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碁法の谷の庵にて

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2011年03月01日
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 海原氏の文章を私の視点からで書くとこうなるということでお読み頂ければと思います。


 自白。虚偽の自白がかつて幾多の冤罪の悲劇を生んだことは、常識の範疇に属するでしょう。

 それで、そう言った虚偽の自白を防ぐために、取調の撮影(録音・録画)が現在有力に主張されていること、完全ではないながら部分的に導入されていっている(今月からは特捜取調も対象に)も、刑事司法に詳しい人ならまあ知っていることでしょうね。
 もちろん、撮影なくして取り調べ禁止あるいは自白に証拠能力なし、ということにはなっていないのですが。


 しかし、です。
 取調の撮影に根強い検察・警察実務からの抵抗があったことを忘れてはいけません。
 現状、撮影が全件ではなく一部にとどまっているのも、多数の冤罪事件を経てなお、警察や検察からの抵抗が今なお功を奏しているという見方もできます。
 
 ちなみに誤解のないように言っておけば、私は取調の撮影には賛成です。
 ・・・だからと言って、相手からの反撃を全く考えずに、ただ取調の撮影に賛成するだけでは、効果的な主張たりえないのは当然です。可視化賛成論者と言えども、前提となる知識を身につけて、なぜ自白が必要なのかを考えなければ、相手の反撃にまともに太刀打ちできなくなるのです。

 少なくとも、自白に頼らないで立証できる犯罪は意外と限定されているという現実をまず見詰める必要があります。さらに、その場合、自白から得られた客観証拠(自白で示された場所を調べたら凶器が出てきたような)に頼るのではなく、自白そのものを法廷で証拠としなければならないことも、決して少なくないのです。
 この段階で認識が欠落していたら、もう彼の論説は信用性ゼロ、と断言しても差し支えないでしょうね。

 大学時代に読んだ、判例時報に掲載された本江氏の論文やジュリスト1148号の太田茂氏の論文(いずれも検察実務家)から指摘されていたことをいくつか並べてみましょう。


 日本において自白が必要な原因はいくつかあります。

 まずは、日本の刑法が犯人の主観面、平たく言えば故意の立証を要求していること。
 「人を殺した」というだけではなく、「殺意を持って殺した」と言うことまで立証しなければなりません。殺人の場合、遺体が残っていて殺害方法がわかれば殺意の認定はやりやすいのですが、もっとシビアな領域もあるのです。
 例えば薬物関連の犯罪で、「これが薬物だとは知らなかった」と言う弁解。その威力たるや、裁判員裁判初の無罪判決がこれで、その後も裁判員裁判無罪判決が出ているというほどのものです。別にこれらの件の被告人の皆さんが真犯人だという気はこれっぽっちもありませんが、この陰に隠れれば真犯人もトンズラできる場合があることは事実なのです。
 刑事訴訟法における自白の補強法則で、主観面は自白だけによって認定しても問題ないという考えで通説実務がなされていることを知っている人は、なるほどと思われるでしょうね。
 何とか彼らに自白してもらわなければ犯罪自体立証不能、と言うことは考えられる訳です。

 更に、組織犯罪。
 組織犯罪となれば、当然一番捕まえなければいけないのは黒幕です。
 ・・・ところが、この「黒幕暴き」は恐ろしく難しい。わざわざ謀議を撮影やら書類やらにしておくバカはそうそういないでしょう。
 一番頼れるのは、捕まった実行犯から「あいつが犯人だ」と供述してもらうこと・・・ってやっぱり供述なのです。

 また、日本の刑事訴訟法における捜査のための身柄拘束は原則23日。取調を撮影している諸外国はもっと長いのです。
 大陸法系の国であれば、『その気を起こせば』年単位の身柄拘束も可能といいます。外国の検察関係者に、「日本の検察関係者は23日という短い期間でどうやって捜査するの?」なんて日本の検察関係者がきかれることだってあるとか。
 その中では、自白が一番手っ取り早い立証方法になる訳ですね。

