2008年元旦
1月1日(火)まことにおだやかな天候、我が家の周辺はスケートリンク状だが、実家近くの路面は乾いてまるで東京の冬のよう。明るい日差しに、よい年明けを実感させる。元旦の朝は、お雑煮を食べて9時過ぎに夫が出勤、という生活が20年以上続いているだろうか。夫が終日ゆっくりできると約束できるのは、大晦日とお正月休みの中の1、2日のみ。昨年は暮れの30日にプチ旅ができたが、これは非常に珍しいこと。今年は暦の上での夫の正月休みは6日までだが、例年のごとく細切れ出勤が続き、終日家に居られるのは1月2日のみ。それぞれ自宅に居たいという母と夫に合わせる形で、私が動くしかない。「本当は、お正月に食べるんだよ、おせちは」の母の言葉に、十分わかっているけど我が家の事情は30日から1日までがおせちを食する期間。今回も朝食はお雑煮メインとおせちの残りを少々。8時にはこれを済ませて、夫は出勤・私は実家へと準備を進める。9時のバスで実家行きだ。さすがに元旦の朝のローカルバスは、人影が見当たらない。乗り始めから40分ほどのJRバスは、私ともうひとりの貸切り状態。明るい日差しの中、いつもの路ながら、車窓から景色をじっくりながめる。乗り継ぎ駅の新札幌の商店街は、元旦からオープン。バスや国道沿い通りの人通りの少なさと打ってかわり、開店を待つ行列の店も少なくない。せっかくだからと1時間弱、初売りの店を流し見して、実家着は12時少し前。喪中だけど、父を偲びおせちは第一ホテルの一人分を注文したと言う母。「あんたが来てくれるから、一緒に食べようと思ってて待ってたよ」やや、やつれた表情で、玄関のドアを開けてくれた。父のお参りを済ませ、母とワインで乾杯。今回は、まずいサトイモの味付けで、我が家のおせちの印象を悪くしたことを心の中で夫に詫びつつ、母娘でホテルの料理を味わう。15年前に亡くなった祖母が生きていた時代からの、実家では恒例のおせち。昨年のことが思い出せないのよ、という母の言葉で、ブログ記載を確かめてみると、昨年元旦は早朝に病み上がりのからだで藻岩山の山頂に立ち、母ひとりのおせちは31日の配食弁当で済ませていた。6日に父を施設から実家に連れてきて、少しだけのお正月気分を味わう、そんな昨年。2日は毎年、大勢の教え子が訪れていたけれど、昨年からはなし。気楽よと思いつつも寂しさが母の顔に漂う。ほぼ1週間ぶりに会った母と、すべて半分ずつにしたおせちを、おしゃべりしながら、たっぷり時間をかけて味わう。母の年齢(76歳)ともなると、未亡人の立場の人も少なくない。母にとって、父と共に過ごせない寂しさから逃れられない時期ではあろうが、母娘でじっくり食卓を囲めるのは、幸せなほうだろう。12月24日の北海道新聞・30日の読売新聞に出た父の追悼の記事を話題にしつつ、話が弾む。元旦の公共交通機関は、稼動時間がいつもより短い。夫も15時過ぎには帰宅する。こんなわけで、14時半過ぎには実家を後にして、帰路につく。17時半に帰宅。「おなかすいたよ」の夫の言葉にうながされ、あわてて夕食の用意をした。