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カテゴリ:政治・社会・ビジネス
あまり抵抗なく周囲に流されるまま「終戦記念日」と呼んでみたり、 「敗戦の日」と呼んでみたり、その歳々の自身の「勉強」具合に よって自分の中で呼び方を変えて来た日である。 地上波を全く観ていないので、世の中の動向は自身の周囲とネットで 知るか、或いは靖国などに足を運んで確かめるしかないのだが、 若い人が関心を持つ度合いは、我々の頃よりも増えているような気がする。 直接戦時の体験を父母から聞いた我々より、世代を置いた今の若者たちの 方が、大東亜戦争を俯瞰的に観ることができる可能性がある一方、情報が 過多になり逆に真実が見えなくなってしまう懸念もある。 そもそも戦争などの規模の大きな事件の「真実」なんて定義すら出来ない 筈であり、どの世代、それが実体験者のものであっても、個人の認識の域を 超えるものではないような気もする。 「玉音放送が流れた」ことについては間違いのない事実だったと認識して 良さそうなので、今年はこれで。 靖国神社は以前も書いた通り、本来の神社とは異質の存在であるとは言え、 少なくとも当時の先人の中に「靖国で」と約束の地とした事実がある以上、 後世の人間は尊重すべきと考えるが、この国の舵取りを担う閣僚の連中に 取っては、先人への感謝よりも、無法な隣国への気遣いの方が大事らしい。 神道の面から言えば、特にこの日に参拝するものでもないはずで、政治的 アピールに利用するのはもう止めて、いつでも参拝したい人は、政治家で あろうがなかろうが、誰にも気兼ねせずに思い思いに参拝するべきでは ないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」
国策を担うものにはきちんと自覚と責任を持って欲しいと思うので「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という一見「みんなで渡れば怖くない」みたいなネーミングセンスの無さ、一個人としての根性の無さ、毎年この名前を聞くとその二点を常に思ってしまう・・・。しかもご丁寧にぞろぞろ歩く様がニュース映像などで流れると、なんか情けなくなってしまう。 個人的には国の為に戦い戦死した御霊というものの、国が間違った戦争を行い、その為に戦わざるを得なかった場合は、彼らは誤った国策の犠牲者という事にもなるので、その点では軽々に政治家が参拝するのはいかがなものかとも思う。しかも判で押したようなコメントなど正直聞きたくもない。 なんか政治家見ていると靖国参拝を何かのステイタスと感じているんじゃないかとさえ思う。 一人静かに、国の礎になった方々に想いを馳せるのでなければ、なんの参拝か? まあ個人的見解でした・・・ (2017/08/19 02:05:33 AM)
WICAさん、どうもです。
>「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」 私もこんな会が存在すること自体が情けないと思います。 参拝というものは個人行動であり、誰かに強制されたり抑止される性質のものでもないですし。 >靖国参拝を何かのステイタスと感じているんじゃないかとさえ思う。 ま、票田にしている奴もいますよね。 以前カミさんと愚息と参拝したときには、地下鉄駅から続く様々な署名活動、意味不明の街宣などが喧しく、 8/15に行くのは避けようと思った次第です。 「反天連」の連中が掲げていた昭和天皇の人形なんて不敬を通り越して、あんなものを掲げてアピールする連中は、人間とは思えませんでした。 今では新橋の烏森神社みたいに、フラッと尋ねることにしています。 政治家もそんな感覚で行きたい人は行けばよいかと。 参拝場も、政治家用なんて廃止すればいいと思います。 (2017/08/19 06:31:11 AM) |
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