 また、捜査手法の問題もあります。通信傍受、おとり捜査、取調以外の自白の獲得手法としての司法取引。
 日本では軒並み禁止、あるいは厳しい制限がかかっています。
 合法的な自白の採取手法に限界があるという訳です。時々、「合法的な自白の採取方法」と聞いて拷問の許容や多様化を推進すると勘違いする人がいるようですが、そうではなく、本人が任意で語ってくれるための動機づけが、今の日本の法制で許されている手法では弱すぎるということなのです。


 ・・・ここまで分かって、更にもう一つの前提が加わります。
 それは、「取調の撮影をされたら自白が取りにくくなる」ということ。

 モトケン先生等も、実務家時代はそう思っていたとのこと(URL失念)ですし、取り調べの撮影に賛成する現在においても、それによって自白を得にくくなる可能性を否定していません(こちら参照)。
 実際、署名押印がどういうものか(押したら訴訟で争えなくなると分かっていたらもっと抵抗する人もいるのではなかろうか?)分かって署名している人がどれほどいるか、という点を考慮すれば、取り調べの撮影についても幅広く漏れてしまうんじゃないの?という疑念を抱く被疑者が出てきて、口が重くなってくるのは当然だと言えるでしょうし、それで自白が取りにくくなる面もあろうと思います。
 取り調べ撮影になお頑強に抵抗している論者とて、今になってyoutubeやらニコニコ動画やらに流すような可視化を可視化論者が主張している、なんて思ってはいないことに注意しなければなりません。
 私個人は、ここまで冤罪事件がころころ起こっている現状、仮にそれで口が重くなるにしても、もう仕方ないのでは、と思っている訳ですが…


 そして、これらを前提にフィニッシュが「これでは犯罪の検挙に支障をきたす」「国民が納得しない」です。

 これで捕まらなくても「冤罪防止のために仕方ない」と国民が納得してくれるのなら、検察も取り調べの撮影がどうこう等と言う抵抗はしないと思います。検察だって、その方が楽と言えば楽(撮影の結果信用できるとされることもありえる)ですしね。

 しかし、現実はそうじゃない。
 犯罪者を捕まえろ、(体感)治安が悪いと常に国民は文句を言ってきます。その要求たるや、弁護役の弁護人に検察官役を要求するほどのものです。
 それでいて、冤罪を起こせばやっぱり叩かれます(こちらのURLも参照)。ただ単に反省してくれと言うだけではなくて、人格的な非難をする例すらも珍しくありません。

 検察官だって人間ですから、見込み違いだって当然ありえます。
 常に処罰と人権保障の両立した、100%の答えが出せるなら、「疑わしきは罰せず」なんて言葉や、弁護、令状主義etcといった日本の司法のチェックシステムは必要ないのです。
 

 もちろん、検察官が「だからすべて国民が悪い」、と言って自分たちは悪くない、などと言うことはできないでしょう。そういった国民の声の歯止めとなるのも、専門家の立派な仕事と言えます。
 しかし、上層部が無理なノルマを従業員に課して、ノルマ達成のためにやむをえず従業員が違法行為をしたならば、多かれ少なかれ上層部とてその責任を問われ、非難がされます。
 検察の上層部にあたる国民は、非難されているでしょうか?

