松井大輔 (フランス、ル・マン)
今回はまたサッカーです。 この選手がなぜドイツW杯や、アジアカップに選ばれなかったのだろう?この選手が出ていれば・・・。と思わせる選手です。 その名は「松井大輔」。 松井 大輔(まつい だいすけ、1981年5月11日 - ) リーグ・アン、ル・マンUC所属のサッカー選手。京都府京都市山科区出身。ポジションはミッドフィルダー。来歴 大宅中学校から藤森中学校に転校、高校時代は鹿児島実高にサッカー留学。2000年に地元の京都パープルサンガに入団。2002年、黒部光昭、朴智星らとともに破壊力抜群の攻撃的なサッカーを展開し、同年度の天皇杯優勝に貢献する。2003年6月22日のコロンビア戦で日本代表デビューを果たす。 2004年のアテネオリンピックではU-23日本代表の背番号10を背負った。同年9月1日に京都パープルサンガからフランスのル・マンにレンタル移籍。2005年6月までのレンタル契約で、レンタル料と年俸はともに2,000万円。松井の加入後、ル・マンは2部の中位から一気に1部昇格圏の2位にまで浮上し、その中心となって活躍した松井は、『le soleil du Mans(ル・マンの太陽)』と呼ばれた。 レンタル期間終了後、2005年7月にル・マンに完全移籍(推定年俸1億円)。リーグ・アンデビューとなった2005-06シーズン初戦の対オリンピック・リヨン戦で先制ゴールをアシストして上々の滑り出しを果たすと、第12節の対RCストラスブール戦では鮮やかなミドルシュートを決めて初ゴールを記録。時折調子を落とす試合も見られたものの、サイドアタッカーとしてルマンの攻撃陣を牽引し続ける。日本代表でも11月16日のアンゴラ戦で代表Aマッチ初得点を記録し、チームの勝利に貢献した。2006年1月にはトロワAC戦での2ゴールなどが認められた形で、日本人初、ル・マンのチーム史上初である月間MVPを受賞する。このシーズンは総じて安定した活躍を披露し、リーグ・アンのアシストランキングで3位の8アシストを記録するなどチームの残留に大きく貢献する。 この活躍によってシーズン終了後にあのオリンピック・リヨンが獲得に乗り出したとも言われている(リヨンの会長のオラス氏はフランスの新聞のインタビューで松井について「松井は面白い選手だ、これからも見守りたいね」と語っている)。 メディアから「最後のパスを出す男」と呼ばれ、リーグ・アンを代表するMFとして注目されて臨んだ2006-07シーズンは、初戦のOGCニース戦でアシストを記録したもののサッカー選手の職業病とも言われる椎間板ヘルニアに苦しんだことや、メンバー構成が一新されたチームに上手く馴染めなかったこともあり低調なパフォーマンスに終始する。2007年1月には再びトロワ戦で2ゴールをマークしたものの、シーズン後半は6試合連続で欠場するなど監督からの信頼を失ったようにも思われた。しかし腰の状態が上向き、よりゴールの位置に近いセカンドトップ気味のポジションに配されてからはキレのあるパフォーマンスを取り戻し、最後の4試合では2ゴール1アシストを記録。遅ればせながら復活の烽火を上げた。 選出を有力視されていたドイツ・ワールドカップメンバーに落選。ケガなどにも苦しんだリーグ・アン2年目のシーズンではあったが、「今までで一番、プレーについて考え、自分のプレーについて研究したシーズンだった」と本人が振り返ったように、今季の苦闘を次シーズン以降の活躍に繋げることが期待される。 リーグアン07'-08'シーズン第2節でのアシストや第5節で月間ベストゴールに選ばれるゴールをするなどの活躍をし、2007年三大陸トーナメントにてオシムジャパンに初招集。オーストリア戦、スイス戦と出場を果たした。 現在、松井には同じフランスの強豪リヨン、モナコ、スペインのCAオサスナ、ドイツのVfLヴォルフスブルク、イタリアのジェノアCFC、トリノFCから興味を持たれていると言われている。なお2008年の夏にル・マンとの契約が切れるため未だに契約延長をしていない松井は移籍が確実と言われているが、ル・マンがUEFA杯や欧州チャンピオンズリーグに出場すれば残留するとも言われている(松井はインタビューで度々「ル・マンで欧州のカップ戦に出てみたい」と語っている)。 プレースタイル トラップなどの基礎技術の高さもさることながら、類い稀なるドリブル、パステクニックを持つ。テクニシャンタイプの日本人プレーヤーにありがちな線の細さもフランスでシーズンを過ごすごとに改善が見られ、足下の技術のみならず身体を張ってのボールキープもこなす。Jリーグ時代はどちらかと言えばドリブルでの単独突破やテクニックを生かしたキープをメインに据えていたが、フランスに渡ってからは厳しいコンタクトプレーに対処するため1タッチ・2タッチでのパスと言ったシンプルかつ正確なプレーをよく披露している。「フランスリーグ2部の選手は技術が無い代わりに、身体ごとぶつけるというプレーが多いためスタイルを変えざるを得なかった」とTVで告白している。しかしトリッキーなヒールパスなど、アイディアを生かしたプレーも随所に織り交ぜる器用さは決して失っていない。利き足は右だが、左足でのクロスボールやシュートの精度も高い。 ル・マンに渡ってからは主に左サイドハーフで出場するが、トップ下や右サイドハーフだけでなく1.5列目など幅広くこなし、戦術理解度も高い。最近ではゴール前のこぼれ球を拾うべくこまめにスペースへと走り込み、その技術の高さと合わせたゴールを決めることも。ル・マンの前監督、フレデリク・アンツによれば「テクニック・スピード・状況判断力に優れ、リスクを負ってでも突破することも出来る、チームを引っ張ってくれる勝負強い男」。人物 尊敬する選手はドラガン・ストイコビッチ。 高校時代は、サッカー選手権の二回戦で国見高校の大久保嘉人(現ヴィッセル神戸)と、準々決勝で帝京高校の田中達也(現浦和レッドダイヤモンズ)と対戦し、勝利している(この大会で松井は準優勝であった)。 京都パープルサンガ時代の同僚・朴智星(現マンチェスターユナイテッド)とは、今でも日本語でお互いによく電話をしている。 代表歴出場大会などU-21、U-22、U-23日本代表 2002年 ツーロン国際トーナメント(3位) 2004年 アテネオリンピック(グループリーグ敗退) A代表 2003年 FIFAコンフェデレーションズカップ(グループリーグ敗退) フランスリーグはアフリカ系の選手が多く、かなり鍛えられています。フィジカルの強さもかなり良いとは感じますが・・・。なぜ呼ばないのだろう?スタメンでなくとも「ジョーカー」の役割は果たすと思うのに・・・。「良い選手が必ずしも良い結果を得るわけではない」と思ってしまった今日この頃・・・。