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テーマ:★留学生活★(629)
カテゴリ:じょんどー的めぢあ文化論
クラスで「広告は健全なジャーナリズムを阻害するか?」というディスカッションがあった。
「そもそも『ジャーナリズム』って何よ?」てな時点で議論の余地があるんだけど、 ま、それは一旦置いておき、 要は広告がどれだけニュースの内容に直接的・間接的な影響を与えうるか、ってな話。 また、広告のみならず、その広告に影響を与えうる消費者(ボイコットとかね)、 社会的環境もろもろも考えてみるとどーなるよ?といったラインで議論、盛り上がる。 某インターネット上の大規模掲示板でもそういう話、よくあるよね。 「こんにゃくゼリーは十分に広告出してないからニュースで叩かれた」 「電通が韓流の話題を無理やりニュースにねじ込んでる」 「ニュースが売国的で嫌いだからスポンサーしている企業の不買運動起こそうぜ」 とかとか。 ま、結論から言えば 影響しているとも影響していないとも言い難いmってところで、 なんじゃそりゃ、ってな感じではあるんだけど・・・ ひとつ言えることは、アメリカでも日本でも(おそらくほとんどの国で) 広告を扱うビジネスの部局と、実際に記者が所属する報道の部局には大きな壁があり、 さらに「どうやって記者がニュースを集め、デスクが紙面を決定するか」を詳細に見れば 直接的に広告が記事の内容を決めるとはいえないんじゃないか、 ってところなんじゃないかと。 そういえばアメリカだとあまり関心持たれないかもしれないけど、 公共放送や国営放送に関してはどういう分析になるんですかねー? 例えばBBCとかNHKとか。 ああ、さらに言えば中国のメディアとか。 簡単に「政府によってのみ規制される」とも言えないだろうし。 さらにそういうメディアが「公共放送」として存在している大きな理由は そういう広告などの影響を受けないようにするため 「公共」のために存在しているというところだと理解するんだけど、 そういう理由やその背後にある懸念には意味がない・・・と言い切れるんだろか? とか言い出したらすっかり時間切れでクラス終わる。 最後のは僕がクラスの終りのほうで突如言い出して時間大幅に延長させてしまった話。 すまんクラス。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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