 問題が起こるたびに全ての責任が法律関係者だけに押し付けられ、いつまでも国民だけが無邪気な欲望だけを言って、最終的には自分はシロートであるという言い逃れ、自分は無知だけど理屈では優れているという思い込みに基づく強弁や、数や立場に物を言わせて一切責任を問われない、というのは不公平です。
 無論、個人レベルではそれに与さず、冤罪を防ぐためならやむを得ないと達観できる人もいるでしょうし、私の可視化賛成も、その視点が強いと言えると思います。
 しかし、それが一部の個人のレベルである限り、あるいは冤罪事件と凶悪犯罪でころころということが変わる人ばかりである限り、法律家がおかれた八方ふさがりの状況は何も変わってはくれないのです。

 私は可視化賛成ですが、それでも取り調べを可視化したから検挙ができなくなる、という指摘は、決して理由のないものではありません。
 一番大事なのは、取り調べの可視化に伴うメリット・デメリットを把握し、その上で判断し、デメリットを受け入れる覚悟をすることです。


























 さて、次の投稿でちょっとした発表をいたします。
 次の投稿がいつになるかは分かりませんが、まあ期待しないでお待ち下さい。





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最終更新日  2011年03月01日 15時08分56秒
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23日間の取調べなんて拷問と同じだというのが欧米の常識   しま さん
ちょっと失礼いたします。

>また、日本の刑事訴訟法における捜査のための身柄拘束は原則23日。取調を撮影している諸外国はもっと長いのです。
 大陸法系の国であれば、『その気を起こせば』年単位の身柄拘束も可能といいます。外国の検察関係者に、「日本の検察関係者は23日という短い期間でどうやって捜査するの?」なんて日本の検察関係者がきかれることだってあるとか。
 その中では、自白が一番手っ取り早い立証方法になる訳ですね。

これなんですけれど、何を根拠にそんなことをおっしゃられるのですか?
すくなくとも、小生が知っている欧米の刑事司法制度というのは、それとは真逆なのですが…。

http://www.web-pbi.com/contrast2/index.htm

http://www.nichibenren.or.jp/ja/publication/booklet/data/kashika_report2.pdf

>「日本に憲法はあるのか?」(ローマのある弁護士)
>「23日間の取調べ? それは拷問だ!」(ローマ市警察の捜査部長)

たいへん失礼いたしました。
(2011年03月01日 20時15分56秒)

原典が手元にないので   風の精ルーラ さん
とりあえず参照用にウィキペディアを。大陸法系の国、つまりドイツやフランスの例ですね。因みに個人的な原典は本文で指摘した本江論文や太田論文です。

本文での説明が足りなかったかもしれませんが、「身柄拘束の問題」と「取り調べの問題」を分けて考えてもらえればと思います。
ドイツやフランスは長期間「身柄拘束が効く」だけ(それはそれで問題かもしれませんが)で、日本のように断続的にせよ取り調べ続けるというわけではなかったはずです。
日本の場合、身柄拘束がきく23日の間に一気に勝負しなければ、もう後は逃げ放題、証拠隠滅し放題になる、という訳で、その中で最も手っ取り早い証拠収集方法が自白であるという訳です。

無論、23日も取調べるというのは拷問同然じゃないのか、その末に取った自白なんて信用できるのか、というローマの法律関係者の指摘は一つの立派な問題意識で、日本で甘く考えられている所ではないかと思います。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E7%94%A8%E5%88%91%E4%BA%8B%E6%96%BD%E8%A8%AD (2011年03月01日 20時57分46秒)

Re:原典が手元にないので(03/01)   しま さん
御返事いただき有難うございます。

小生は、ウィキペディアというものをあまり信用していないので、これをどこまで信用していいのか判断しかねます。
しかし乍ら、もしも、ウィキペディアの記述の通り、片っ端から長期勾留がまかり通っているのだとしたら、人権というものにとても敏感なはずの欧米人が、それを問題視せず黙っているはずなどないとも思うのです。

すくなくとも、通常の場合、日本だけが飛びぬけて長い期間、拘置も取り調べもできるということだけは確かであって、だからこそ、そのようなことも含めて国連から改善の勧告さえも受けているのではないのでしょうか?

