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テーマ:鹿児島の風景(40)
カテゴリ:鹿児島在住時代
鹿児島市に住んで九ヶ月、街のあちこちに西郷さんの影を感じることは出来るが、太平洋戦争の傷跡を感じることは不可能だ。鹿児島空襲で三千人の死者を出したのは事実だが、西南戦争では、もっと大勢の命が奪われた。先の戦争とは、西南の役である!これが鹿児島市内の「雰囲気」だ。鹿児島市内に城下町の風情は消えているが、それは空襲以前に、西南の役や薩英戦争で壊されてしまっている訳である。明治維新のインパクトが如何に大きかったかが分かる。
しかしながら、鹿児島県内は太平洋戦争の最前線であった。鹿児島空襲は前哨戦に過ぎず、連合軍は南九州への上陸作戦を決行する予定であった。8月15日を過ぎてもなお戦争を続けていたならば、水平線の向こうから史上空前の上陸船団が姿を現したのである。そして九州全域に毒劇物がばら撒かれ、文字通り草木も生えない地獄が待っていた。本土決戦に備えて、県内の多くの箇所は要塞化され、厳戒態勢であったのは言うまでもない。今現在の、のんびりした鹿児島県内の雰囲気からは想像も出来ないことだ。 ところが知覧へ行くと、やはり特攻平和会館がある性か、太平洋戦争の爪痕を感じることが出来る。というか、ここまで来ないと太平洋戦争を感じることは出来ない、という言い方も出来る。75年も経てば、記憶の風化は避けられない。 木立の中で翼を休める戦闘機は、映画の為に作られたレプリカ。点在する林の中に飛行機や兵舎が巧妙に隠されていた。米軍機も必死になって特攻基地を捜索していたのだ。 三角兵舎も復元されている。特攻隊員が、出撃までの日々を過ごした場所だ。特攻隊員に対して、地元の女学生が「なでしこ隊」を結成して奉仕活動を行った。こういう事になると、必ず起きるのが思いがけないトラブル。ある女学生が「私も連れてって!」と、彼氏の乗る戦闘機に乗り込もうとして大騒ぎになったとか。 月光ソナタのピアノ 「月光の夏」という映画がある。鳥栖国民学校の音楽室で、音大出身の特攻隊員が知覧へ出発する前に「月光ソナタ」を弾いた、という言い伝えを映画にしたものだ。てっきり、その通りの話かと思ったら危なかった。史実は正しく理解しなければならない。鳥栖国民学校に来た士官は、パイロットではあったが、後で調べたら特攻隊員では無かったらしい。しかも、このピアノは鳥栖国民学校のピアノでは無く、実物は鳥栖にあるそうだ。おいおい、紛らわしいよ。 いつか、ここで月光ソナタを演奏する事もあるのだろうか。個人的に思ったのは、月光ソナタに特攻機は「似合わない」ということ。ベートーヴェンは、そんな事をイメージして作曲した訳では無いのだ。この空間に、音楽が介在する余地は見い出せない。下手にBGMなんかが流れると、間違った感情が増幅するような危険を感じる。それほど此処は、デリケートな場所なんだと思う。 さて、この辺はまだ特攻平和会館の入口に過ぎない。ここから先は撮影不可の聖なる場所である。英霊に最大限の敬意を払いつつ、じっくりと展示を見学するとしよう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.06.19 22:51:21
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