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ブログをやってる方の多くが目にされたかもしれない。6月6日に配信されたITmediaニュースの記事だ。はじめの数行を読んで私もびっくりした。
~ここから引用~ ブログの発展が一番恐い。これまでテレビや映画、新聞が差別を拡大再生産させてきたが、もっとひどいことが起きてしまうのでは・・・「改訂版 実例・差別表現」(ソフトバンククリエイティブ)を出版したジャーナリストの堀田貢得さんはそう危ぐする。 同書によると差別表現とは「他者の人権を侵害し、人間性を深く傷つけ、苦しめ悲しませるような表現」。誰もが持つ基本的人権――自由と平等の権利や人間らしく幸福になる権利――を侵害するような表現だ。 差別意識が向けられるのは「弱い」人たち。日本では被差別部落出身の人々や、さまざまな障害のある人、在日外国人、アイヌ民族、女性、老人、子どもなど。世界に目を向ければ、少数先住民族や黒人などが、いわれのない差別の対象になってきた。 出版やテレビ業界は、差別表現について、1960年代から人権団体の激しい糾弾を受けてきた。人権団体が番組や記事、広告などで差別表現を見つけると、責任者を呼んで糾弾会を開き、根底にある差別意識を厳しく問いただす。場合によっては謝罪広告を出したり、書籍や雑誌の場合は絶版になるなど、経営的にも痛手を受けることになる。 糾弾の経験を経て学習したマスメディアでは、自主規制が進んだ。堀田さんが小学館在籍当時にいた部署も、自主規制の最前線。差別表現に関するレクチャーを開いたり、編集者からの差別表現に関する問い合わせに対応し、「なぜその言葉がダメなのか」を、納得するまで説明していたという。 堀田さんが心配するのは、そういった経験のない一般個人が、ブログなどを通じて、自由に情報発信するようになった現状だ。SNSの日記やケータイ小説、バナー広告の宣伝文句――ネットが広げた表現手段すべてに、差別表現の危険がひそむ。 「テレビでも雑誌でもネットも同じ。表現者は、何が特定の人を傷つけるかに思いをはせ、表現するための知識を持たなくてはならない。それを全く意識せずに発信している人がいるとしたら、強い危ぐを感じる」 ~引用ここまで~ 上からの「教育的指導」を思わせる雰囲気にブロガーは猛反発?ジャーナリストとして経験を踏んだ筆者が、無知なブロガーのみなさんに教育的指導を施してあげますよ、という雰囲気に、「絵に書いたようなマスコミ関係者の傲慢さ」というのを感じてしまった。「ネット社会には、世論を形成し、体制を動かすパワーは存在しない。ジャーナリズムが存在しないからである。」という堀田氏の考えそのものが、なんとも前時代的なものを感じさせる。ニュースのコメント欄に、批判のコメントが殺到しており、ブロガーの間の反響も大きかったようだ。まるで「記者ブログの炎上」を思わせる。 ブログで発信する=人に読まれる、とは限らないブログを開設し、こまめに更新していても、読み手はなかなか増えない。無人島にお店を開いて、漂流してくる人を待つのと同じ、というのが個人ブログの宿命だ。堀田氏は「ブログの発展が一番恐い」というが、恐い存在になれるほどアクセス数をとるブログは、ごく一部ではないか?ブログが匿名の、無責任な書き込み媒体に過ぎないと定義するならば、もともとそこに期待するものはしれている。堀田氏も自分で「ネット社会に世論を形成する力はない」と言いきるのだから、ほとんどのブログは無視してもいい存在、ということになる。それより圧倒的存在感のある某掲示板についてどうお考えなのだろうか。 言葉狩りへの不満・既存のマスメディアへの不満ブログや匿名掲示板が爆発的に発展していった背景には、既存のマスメディアに対する不満と裏表であることを、堀田氏はどれほど認識しているのだろうか。確かに「糾弾の経験を経て学習したマスメディアでは、自主規制が進んだ」のは事実だ。ところが自主規制が進んだ挙句、差別の実態が何であるのか、非常に分かりにくくなった、と言える。既存のマスメディアが「人を傷つけないから自分も傷つかない」という偽善の世界を演出し、そのくせ糾弾してくる恐れがない対象には、なりふりかまわずバッシングの嵐・・・マス・メディア上の弱者とは、マスコミという権力に徒党を組んで対抗できない人、というのが実情ではないか。「弱者の定義」が実社会の実態とズレてくると、人々は不満を持って当然だと思う。 人々の本音と真実が見える「利点」を活かす方法は?ブログや匿名掲示板で、差別用語が野晒しになっているのは、既に多くの人々にとって織り込み済み、というのが実情だと思う。そこから人々の本音や真実を見い出し、背景にある問題を探っていこう、とする意欲的な取り組みがなぜ無いのか。ネット社会も、既にいろんな意味で「自主規制」が進んでいるが、言葉狩りばかり進んでしまえば、さらに社会の根底にある諸問題を掘り起こすことは難しくなる。とある差別表現がネット上で散見されるならば、それはなぜなのかを考えるのは、それこそジャーナリストの役目だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2008.06.14 15:23:51
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