それから、再逮捕を繰り返して、さらに拘置期間を延ばすことは、この国では枚挙に遑がありませんから、『身柄拘束がきく23日の間に一気に勝負しなければ、もう後は逃げ放題、証拠隠滅し放題になる』、というご説明も明らかに間違いだと感じます。
さらに言えば、黙秘を貫く被告が無罪放免になどならない現実を例にするまでもなく、そんなことはあり得べからざることでしょう。

ついでに、『「身柄拘束の問題」と「取り調べの問題」を分けて考えてもらえれば』、とおっしゃるのでしたら、捜査というのは逮捕前から行われているはずであり、『外国の検察関係者に、「日本の検察関係者は23日という短い期間でどうやって捜査するの?」なんて日本の検察関係者がきかれることだってあるとか。』、という記述など、なんの意味もないどうでもいいことにしか思えません。

たいへん失礼いたしました。
(2011年03月01日 22時58分01秒)

諸外国の制度は意外とメスが入らない   風の精ルーラ さん

>(前略)人権というものにとても敏感なはずの欧米人が、それを問題視せず黙っているはずなどないとも思うのです。

 ウィキペディアの参考リンクに法務省での議事録があります。そちらなら、信用してもよいのではないでしょうか?
 本文の太田論文を掘り出してきましたが、フランスに関して年単位拘束があるのは事実です。

 欧米人の人権感覚はかなり日本的感覚から見れば不思議なものも多いです。
年単位の被疑者拘束をする(太田論文によれば珍しくない)フランス。
挙証責任が被告人や弁護人側にもけっこう大きい上に起訴を絞らず、冤罪の多さが指摘されるイギリス。(死刑執行後の冤罪発覚ということもあった)
司法取引に応じなければ懲役3ケタ年とか言うことになりえるし派手なおとり捜査等が許容されているアメリカ。
法廷通訳なども、日本くらい一生懸命探す国はない、とも言われます。

取調べ依存の日本のあり方が世界的に見て異端であるし問題をはらむのは間違いありませんが、これらを元に日本だけが人権に配慮していない、という言い方はいかがでしょうか。これらの国の刑事手続が批判されているのかは、寡聞にして存じませんが…

また、条文に規定があっても、運用次第で無問題とできる面があります。いわゆる人質司法とて、法律の条文よりも運用面の問題が大きいです。アメリカは保釈は認められるけれども絶対積めないような保釈金を平気で要求するなんて話もありますし。
片っ端から長期勾留をしている、という訳ではなく、あくまで事件に応じて判断されている可能性はあるでしょう(それ以上の実態は申し訳ないですが私の知識にはありません)。
日本でも逮捕勾留の期間をほぼ一律に23日で区切っている制度設計に問題がある(重大犯罪には短いし、痴漢冤罪を考えると23日は長すぎる)という指摘もあります。 (2011年03月02日 19時59分19秒)

身柄拘束抜きの捜査には限界が付きまといます   風の精ルーラ さん
>日本だけが飛びぬけて長い期間、拘置も取り調べもできるということだけは確か(後略)

 「拘置と密室取調べをセットで23日」という点が日本の問題視されるのは間違いないと思います。
 ただ、取調べという武器を弱体化されたとして、「身柄拘束が23日」という面から見ると、日本の捜査機関の武器は貧弱であるともいえるのです。
 因みに私の大学のゼミの師匠の話ですが、「日本の学者は海外の取調べ撮影を羨むけども海外の学者は日本の取調べを羨む」なんて話もありました。

>再逮捕を繰り返して、さらに拘置期間を延ばすことは、この国では枚挙に遑がありません(後略)

 一罪一逮捕一勾留が原則ですから、「再逮捕を繰り返す」ことはできません。
 再逮捕はいわゆる別件逮捕を指しているのだと思われますが、その点はこれまで問題とされ、時には裁判で捜査側が指弾されてきました。
 また、もし取調べまで弱められたらどうなるかという趣旨は、別件逮捕が行われても変わりません。もし「別件逮捕という武器があるから取調べが弱くてもいい」というのなら、取調べ撮影の代案に別件逮捕を公認することになります。逆に言えば、他の方法を強化すれば別件逮捕をする動機を奪うことも可能だ、とも言えます。
 ちなみに取調べ撮影の代案として出される手法は、大体が司法取引とか通信傍受強化などです。

