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カテゴリ:ひろし少年の昭和ノスタルジー
ひろし君は、世田谷の梅ヶ丘で和菓子屋を営んでいる紘一郎夫婦のもとに戻り、そこから区立山崎小学校に通うことになった。山崎小学校は京王幼稚園の時と同じく、子供の足で15分以上かかる場所にあって、大雨が降るとすぶ濡れになってしまう。 せっかく家から5分程度の場所に梅ヶ丘小学校という小学校があるのに、なぜこんな遠くの小学校まで通うのか、子供心にも不思議でならなかった。多分同じ世田谷区であっても、単純な地域割でそう決まっているのだろう。だがもしかすると、小田急線の踏切を超えないように配慮されていたのかもしれない。ひろしくんの家は、梅ヶ丘駅前商店街の西側にある『石黒』という和菓子屋であり、梅ヶ丘小学校とは反対側で、新宿方面に向かって線路の右側にあったからである。 山崎小学校に行くには、梅ヶ丘商店街の東側を抜け、閑静な住宅街をずっと歩き、自転車が何十台も並んでいる伊勢丹の配送所前を通って、長い坂道を下って行かねばならない。小学校の周辺には『虎梅園』という文房具屋があるだけで、あとは住宅地だけであった。ただ山崎小学校の隣には、まるで兄貴分のような山崎中学校があり、ひろし君はその山崎中学校に2年生まで在籍していた。 そしてなんと山崎小学校の校舎からは、富士山がはっきりと見えたのである。(もっとも、現在でも屋上から見えるらしいが・・・)それは校歌にもはっきりと記されているではないか。 (作詞:白鳥省吾 作曲:梁田 貞) 緑豊けきむさし野の かなたの空に富士を見る ここ世田谷の山崎に 集いて学ぶ楽しさよ 勉めん 今日も 作:五林寺隆 ※下記バナーをクリックすると、このブログのランキングが分かりますよ。 またこのブログ記事が面白いと感じた方も、是非クリックお願い致します。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014.11.29 16:37:32
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