カテゴリ:経験したこと!
昭和52年(1977年)に、福岡から逃げるように横浜の某大学の夜学に入学しました。
中学までは、そこそこの優等生で生徒会長になったりしていましたが、高校になり全く勉強せず、成績は最低になり、お情けで卒業させてもらいました。(M先生ありがとうございました・・・笑) 本当は、昼間の大学に行きたかったのですが、貧乏な家でしたので金もなく、成績も足らず、夜学に入学しました。 成績が良ければ、奨学金や新聞配達で行けたでしょうから、言い訳に過ぎません。 そこで、昼間の仕事を探し、道路工事の警備員を少しやり、その後アキレス靴の販売会社の倉庫で働きました。社員の方に色々と可愛がっていただき今でも感謝していますが、倉庫の地味で退屈な仕事が嫌になり半年で辞めてしまいました。 しかし、そこではメーカーと子会社の販売会社の落差というものを知り、勉強になりました。給料、待遇あらゆるものが違います。メーカーから販売会社に左遷された人などは、そのギャップにショックを受けていたのを覚えています。それを見ていたので、余計辞めたいと思いました。 さて、今度は職探しです。退屈な仕事は嫌でしたので、ついつい魅力的な求人広告に惹かれてしまいました。 「一日1万以上可能!若い人ばかり職場です。・・・・・」 とにかく、金と若い人ばかりに惹かれました。倉庫番での収入は、月に8万か9万位だったと思います。家賃、食費、学費などでヒーヒー言っていましたので、正に渡りに舟でした。 当時の下宿は、4畳半家賃1万円で共同水道、共同ポットン便所、風呂なし、日当たりなしでした。福岡でも郡部の貧乏人でしたので平気でしたが、これで贅沢ができる、家に仕送りもできるとバカな考えで頭がいっぱいになってしまいました。 知らないということは、これほど強いことはないかもしれません。 面接に行ったのはマンションの一室で、怪しい雰囲気でしたが、金のことしか頭になく、二つ返事でした。 「で、いつから来れる」と聞かれたので、「はい、明日から・・」 バカでした。本当に知らないということは、恐れるものなどないのです。 そして次の日・・・・続きは明日! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004/08/07 11:09:18 AM
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