恋しい人には会いたいじゃない?
恋するほどに恋慕する思いが湧き出してくるから、渇仰恋慕なんですよね。お会いしたいじゃないですかぁ~恋しい方には・・・ ず~と離れていてさびしいでしょ。普段の忙しさに紛れて忘れちゃいますか? いやいや~~会いたい気持ちは何をしていても湧き上がるものですよね。 お会いした時を思い起こせば、胸がキュッてなりませんか?今度はいつお会いできるんでしょう。その日が待ち遠しくて待ち遠しくて・・・・ そのような思いが恋慕なんではないですか? 会ったことも見たことも話したこともない人を恋慕できるでしょうか?ちょっと無理よね。 大聖人様はご自身にお会いになることを促されてるんですよ。 南条殿御返事(平成御書1569ページ)「かかる不思議なる法華教の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。法妙なるが故に人貴し、人貴きが故に所貴しと申すは是なり」「この砌に望まん輩は無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」 『南条殿御返事』「御使ひの申し候を承り候。是の所労難儀のよし聞こえ候。いそぎ療治をいたされ候ひて御参詣有るべく候。」 南条殿御返事 弘安四年 九月十一日 御述作 『彼の月氏の霊鷲山は本朝此の身延の嶺なり、参詣遥かに中絶せり 急急に 来臨を企つべし、 是にて待ち入って候べし、哀れ哀(あわれあわれ)申しつくしがたき御志しかな・御志しかな。』 四条金吾殿御返事(平成御書1502ページ)「今此の所も此くの如し。仏菩薩の住み給ふ功徳聚の砌なり。多くの月日を送り、読誦し奉る所の法華経の功徳は虚空にも余りあるべし。然るを毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。弥はげむべし、はげむべし」 日寛上人様のお名前は顕正会でも聞かれていますよね。日寛上人『寿量演説抄』「金口の相承と申て一器の水を一器に瀉が如く三大秘法を付属なされて大石寺にのみ止まれり、未だ時至らざる故に直に事の戒壇之なしと雖も既に本門の戒壇の御本尊在す上は其の住処は即戒壇也。本尊に打ち向かひ、戒壇の地に住して、南無妙法蓮華経と唱る則は本門の題目也。志有ん人は登山して拝し給え」(歴代法主全書4巻145ページ) 大聖人様にお会いしに行くだけでも「無始の罪障忽ちに消滅し、三業の悪転じて三徳を成ぜん」と仰せです。 お会いしただけで罪障消滅が叶っていくんですよ。これほど慈悲深く、ありがたい大御本尊様になぜお会いしてはいけないのでしょうか? 大聖人様御在世に限ってではないですよ。『常住此説法』・・・常に住して法を説いていらっしゃるんです。本門戒壇の大御本尊様は即、生きておわします大聖人様と拝するのです。なので、大御本尊様にお会いしに行くのです。