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碁法の谷の庵にて

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2011年03月01日
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 海原氏の文章を私の視点からで書くとこうなるということでお読み頂ければと思います。


 自白。虚偽の自白がかつて幾多の冤罪の悲劇を生んだことは、常識の範疇に属するでしょう。

 それで、そう言った虚偽の自白を防ぐために、取調の撮影(録音・録画)が現在有力に主張されていること、完全ではないながら部分的に導入されていっている(今月からは特捜取調も対象に)も、刑事司法に詳しい人ならまあ知っていることでしょうね。
 もちろん、撮影なくして取り調べ禁止あるいは自白に証拠能力なし、ということにはなっていないのですが。


 しかし、です。
 取調の撮影に根強い検察・警察実務からの抵抗があったことを忘れてはいけません。
 現状、撮影が全件ではなく一部にとどまっているのも、多数の冤罪事件を経てなお、警察や検察からの抵抗が今なお功を奏しているという見方もできます。
 
 ちなみに誤解のないように言っておけば、私は取調の撮影には賛成です。
 ・・・だからと言って、相手からの反撃を全く考えずに、ただ取調の撮影に賛成するだけでは、効果的な主張たりえないのは当然です。可視化賛成論者と言えども、前提となる知識を身につけて、なぜ自白が必要なのかを考えなければ、相手の反撃にまともに太刀打ちできなくなるのです。

 少なくとも、自白に頼らないで立証できる犯罪は意外と限定されているという現実をまず見詰める必要があります。さらに、その場合、自白から得られた客観証拠(自白で示された場所を調べたら凶器が出てきたような)に頼るのではなく、自白そのものを法廷で証拠としなければならないことも、決して少なくないのです。
 この段階で認識が欠落していたら、もう彼の論説は信用性ゼロ、と断言しても差し支えないでしょうね。

 大学時代に読んだ、判例時報に掲載された本江氏の論文やジュリスト1148号の太田茂氏の論文(いずれも検察実務家)から指摘されていたことをいくつか並べてみましょう。


 日本において自白が必要な原因はいくつかあります。

 まずは、日本の刑法が犯人の主観面、平たく言えば故意の立証を要求していること。
 「人を殺した」というだけではなく、「殺意を持って殺した」と言うことまで立証しなければなりません。殺人の場合、遺体が残っていて殺害方法がわかれば殺意の認定はやりやすいのですが、もっとシビアな領域もあるのです。
 例えば薬物関連の犯罪で、「これが薬物だとは知らなかった」と言う弁解。その威力たるや、裁判員裁判初の無罪判決がこれで、その後も裁判員裁判無罪判決が出ているというほどのものです。別にこれらの件の被告人の皆さんが真犯人だという気はこれっぽっちもありませんが、この陰に隠れれば真犯人もトンズラできる場合があることは事実なのです。
 刑事訴訟法における自白の補強法則で、主観面は自白だけによって認定しても問題ないという考えで通説実務がなされていることを知っている人は、なるほどと思われるでしょうね。
 何とか彼らに自白してもらわなければ犯罪自体立証不能、と言うことは考えられる訳です。

 更に、組織犯罪。
 組織犯罪となれば、当然一番捕まえなければいけないのは黒幕です。
 ・・・ところが、この「黒幕暴き」は恐ろしく難しい。わざわざ謀議を撮影やら書類やらにしておくバカはそうそういないでしょう。
 一番頼れるのは、捕まった実行犯から「あいつが犯人だ」と供述してもらうこと・・・ってやっぱり供述なのです。

 また、日本の刑事訴訟法における捜査のための身柄拘束は原則23日。取調を撮影している諸外国はもっと長いのです。
 大陸法系の国であれば、『その気を起こせば』年単位の身柄拘束も可能といいます。外国の検察関係者に、「日本の検察関係者は23日という短い期間でどうやって捜査するの?」なんて日本の検察関係者がきかれることだってあるとか。
 その中では、自白が一番手っ取り早い立証方法になる訳ですね。

