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テーマ:診察室の窓(72)
カテゴリ:日々の風景
土曜日から帰省していたのですが、母親が炊事をしながら話すのは、孫の事と過去の思い出。
いろんなことがあったのに不思議と、みんないい思い出になってるんです。 12月10日は、たまたま父親の命日で母親に言われるまで忘れてました。 白い雪がゆっくりと降りてくる夜を、母親とあれこれ話していると、一人で布団に入ってから色んな事が思い出されてきました。 父親が亡くなってから、もう21年にもなるのかというしみじみとした感触と、豊かとはいえないけれど今の平穏な生活に有り難いなと。 平成元年に開業したのですけれど当初から、なぜか難しい病気を患った人たちが来てくれて、その当時の患者さんには今でも申し訳ない気持ちいっぱいなのですが、それ以上に自分の腕の未熟さをイヤというほど思い知らされたつらい時期でした。 ちょうど開業三年目、臨床でも追い詰められた気持ちになっていたときに、父親に肺癌が見つかったのです。 検査の結果は、小細胞癌で余命半年。 母親と全く同じです。 当時僕の腕では、手も足も出ないといった状態で、つらくてつらくて、もうこの仕事をやめようと思ったのもこの時期です。 父親の意向は、 1.この状態で痛いこと、辛いことは嫌だということ。 2.家で死にたいということでした。 奈良の師匠となる人の所へ週2日通院。 確かに半年の命でしたが、鎮痛剤も酸素補給も行わず、最後まで自分でトイレに行って、ご飯を食べて・・・その直後、「ちょっと息苦しいので横になる」と言ったのが最後でした。 鍼で、ここまで出来るんだというのが、僕の大きな励みになって今もこうして鍼を握っています。 自分の中がはっきりしました。個人的な僕の信条。 『何があってもまず家族に信頼される鍼』 これです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年12月10日 18時59分03秒
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