テーマ:京都。(6114)
カテゴリ:旅行
鴨川沿いの納涼床の歴史は、意外と古く、江戸時代にさかのぼります。裕福な商人が、中洲や浅瀬に床机を置き、お客様をもてなしたのが始まりとされています。 明治27年(1894)疏水運河の完成によって、東岸のお茶屋の床が取りはらわれ、明治末年の四条大橋の架け替えによって市電が開通してからは、川原の夕涼みはまったく廃止されてしまいました。 現在は、右岸の先斗町や木屋町の料亭旅館に設けられた納涼の床だけが許可されているようです。五山の送り火の日などは、どこの「床」も満席で、舞妓さんが杯に大の字を写し飲むという風景が見られます。 京都では、五山の送り火の日に杯や盆に大の字を浮かべ飲むと、1年間無病息災にて過ごせるという古からの迷信があるのです。 昔は6月から、もっと大昔は7月からでしたが、最近になり温暖化の傾向等もあって、5月から行われるようになりました。 また鴨川の納涼床は、歴史ある老舗のお料理屋さんから中華料理屋さん、イタリアン、またバーなどもあり、若い方や初めて京都を観光される方などが気軽に多く利用しやすくなっています。 小生、若くはありませんが、いつも一人旅なので、格式ある料亭は敷居が高く、容易に門をくぐれません。しかし、一度は経験したかったので、今回は思い切ってバーに入ってみました。 店内は冷房が効いています。が、鴨川に張り出した床に坐ると、じわっと暑さが襲ってきました。我慢して、まず生ビールを。 バーテンと世間話をしながら、オリジナルカクテルをお代わりし、1時間ほど過ごしました。暮れなずむ鴨川の風景は、いかにも古都の風情を醸し出していますが、至福の時とは言えません。依然として、蒸し暑さが解消されないからです。 清水道でもビールを飲んでいたので、酔いが中途半端に復活。とりあえず納涼床を経験したことに満足し、暗くなった先斗町をあとにしました。 空は曇っていて、月も星も見えません。依然として蒸し暑い夜の街を、ネオンの光を浴びつつ、漠然とアバンチュールを求めて、祇園通り、縄手通り、木屋町通りを徘徊する中年ジュリーがいるのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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