 また、捜査手法の問題もあります。通信傍受、おとり捜査、取調以外の自白の獲得手法としての司法取引。
 日本では軒並み禁止、あるいは厳しい制限がかかっています。
 合法的な自白の採取手法に限界があるという訳です。時々、「合法的な自白の採取方法」と聞いて拷問の許容や多様化を推進すると勘違いする人がいるようですが、そうではなく、本人が任意で語ってくれるための動機づけが、今の日本の法制で許されている手法では弱すぎるということなのです。


 ・・・ここまで分かって、更にもう一つの前提が加わります。
 それは、「取調の撮影をされたら自白が取りにくくなる」ということ。

 モトケン先生等も、実務家時代はそう思っていたとのこと(URL失念)ですし、取り調べの撮影に賛成する現在においても、それによって自白を得にくくなる可能性を否定していません(こちら参照)。
 実際、署名押印がどういうものか(押したら訴訟で争えなくなると分かっていたらもっと抵抗する人もいるのではなかろうか?)分かって署名している人がどれほどいるか、という点を考慮すれば、取り調べの撮影についても幅広く漏れてしまうんじゃないの?という疑念を抱く被疑者が出てきて、口が重くなってくるのは当然だと言えるでしょうし、それで自白が取りにくくなる面もあろうと思います。
 取り調べ撮影になお頑強に抵抗している論者とて、今になってyoutubeやらニコニコ動画やらに流すような可視化を可視化論者が主張している、なんて思ってはいないことに注意しなければなりません。
 私個人は、ここまで冤罪事件がころころ起こっている現状、仮にそれで口が重くなるにしても、もう仕方ないのでは、と思っている訳ですが…


 そして、これらを前提にフィニッシュが「これでは犯罪の検挙に支障をきたす」「国民が納得しない」です。

 これで捕まらなくても「冤罪防止のために仕方ない」と国民が納得してくれるのなら、検察も取り調べの撮影がどうこう等と言う抵抗はしないと思います。検察だって、その方が楽と言えば楽(撮影の結果信用できるとされることもありえる)ですしね。

 しかし、現実はそうじゃない。
 犯罪者を捕まえろ、(体感)治安が悪いと常に国民は文句を言ってきます。その要求たるや、弁護役の弁護人に検察官役を要求するほどのものです。
 それでいて、冤罪を起こせばやっぱり叩かれます(こちらのURLも参照)。ただ単に反省してくれと言うだけではなくて、人格的な非難をする例すらも珍しくありません。

 検察官だって人間ですから、見込み違いだって当然ありえます。
 常に処罰と人権保障の両立した、100%の答えが出せるなら、「疑わしきは罰せず」なんて言葉や、弁護、令状主義etcといった日本の司法のチェックシステムは必要ないのです。
 

 もちろん、検察官が「だからすべて国民が悪い」、と言って自分たちは悪くない、などと言うことはできないでしょう。そういった国民の声の歯止めとなるのも、専門家の立派な仕事と言えます。
 しかし、上層部が無理なノルマを従業員に課して、ノルマ達成のためにやむをえず従業員が違法行為をしたならば、多かれ少なかれ上層部とてその責任を問われ、非難がされます。
 検察の上層部にあたる国民は、非難されているでしょうか?

 問題が起こるたびに全ての責任が法律関係者だけに押し付けられ、いつまでも国民だけが無邪気な欲望だけを言って、最終的には自分はシロートであるという言い逃れ、自分は無知だけど理屈では優れているという思い込みに基づく強弁や、数や立場に物を言わせて一切責任を問われない、というのは不公平です。
 無論、個人レベルではそれに与さず、冤罪を防ぐためならやむを得ないと達観できる人もいるでしょうし、私の可視化賛成も、その視点が強いと言えると思います。
 しかし、それが一部の個人のレベルである限り、あるいは冤罪事件と凶悪犯罪でころころということが変わる人ばかりである限り、法律家がおかれた八方ふさがりの状況は何も変わってはくれないのです。

 私は可視化賛成ですが、それでも取り調べを可視化したから検挙ができなくなる、という指摘は、決して理由のないものではありません。
 一番大事なのは、取り調べの可視化に伴うメリット・デメリットを把握し、その上で判断し、デメリットを受け入れる覚悟をすることです。


























 さて、次の投稿でちょっとした発表をいたします。
 次の投稿がいつになるかは分かりませんが、まあ期待しないでお待ち下さい。





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最終更新日  2011年03月01日 15時08分56秒
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