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雀坊の納戸~文鳥動向の備忘録~

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2015年05月24日
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2015年3月
4日
 自転車でA病院に行く。周辺を確認しつつ、約束の20分前には到着し、この病院のソーシャルワーカーY氏から入院した場合の説明を受けた(Y氏は女性で真面目そうな方であった)。その後、医療面や介護システムに関する話を、院長先生からお伺いした(院長は男性で高校のベテラン理科教師風であった)。内容は予想の範囲内だが、特に悪印象は持たなかった。受け入れ可能か否かは、現在入院中の病院へ連絡するとの由で、こちらで出来ることはなかった。
 一旦帰宅して、続いてK病院へ自転車で向かった。約束の20分前に受付に申し出て、しばらく、待合で眠っていると、呼び出しがあり、看護師長のM氏との面談となった(M氏は年かさの女性で痩せた気風の良い面倒見の良さそうな印象であった)。親切に病室の案内もしていただいたが、この病院はそもそも病室数が少なく、通常の4人部屋が存在しなかった(人工呼吸器患者用一室有り)。つまり、差額ベッド代が必要で、3人部屋でも1日2000円、月に6万円ほどが必要となってしまうとのことであった。
 自分で好き好んで長期入院するわけではなく、その家族に責任があるわけでもない。ただでさえ、時間に追われている社会人を、昼日中に、受け入れ先を求めてわざわざ面談させ、しかも前提条件に合わないところに赴かせてどうするのだろう?病人の相手をしているうちに頭が風邪でもひいてるのではないかと思えた。


5日
 ソーシャルワーカーS氏より電話があったので、K病院には3人部屋しかなかったこと、A病院は担当医に連絡するとのことを伝えると、すでに受け入れ可の連絡が有ったとのことであった。断る理由はないので、転院先はA病院として、話を進めてもらうことにした。
 その後、再度連絡があり、来週の平日のいずれかで、午前10時にA病院へ搬送予定とのことで、9時に準備と付き添いのため、家族に来院してもらいたい、とのことであった。


6日
 転院については、いちおう本人にも伝えておかないと、突然ガタガタ移動しては驚くだろうと考え、補聴器と地図を持って病院へ行った。しかし、左耳の後ろに栄養注入の管があったので、イヤホンをつけられず、また、左目は透明テープで止めてあり、めくってみたが開かないようだった。仕方がないので、ひととおり口頭で説明した。
「容態が安定したので、数日後に他の病院へ移る予定。移る先の病院は、M図書館の方向にある。地図ではM図書館がここで、病院はここ・・・」
 おそらく、本人も楽しい妄想の果てに死ぬ予定だったのに、意識が有り続けるので、数日前から説明を受けたいと思っていたに相違ない。昨日面会した母が看護師さんに聞いたところでは、目をテープで止めるのは、開けても閉じられず目が乾いてしまうためらしいのだが、話を聞くと、右手をやたら動かすようになったと言うのだ。それこそ、説明を聞きたくてウズウズしていたのだろうが、目が見えないと理解は難しかったのではなかろうか。残念なところだ。


9日
 正午近く、ソーシャルワーカーS氏より、転院は明日予定との電話連絡有り。今日明日の話に、選択の余地があるとも思えないので、その時間帯は甚だ不都合だが、結局、私が行くことにした。午後6時近くに再度電話があり、介護タクシーを手配した旨と、費用が8,500~9,000円必要だが良いか、との事であった。良くないと言えばどうにかなるのか、尋ねてみたくなったが、「そうですか」としか言わなかった。


10日
 午前9時の少し前に、自転車で病院へ。6階のナースステーションに転院の旨を伝え、退院時の精算の案内を受けた。精算のため1階に降り、自動支払機を見ると診察券が必要とあったので、病室に戻り、看護師さんに探してもらい、無事精算。再び病室に戻ると、昨日、いらないものを出来るだけ持ってきておくよう母に言ったはずだが、タオルやら何やらいらないものが全て残っていたので、それやこれやを手提げカバンやビニール袋にギューギューと押し込んだ。しばらくして現れた介護タクシーの運転手さんと看護師さんたちによりストレッチャーの上に「梱包」された病人ともどもに正面玄関に降り、介護タクシーに乗ってA病院に向かう。それにしても、病人の搬送として、このような自由放題な感じで良いのだろうか?病院とは、ずいぶん無責任なものだと思えた。
 10時前には着き、必要書類に署名などをし、タクシーの精算をし、診察の終わるのを待ったが、なかなか終わらず、その後2階に移動し、必要とされたのは電気ヒゲ剃りのみなので(身の回りの品はレンタル)、それを渡し、いつまでかかるのかと、このごちゃごちゃした町病院の手術室前のベンチで途方に暮れていたら(看護師さんの詰所の前が手術室)、例の院長先生がやって来て、話に聞いたより状態が良好で、「胃ろう」が可能かもしれず、その場合、特養でも受け入れ可能になる、と仰った。
 その際「胃ろう」についても説明を受けたが、それが胃に直接管を通すことだというくらいは知っていた。延命処置となるため、是非が問題になっているはずだが、それにより特別老人ホームでも受け入れ可能になるとは、案外な話であった。確かに入院が長期になるなら、そうするより他にないかもしれない。ただ、特養はどこも定員いっぱいで、入所を希望しても入れない待機老人がはなはだ多いとも聞くので、また、大変なんだろうと、不吉な予感を覚えた。我が家の周りは老人ホームだらけで、特養もいくつかあるが、それほど簡単ではないと予想された。
 どうなることかと思っているうちに、せまい3人部屋の病室を案内された。確かに父はそこにいたが、意識があるのかないのか微妙で、特に何もすることがない。こちらは種々多忙で時間に追われているので、世話をされている看護師さんに「よろしくお願いしま~す」と言って階段を下りて帰ってしまうことにした。玄関口の事務所(入院受付)に、必要書類と入院保障金(5万円)を提出し、バスで帰宅した(11時45分着)。


17日
 そろそろ何かしら必要があるような気がしたので、1週間ぶりに自転車で病院へ行く。より頻繁に面会に行く母より、目を開けている旨聞いていたので、また印刷物を作って現状を説明することにした。受付のあたりで、見覚えのある看護師さんだか職員さんだかに遭遇し、サインが欲しい書類があるとのことだったので、その書類が来るのを病室で待った。病人は鼻から栄養摂取中で、顔色は良くなっていた。つまり、誤嚥しにくくなったものと思われた。目が開いていて、何となく説明を求める気配なので、用意してきた印刷物を見せた。
 「3月17日(火曜日)某系統バス某公民館前のA病院に転院して1週間」
 「塩辛いものを食べたり、間食したり、してはいけないことができないせいか、病状は安定しているらしい」
 「医療センターは救命病院なので、長期の入院は不可。→転院が必要この病院は病気療養型で、半年程度は入院できる」
 必要としていた情報を得たのか、病人はこのあたりで眠ろうとし始めたが、構わずに続けた。
 「今後、お腹に管を通して、胃に直接、栄養や薬を送る「胃ろう」を行う可能性あり。→首に邪魔な管がなくなる」
 「→病院以外で扱いやすくなる。→特別養護老人ホームに移れる可能性あり」
 完全に眠った。ようするに、なぜ転院しなければならなかったのかだけ、知りたかったのだろう。持ってきてもらった書類にサインし、さっさと帰ったが、帰宅後、病院より連絡があり、来週にも胃ろう手術を行いたいので、その説明のため金曜日午後に来院して欲しいとのことであった。





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Last updated  2015年05月24日 16時02分01秒
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