>捜査というのは逮捕前から行われているはず

 実際、太田論文では、「長期間の内偵捜査とかをする場合もある」と返答し、ドイツのベテラン検事からなかなか理解が得られなかったと書かれていました。
 逮捕以前の捜査はばれたら一発で証拠隠滅や逃亡の恐れが高く、秘密裏にやらなければならないし、そうすると強制捜索どころか任意捜査すら使えないのですから、威力はガタ落ちします。
 それでつかまらなくなって、世論は許してくれるの?という話です。
(2011年03月02日 20時05分15秒)

取調べで何がしたいの?   しま さん
>本文の太田論文を掘り出してきましたが、フランスに関して年単位拘束があるのは事実です。

 欧米人の人権感覚はかなり日本的感覚から見れば不思議なものも多いです。
年単位の被疑者拘束をする(太田論文によれば珍しくない)フランス。

>日本でも逮捕勾留の期間をほぼ一律に23日で区切っている制度設計に問題がある(重大犯罪には短いし、痴漢冤罪を考えると23日は長すぎる)という指摘

これって、意味不明なんですけど、日本だって、23日間を過ぎても、特に否認をしようものなら、結審するまで拘束し続けているじゃない!
重大事件で、23日間経過後に保釈が認められるはずもなく、いったい、なにが言いたいのか理解いたしかねます。
逮捕前の内偵捜査とプラス23日で、それでさえ不服だという神経は、全くもって理解できません。

>一罪一逮捕一勾留が原則ですから、「再逮捕を繰り返す」ことはできません。

たとえば、死体遺棄罪で23日間、殺人罪でさらに23日間というような感じでいつもやっているじゃない!
『身柄拘束がきく23日の間に一気に勝負しなければ、もう後は逃げ放題、証拠隠滅し放題になる』というのは出鱈目であり、全く根拠がないです。

>ただ、取調べという武器を弱体化されたとして、「身柄拘束が23日」という面から見ると、日本の捜査機関の武器は貧弱であるともいえる

これまた、なんでそんなに取調べに拘るのか、理解いたしかねます。

失礼しました。





(2011年03月03日 00時44分48秒)

Re:取調べで何がしたいの?(03/01)   風の精ルーラ さん
>逮捕前の内偵捜査とプラス23日で、それでさえ不服だという神経は、全くもって理解できません。

不服とか何とか以前に、それじゃなかなかつかまらないという現実の話をしているのですけどね。
捕まらないという現実に不服を述べるのは警察や検察関係者じゃなくて、一般市民なのですよ。一般市民が警察や検察の尻をひっぱたくから、警察や検察はその範囲で必死になるのです。
一般市民が、つかまらなくても文句言わないと言えば、それでも捕まえたいと言って人権侵害を起こせばそれは検察や警察が全て悪いと言えるのかもしれません。
そうじゃないでしょ?と言ってるわけです。

>たとえば、死体遺棄罪で23日間、殺人罪でさらに23日間というような感じでいつもやっているじゃない!

死体遺棄と殺人罪は別の罪ですから、それは法的には全く問題ないのですけど。(死体遺棄に借口して殺人を調べるようなことをして初めて問題となる)

>『身柄拘束がきく23日の間に一気に勝負しなければ、もう後は逃げ放題、証拠隠滅し放題になる』というのは出鱈目であり、全く根拠がないです。

法的建前がそうであるのに、出鱈目、全く根拠がないとはおかしいでしょう。

>これまた、なんでそんなに取調べに拘るのか、理解いたしかねます。

既に「自白がないと困るのが日本の捜査だから」、と指摘しているはずなのですがね。



というか、取調べ可視化に賛成の私がなんで検察の弁護をしているのだろう(汗) (2011年03月03日 02時04分09秒)

