11月3日珍島邑の郷土文化会館、小会議場にて
珍島学会「第6回国際学術会議」が開催された。
珍島は韓国半島の西南端に位置し、韓国で3番目に大きい島で
土地が肥え、農耕文化がいち早く定着したところである。
また全国でもっとも多い流刑者(島流し)が送られ、
海洋文化と流刑文化が混ざり合った島でもある。
このような関係から珍島文化の特性は、
珍島を世界的な民俗の宝庫につくり上げた。
そして2001年に珍島を研究する研究者が集り、
珍島の発展に寄与しようと「珍島学会」が結成された。
現在、ソウル大学の文化人類学科「全京秀教授」が会長を勤め
会員は約90名で、珍島に関連した内容を主題に研究発表を行っている。
今回は「珍島文化の力動性」という主題で
1)珍島流刑文化の一考察:珍島郡学芸研究者(金美京)
2)村の書堂:琉球大学(伊藤亜人教授)
3)珍島 村の信仰:全南大学(羅京秀教授)
4)400年の時を越えて珍島倭徳山が語るもの:
広島修道大学(日隈健壬教授)の発表が行われた。
そしてわざわざ慶長の役に、珍島大橋の下で無くなった来島村上水軍の末裔
来島保存顕彰会から2名が参席された。
倭徳山の説明案内
この墓は朝鮮宣祖30年(1597)丁酉再乱(慶長の役)鳴梁大捷の闘いの時
ウルトルモク(珍島大橋の下を流れる海峡)で戦死した日本水軍の死体が
流れ付いた場所である。死体を見つけたここ内洞里の住民は、
敵軍でありながらも、死んだ霊魂に温情を施し手厚く葬った。
その後、倭人に徳を施したの意味で倭徳山と呼ばれるようになった。
この場所は鳴梁大捷での、また別の教訓を私たちに伝えている。
倭徳山の現況
位置:全南珍島郡古郡面内山里山162番地
墓の数:約100基
珍島郡守