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きざし昇の雑記帳

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2008.03.17
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カテゴリ:雑感

 よくお伺いするブログの女性が、今回のチベットのことを話題にされていました。

 読んでみるとビックリ、この女性もチベットのラサに行かれたことがあるそうな。

 富士山より高いラサです。ちょっと走っただけでクラクラします。ましてや写真を撮影するときのクセで息を長く止めてしまいます。ですから翌日に高山反応が出て寝込みました。

 そのラサに行ったんです。私と同じように、二日酔いが頭の中で盆踊りをしているような高山反応を経験したんでしょうかね。。。うれしくなってコメントをしました。

 

 で。。。。。このコメントに、この女性じゃなくて違う方がコメントしてきました。

 私のコメントにあった、「(今回のチベットでの北京政府の対応は)インドに乱入したイスラム教徒によって、仏教が根絶やしにされた歴史的な事件と同じようなことが、今(チベットで)起きているのかもしれません。」ということに、別に仏教がインドで廃れたのは、イスラム教徒のせいではないは。若造、もっと勉強してコメントしろ。 (太字のようには書いてありませんが、文意を私が翻訳しました)

 

  歴史の通説が変更されるのはよくあることです。

 私が教科書で習った人物肖像画なんかも、今ではずいぶん変更が入っているようですから。

  でも・・・・・  ?    ??    ???

  仏教が根絶した根本の原因は、インド仏教の最大の強みであって、最大の弱点であった教団の形態にあったと考えています。

  現代とは違い、当時のインドは「苦」に対する救済が衆生のニーズであったように想えるのです。

 民衆に深く浸透したヒンズーの考え方の、「生まれが悪いのは前世の業のためだ」と言われたら、私でも「諦観」しかもてませんからね。

 そんな時代にお釈迦様は、諦観という「苦」に翻弄されていた衆生に、本当の「苦」とは何かと「苦」の本質を教え、「苦」からの解脱を説かれたと理解しています。

 それが「四諦八正道」という教えとして現代に伝わっています。

 有名なところでは「四苦八苦」というのもあります。ご興味があればネットをお探しください。

 仏教は、人の気魂にあわせて話(説法)をするお釈迦様の教下のスタイルを取りますから、結果として寛容性ある裾野が広い教えになりました。

 ですから仏教は、学びを深めた僧侶が核になり、その悟りの力で教下救済をします。

 そして学びを深めるのが寺院であり、そこに収められた経典が大切になります。

 その核の部分が攻められると、仏教は僧団の形態からひとたまりもありません。

 宗教ですから、一夜にして滅びることはないでしょう。しかし仏教の輝きが消滅したのは、イスラム教徒が乱入による寺院破壊と僧侶殲滅の事件であることは間違いのない原因だったでしょう。

 イスラム支配によって、仏教研究が不自由な時期が続けば、仏教の本来の輝きを失うのは想像できますし、いい環境を求め移っていくものです。

 似たような例を近代史に探せば、日本の航空機産業になるでしょうか。

 敗戦によって開発部分がある期間凍結されただけで、輝きをいまだに失っています。

  

 

  こういう自分自身の考えがあったので、コメントをされた方に

 「誰がインドの仏教寺院(仏教の核)を破壊したのか」と質問しましたら、

 「簡単に人に聞くな。勉強しろ!」と叱られました。 背中がピンとした気分です。

 親切に、この本をよく読めと教えていただきました。

 それについては、後日のブログで。。。

 

 

 しかし。。。なんで今回は他人様のコメントに反応したのかが、私にとっては謎でした?

 人気のあるブログでは、コメントで盛り上がることはいつものことです。

 でも今回はなぜ???

 ぼんやり考えていたら、思い出したのです。

 ラサの中心部から離れた道で、生まれて初めて「五体投地」の所作で巡礼をする人を見ました。「五体投地」の所作で、目的の場所まで行くのです。

 立ち上がった。 

 胸の前で合掌した。 

 手をゆっくり広げた。 

 膝から倒れこんだ。 

 道で平泳ぎのように手を動かした。 

 また立ち上がった。。。。。    ここまで永遠と繰り返してきたのでしょう。

 もしかしたら四国のお遍路さんみたいに文明の利器を使っているのかな? 

 でも私の前を巡礼者は確実に進んでいきます。

 不思議な感覚でボーと見ている私に、上海から添乗してきたツアコン(今の中国は知りませんが、当時は観光局の職員がガイドという立場で眼を光らせていました)が、「宗教はバカでしょ」と薄ら笑いで言います。

 でも、バカなことをしているとは見えないんです。なんか嬉々としているんですよね。

 

 現地のガイドが言うには、貯めた財産(浄財)をこれから納め(喜捨)に行くところだと教えてくれます。どれぐらいで目的地にたどり着くのか訊けば、「10日ぐらいかな」とのこと。まだ若いから、彼は帰りも大丈夫だろうと   ・・・ダメな場合があるんだ。。。。

 忘れていましたが、ことき想ったんですよね。

 「日本語で表現する信仰と、本質的に何かが違うぞ」と。

 あくまでも直感です。 『信仰って何だろう?』 という興味はこのときがスタートでした。

 あれから24年経ちました。 時々このことを考えていたようです。

 現在の私の感想は、

 「仏教の帰依というスタイルが、どうも私の信仰の基本形ではないか」

 ということです。

 どうも私の中では、私の理解している仏教的な帰依と、私が感覚で感じた信仰とは何かが違うんですね。

 その何かが分からないんですけど興味があります。

 別に「五体投地」をすることが信仰の証とはおもいませんが、ただあの時巡礼していた人から感じた何かがヒントなるかもしれません。

 






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Last updated  2008.03.17 23:37:43
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