現実的妥当性を指摘しているんです   しま さん
>一般市民が

一義的にはっきりしない「一般市民」という定義を持ちだされても、こちらが答えられるわけがない。

>死体遺棄と殺人罪は別の罪ですから、それは法的には全く問題ないのですけど

だから、だったらあなたが例にあげたフランスだとかのはなしと同じじゃない。その気になればできるんだもん。23日という原則がどうであれ、現実は違いますよ。

>法的建前がそうであるのに、

あなた、さっきは現実がどうの、とおっしゃっていたのに今度は建前ですか?
こちらは、建前のことなんか言っていません。
これも、現実的妥当性ということを言っているのであって、建前がどうであろうと、現実は、取調べで否認を貫こうが、あるいは黙秘を通そうが、逃げ放題、証拠隠滅し放題になんかなっていないでしょ、と言っているのです。
だから、『それじゃなかなかつかまらないという現実の話』って、違うじゃない。

>既に「自白がないと困るのが日本の捜査だから」、と指摘しているはず

憲法に自白だけで有罪にするな、とちゃんと規定されているのを知っていて、そんなことを言っているのですか?
『死体遺棄と殺人罪は別の罪ですから、それは法的には全く問題ない』とおっしゃるあなたが、こちらは無視しても良いとでも?

http://botugo.no-blog.jp/asia/2007/02/307__a0f4.html
>現状を眺めると、この日本には民主の精神どころか、法の精神も根付いていなかったのか、、と暗澹たる氣氛にもなります(w

失礼いたしました。 (2011年03月04日 00時48分29秒)

検察官にとって「法律」は「現実」です   風の精ルーラ さん
>一義的にはっきりしない「一般市民」(後略)

しかし、その一義的にはっきりしない一般市民の意識を常に意識しなければ、法律家は「時代遅れ」だの「市民感覚からずれてる」だのと叩かれるのですよ。

>だから、だったらあなたが例に(後略)

その気になったってできません。「殺人と死体遺棄」だから46日間できるだけです。
あくまでも「複数の犯罪の嫌疑がある場合に可能」というだけです。犯罪が一犯罪にとどまる限り、原則23日の壁は越えられないし、また死体遺棄の最中に殺人を調べることは制限が大きいのですよ。
殺人と死体遺棄は全く別の罪(併合罪)だから可能だ、ということです。

>さっきは現実がどうの(後略)

検察官が立ち向かうべき現実には、法的な建前だって入るのですよ。法律と現実が全く別ごとと考えてはいけません。
それに、前も指摘した通り、「別件逮捕があるから」という理屈で捜査は弱くない、と主張するなら、悪名高い別件逮捕をもっと大規模に認める、ということになります。
そちらの現状認識の適当性を抜きにしても、今の日本で別件逮捕とか否認がどうとか指摘した所で、取調べの可視化にはつながらない、或いは可視化してもそう言った問題ある手法を追認することにつながるのですよ。

>だから、『それじゃなかなかつかまらないという現実の話』って、違うじゃない。

「取調べがあるから現状程度で済んでる」と検察系の人たちは主張してるわけ。

>憲法に自白だけで有罪にするな(後略)

「自白だけ」の内容について、刑事訴訟法の教科書をきちんと読み直してください。自白を証拠にすることは憲法はみじんも禁じていないし、何について補強証拠が必要かも共通認識のある部分が多いのですよ。
 自白に頼らない立証を目指すならば、同時に他の証拠による立証も必要、ってのは学者や実務家の共通認識なんですがね。 (2011年03月04日 02時25分04秒)

憲法なんて糞喰らえってことですね!   しま さん
>しかし、その一義的にはっきりしない一般市民の意識を常に意識しなければ、法律家は「時代遅れ」だの「市民感覚からずれてる」だのと叩かれるのです

