偲ぶ会
8月17日(日)午後9時55分昨日は午前中、雨が降ったが、午後からは快晴。気温も高くなく、湿気が少なくて過ごしやすかった。昨日の午後1時から、札幌の老舗ホテルの大ホールで、昨秋亡くなった父を偲ぶ会が開かれた。父の音楽関係の教え子たちが中心となって、献花・回想DVD観賞・献杯・思い出話・演奏・記念撮影など順に、会を執り行なってくれたもの。指揮者の妻である母・教え子のひとりでもある私も列席。6卓に分かれて57名が食を楽しみながら、それぞれの音楽へのこだわりや、父の回想でひとときを共有した。DVDで見る数多くの演奏会シーンには、時折、爆笑が起こる。父を偲ぶ3名(オーケストラのプロデュース側の会社・教え子ふたり)が語った思い出話では、父への不満・父の偉業をたたえた涙ありなど、外での私の知らない父の顔も、うかがい知ることが出来た。即席の演奏には、会の参加者の半数近くが参加。軽やかなメロディーを、メンバーが楽しげに奏でてくれた。7月の追悼コンサート(119名の団員・90名の合唱団員・1750名の観客)観賞同様、母は和服で凛とした姿を見せ、会場の列席者を安心させた。次々と母の元を訪れ、思い出話に花を咲かせる父の教え子たちの姿を横目で見ながら、私は感謝の言葉を述べるために、飲み物を持って円卓を回る。40年ぶりにお会いした方もいた。私へ、指揮者の家族としての労をねぎらう言葉を戴いたり、古い思い出話で盛り上がったり、母の回復ぶりに喜びの声が寄せられたり・・・・あっというまに3時間が過ぎ去ったが、心配した母の疲れも少ないようだ。出席者全員の記念撮影終了後、すぐに母と2人でタクシーに乗り、実家に戻る。着替えしてほどなく、「偲ぶ会」出席者のうち延べ人数にして20名ほどが、母の元へお菓子・飲み物を持ち込んで集結。1昨年、母が倒れる前まで、父を慕った教え子たちが、よく実家に集まっていた場面が再現された。母は疲れも見せず、父が生きていたときと同様、すべての人たちと話をしている。数10年前にも遡る母の記憶力はおそるべきものと、いつも以上に感じた私だ。実家での宴もたけなわになって、「偲ぶ会」会場でいただいて披露しそこなった記念品の包みを、母が広げた。みんなが注目する中、包みの中から現れたのは、蓋にトランペットとヴァイオリンの象嵌細工がほどこされ、蓋裏に音符を追い指揮をする父の姿が影絵風に彫られたオルゴール。中の針は、通常の17本を大きく超えた30本で軟らかな音色の、父が好きだったとされる曲。流れるオルゴール音に、ざわめきや笑いがしばし止まり、静まり返る。父への供養は、教え子たちの心が伝わる形で、母の120%満足いくものだったように、私には見えた。午後9時半に、みんなが実家を辞し、22時に片付けを終え、私もほっと安堵。母とふたりで乾杯をした。