雨の音しか聞こえない夜。
はしり梅雨というのだそうですね。今日からしばらく続く、梅雨の前触れのような、こんな雨のことを。 梅雨、と考えるとげんなりする気持ちがある一方で大好きな花が次々と咲く季節に、心がわき立つ頃ともいえて。 古刹にて。連なる寺社の建物と花々との長く静かな語らいを耳にしたような気がして暫し佇む。というか、佇みたくなるけれど、例えば、あじさいの頃の明月院ともなれば、そうもいかなくて。ただ雨の頃の花は、水のきらめきをまとうから、何でもない路肩にあっても美しい。傘のひさしごしから、車窓ごしから、目を捕らわれる。花々がささやき合う声を聞くような気がして、耳もまた捕らわれる。あじさい。花言葉は、移り気。白い花は、気の迷い。空色は、冷淡。花が知ったらどう思うだろう。この花言葉を。この淡く綾なす花々ゆえに、そういわれるの? 私が、もしもあじさいだったら、少しさびしく思ってそして苦く笑うだろうな。でもね、他の説もあるのです。「辛抱強い愛情。元気な女性」という花言葉。こちらのほうがず~っといい、合っている。雨を彩る花、あじさい。今日6月2日の誕生花。 外からは雨音しか聞こえてこない。街の喧騒は雨の扉の向こうにあるようでまるで聞こえてこない。それでも、夕方までは鳥のさえずりが聞こえてたのに。空は、深く玄く。ななすけも、手足を投げ出してずっと眠ったまま。暫時。雨音を聞きながら、お茶を飲んでる。雨の日には、何故かこのお茶を選ぶことが多い。台湾産の青茶。梨山烏龍茶(りさんうーろんちゃ。リザンウーロンチャ)一年の大半を霧に包まれる山腹の茶畑。茶葉のまとった霧がしずくになって、そのままお茶になったような気がする。明日以降荒れる予報も出ているけれど、今夜は静かな雨の夜。霧雨を味わうような思いで、このお茶を頂く。