はっきりしないものを意識するってなんですか?
何を言いたいのか、さっぱり理解できません。
いったいぜんたい、どういうものが一般市民の意識というのか、矛盾の無いようにきちんと根拠を示して説明していただけませんか。

>「自白だけ」の内容について、刑事訴訟法の教科書をきちんと読み直してください。自白を証拠にすることは憲法はみじんも禁じていないし

憲法には、自白だけで有罪にしてはいけない(38条)、と書いてあると指摘している。
刑事訴訟法がどうであろうと、その憲法の規定に反することを認めることはできないはずなんだけどね。

>少なくとも、自白に頼らないで立証できる犯罪は意外と限定されているという現実をまず見詰める必要があります。さらに、その場合、自白から得られた客観証拠(自白で示された場所を調べたら凶器が出てきたような)に頼るのではなく、自白そのものを法廷で証拠としなければならないことも、決して少なくないのです。

あなたは、こう書いているんだもん。
要するに、検察に都合の悪い38条の規定なんぞ無視せよ、憲法なんて、糞喰らえだ、そういうことですよね!
よーくわかりました! (2011年03月08日 23時21分20秒)

俺様解釈は止めて勉強して下さい。   風の精ルーラ さん
>、どういうものが一般市民の意識というのか、

一般市民は、犯罪者がつかまらないことを許しません。
と言って、冤罪を出すことも許しません。
おそらく、多数派はこの両者の間に存在する緊張関係を理解していないか、法律家はその緊張の下でもなんでもできるありえない完璧超人だと思われているのだと思います。
本文のリンク先を読んでいただければ、それは何も私だけの感覚ではないことが分かります。

>憲法なんてクソ食らえ

憲法38条だって、自白「のみ」有罪を否定しているのであって、「自白+その他の証拠」で有罪にすることはちっとも禁止してないのですが。その上で、「その他の証拠」だけでは有罪には足りないけど自白をつけたら有罪に足りる、という現象も全く否定されていません。
例えば故意のような犯罪の主観的要素は自白があれば補強証拠不要なのが判例実務です。

俺様解釈で憲法38条を論拠にして人を悪党にしたてるくらいなら、憲法38条や刑事訴訟法319条の解釈論の基礎の基礎についてまともに勉強してからにして来て下さい。(本当は、条文をそのまま読めばわかるレベルだと思うのですがね)
まともな刑事訴訟法の教科書を読めば、憲法38条と絡めて刑事訴訟法319条は考えられているし、補強証拠がどういうものか、基礎知識は得られるはずです。自分が判例実務学説より優れた考え方をしているとでも自惚れてない限りは。
(2011年03月09日 17時13分26秒)

「合成の誤謬」   しま さん
>一般市民は、犯罪者がつかまらないことを許しません。
と言って、冤罪を出すことも許しません。
おそらく、多数派はこの両者の間に存在する緊張関係を理解していないか、法律家はその緊張の下でもなんでもできるありえない完璧超人だと思われているのだと思います

これは、あなたの勝手な主観でしかありませんな。
矛盾のないようにきちんと説明してください、と問うているのに…。
でも、それもそのはず、あなたは、社会科学では常識であるアローズ・ジレンマさえも理解していないから、社会的要求という概念が、社会全体の要求なのか、その社会の個々の人間の要求なのかということが、明確に区別されていない。
個々の人々が、合理的な判断をしようとも、社会全体としては不合理な判断をしてしまう(その逆もあり)ということも充分にありえるということが、ケネス・ヨセフ・アローによって、数学的に証明されています。
社会では「一般市民」で一括りできるほど単純であるはずがない。 (2011年03月10日 00時06分59秒)

