大切にしている言葉があります。
「たとえ明日世界が滅びるとも、今日わたしはリンゴの木を植える」。マルティン・ルターの言葉ですが、ゲオルグの書いたものとしてご存知の方も多いでしょう。何が起ころうとも日々を大切にし日々の勤めを果たせ。そのことを伝えてくれる言葉です。日記をだいぶさぼってしまいました。もう一度、この言葉に立ち返らなくては。今日の日記の後半には、日記をさぼっていたことの背景、ほんのりポリティカルなことに触れています。そういう話はちょっと、という方はお茶についての前半だけお読みいただければ、それだけでとてもうれしいです。今、この瞬間この文章を目にしてくださるだけで、とてもうれしいのです。ブログを始める前、10000人もの方々がいらしてくださるなんて想像もできませんでした。訪れてくださった、言葉を記してくださった、たくさんの方々、とても感謝しています。ありがとうございます。これまでどおり、お茶のこと、ななすけのこと、綴っていこうと思います。どうぞ、これからもよろしくお願いしますね。三日坊主の私が、ブログを始める時最初の目標にしたのが、3ヶ月続けようということ。昨日で、ちょうど3ヶ月。最近さぼってしまいましたが、やっぱり目標達成のけじめを。ということで、届いていた今年の新茶「明前龍井」(3月14日の日記)を頂きました! まず、茶葉。袋の封を開け、香りが鼻に届くとそれだけで「わーい」って自然に声が出ちゃうような香ばしい、それでいて生命力がまだ宿っているような芯の強い素敵な香り。気持ちいい。。。。森林浴じゃなくて、お茶浴、そんな言葉が浮かんでくるくらい。やさしい色味の茶葉。白く輝く産毛をまとった芽。目からも気持ちよさが伝わってきて。 グラスや大きめの碗に先にお湯を入れ、少し冷ましたら、茶葉をつまみ入れます(上投法といいます)。茶葉は、徐々に、徐々に、ゆっくりと開きながら一つ、また一つと沈んでいきます。沈むたびにお湯をお茶の色に染めながら。その様子を見ているだけでも素敵。それなのに、お茶から立ち上がる柔らかな香りは、本当にほっとさせてくれて。。。お茶は、とてもやさしい甘さでした。蓮華から頂くお茶と、薄いグラスから頂くお茶は、少し性格の違う姉妹を見ているような気がしましたが、お湯が少なくなったら、またお湯を差し、お湯を差し、、、どちらも、ゆーっくりと私の時間に付き合ってくれました。 このお茶から、私の今年の茶葉とのお付き合いが始まりました。。。後半のお話しです・・・日記を長くさぼってしまいました。中国、中国だけじゃなく韓国や他のアジアの国々と友好な間柄でいたい。今中国で起きていることを受け止めて、仲良くあるためにはどうあることが大切なんだろう。。。ブログを書こうとすると、そのことに思いが巡ってしまって、どんなテイストで中国茶のことを書けば良いのか??? そう、固まってしまったのです。長く、草の根レベルで歴史のことを話したりお互いの国への理解を積み重ね、一人ひとりと仲良くなっていけば、それがいつか大きなうねりになってくれる。そう思っていました。今回の中国での出来事で分かるように、それほど単純なことではありませんね。では、私は、どんなスタイルで中国茶のことを、お茶のふるさと中国のことを書けばいいのか。今起きていることを心の中に留め置いて、これまで通りに書いていけばいいのか?本当にそうなのか?逡巡。この問いは、私はどのような日本人なのかということを内包している。。。逡巡する時に私はいつも、Mさんはどう言うだろうかと考える。。。Mさんは、新卒で勤めた会社の最初の上司たちのうちのお1人。笑顔、いや温かな笑い声の絶えない人で、秘めて厳しく、とても強靭な人。(その強靭さは、労使間に派生した問題で、労働者側として、自社経営陣を相手に最高裁にまで及んだ11年の闘いに勝利し、その後私たち後輩をたくさん育て円満に定年退職されたところにみてとれる。または、大好きな中原中也の生家を見てみたくなり、早稲田の学生だった頃に都内から「徒歩」で訪ねていった。ちなみに中也の生家は山口県・・・)Mさんのことを考え。直接尋ねれば、「びゅーりさん、なぁに悩んでるんですか。簡単なことでしょ」と言われるに決まっているのです。だから、自分で考えなくちゃ。そうして冒頭の言葉が浮かんできて。その答え、いや、これからのスタートラインが、「今日、リンゴの木を植える」こと。未だ未熟な私に、簡単に言い尽くせる「答え」は、見つけきれていないから。そう、ようやくスタートライン。考え、答えを探し、実践するための。この言葉は、冒頭で掲げた意味のほかに、木を植えることが「希望の種」を育むこととも解釈されます。このブログの中の私にとって「リンゴの木」は、まず「お茶」。何が起ころうともまずお茶を頂く・・・