御聖訓一読集
(地涌倍増と大結集) 【十二 日】・・・・・《弘長元年5月12日・・・伊豆配流》 《文永8年9月12日・・・竜ノ口の法難》 《弘安2年10月12日・・・本門戒壇の大御本尊御図顕》 本より学文し候ひし事は、仏教をきは(究)めて仏になり、恩ある人をもたす(助)けんと思ふ。仏になる道は、必ず身命をす(捨)つるほどの事ありてこそ、仏にはな(成)り候らめと、を(推)しはか(量)らる。既に経文のごとく「悪口罵詈」(あっくめり)「刀杖瓦礫」(とうじょうがりゃく)「数々見擯出」(さくさくけんひんずい)と説かれて、かゝるめに値ひ候こそ、法華経をよむにて候らめと、いよいよ信心もおこり、後生もたの(頼)もしく候。 『佐渡御勘気抄』・・・・・御書482頁 『通 解』今まで経論を学んできたのは、仏教を習い極めて仏になり、恩ある人にお返しして救っていこうと思ったからである。仏になる道は、必ず身命を捨てるほどのことがあってこそ、成仏できるものと拝せられる。すでに経文に「悪口罵詈される」「刀杖や瓦礫をもって迫害される」「しばしば擯出される」と説かれているように、このような難に遭うことこそ、法華経を身をもって読むことになるのだと、いよいよ信心も起こり、来世も頼もしく思われる。