「論点のすり替え」   しま さん
>憲法38条だって、自白「のみ」有罪を否定しているのであって、「自白+その他の証拠」で有罪にすることはちっとも禁止してないのですが。その上で、「その他の証拠」だけでは有罪には足りないけど自白をつけたら有罪に足りる、という現象も全く否定されていません。

論理学の分野では、こういうのを「論点のすり替え」というのです。
あなたは、「自白に頼らないで立証できる犯罪は意外と限定されている」「自白から得られた客観証拠(自白で示された場所を調べたら凶器が出てきたような)に頼るのではなく、自白そのものを法廷で証拠としなければならないことも、決して少なくない」ってはっきり書いているんですよ。
つまり、『自白のみでも有罪にしなければならないことはいっぱいある』と主張しておきながら、矛盾を指摘されるに及んで、『「自白+その他の証拠」で有罪にすることはちっとも禁止してない』だとか、『「その他の証拠」だけでは有罪には足りないけど自白をつけたら有罪に足りる』ということを持ちだす。
あげくに、故意のような犯罪の場合、判例で認められてる?!
だったら、その判例は間違っている、狂っている、とするしかない。

憲法を論ずる以前に是が非にも先ず理解しておかねばならぬ大原則は、「憲法が統治権力への命令であること」。
1、憲法が国民から統治権力への命令で、2、法律が統治権力から国民への命令で、3、憲法が法律に優越するとは、国民からの命令の範囲内でのみ統治権力は国民に命令しうるということ。(沒さん)

>俺様解釈で憲法38条を

「論点のすり替え」をする方に言われたくありません。 (2011年03月10日 00時10分03秒)

おかしいことはおかしい、と指摘する他ない   しま さん
>自分が判例実務学説より優れた考え方をしているとでも自惚れてない限りは。

憲法は権力に対する命令であればこそ、司法(裁判所)に対する命令も規定してある。なればこそ、裁判所がその憲法に反することをしているのだとしたら、絶対に許されない。
そのことを指摘することさえまかりならん、というであれば、何を言っても無駄ですね。 (2011年03月10日 00時14分03秒)

Re:取り調べ可視化に賛成はするけれど   鞍馬口 さん
なんでこのブログでルーラさんにいちゃもんつけてくる人は、こうも頭悪いんですかね。
お笑いとしては面白いですけど (2011年03月10日 00時45分50秒)

自分だけが先人より頭いいと思いこむのは本格的にヤバいことですが   風の精ルーラ さん
>これは、あなたの勝手な主観でしかありませんな。

確かに私の主観的な判断が多分に入ることは間違いないですが、国民世論を無視しているとして三権が叩かれることは別に珍しくもなんともないんですがね。
社会科学上の概念をいくらごねても、司法に求められるものは変わってはくれないし、また一般市民は「総体として把握するしかない」ものなのですよ。
それとも、市民感覚なんか一切無視して三権が活動しても全く問題ない、とでもいうのでしょうかね。

>つまり、『自白のみでも有罪にしなければならないことはいっぱいある』

はあの後に?を100個つけても足りないほど頭の悪い読み換えに失望しました。
私は「自白を法廷で有罪立証に不可欠なほどメインの証拠にする」ということしか語っておらず、「自白のみで有罪にしろ」というのはそちらの手前勝手な思い込みの読みでしかありません。先にいちゃもんをつけたのはそちらであり、それをひき戻そうとすると勝手に「すり替え」と評する態度には呆れるよりありません。

>だったら、その判例は間違っている、狂っている

自分は判例実務学説いずれよりも優れた解釈をしているんだ、ということですか。
そういった立場を批判する自由はあるにしても、今全く採用されていない自説を押し立てて、私相手に食い下がられても困ってしまうとしか言いようがありませんね。文章を読む限り「今全く採用されていない考え方である」という自覚もなかったようですから、勉強もしていないのでしょう。
そんなんで、誰がそちらの解釈を信用するって言うのでしょうかね。 (2011年03月10日 01時39分50秒)

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