧者」の中を何度か突破していく必要があります。単に読みで押し合いをすればよいものではありません。
 そして、ほとんどの人は、自分と互角程度の相手と刃を交えなければありません。それも、何度も。そんな中を突破していくのに必要なのは経験であり、落ち着きであり、それをもたらすのは「自分の碁」というものに対する一定の完成度です。
 各人のもつ碁が、一定程度完成している必要があるということです。一部未完成、一部が高くてそれに引き上げられて総体が高いよりも、全体としてある「碁」の下で上の方に無理やり例えるなら、世界最高峰エベレストは無理とするなら、アジア第2位にして世界第2位のK2(8611m)であるよりも、ヨーロッパ最高峰(4808m)である方が良いというわけです。

 おそらく、強豪の高校生は、棋力やモチベーションという面では、必ずしも学部生や大学院生に劣ることはないでしょう。ただ碁の完成型並びにその経験や落着きといった一点で、学部生や大学院生にはかないません。
 そして、自分の碁という形で完成してはいません。正確にいえば、完成度は低いでしょう。単に一発入れろ、というだけなら、一部だけでも高いことで全く問題はありませんが(私自身、高校生時代に本来石を置かなければならない強敵に一発を入れています)、それを続けざまに行えとなれば、よっぽど突出していない限りは自分の碁が何らかの形で出来上がっている必要があるというわけです。
 もちろん、最終的に完成している必要はありません。そんなものは一生かかったってできないものでしょう。より完成度が高い方がいいというわけです。
 

 




 大して強くもないのに、なに哲学もどきを話しているのでしょうか。
 ここまで読んでしまったあなた、この文章は忘れてください。





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最終更新日  2008年06月24日 01時00分00秒
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