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ネット文芸館 木洩れ日の里

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2018.12.19
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 まだTVを持っている家も少なく、娯楽の王様と言えば何と言っても『映画』であった。だから首都圏の国鉄駅には必ずと言っていいほど映画館があったし、私鉄の急行停車駅にも幾つかの映画館が軒を連ねていたものである。

 ひろし君の住んでいる梅ヶ丘は、各駅停車しかとまらない小さな駅なので、残念ながら映画館はない。だが二つ先の経堂には『南風座』と『東洋映画劇場』があった。さらに新宿寄り二つ手前の下北沢には、邦画の『北沢エトワール』、『グリーン座』と洋画のオデヲン座の三館があった。さらにもう少し後には『下北沢映画劇場』が開館し、一時は狭い街に四館がひしめいていたことになる。
 いずれも封切館ではなく、二番館未満の三番館で三本立て大人50円の世界だった。さらにナイトショーと言って、三本立てのうち最後の作品だけを観ると、たった20円で観ることが出来る仕組みも存在していたのだ。またこの頃三番館で人気のあった作品と言えば、庶民に分かり易い松竹の「お涙頂戴もの」や、東映の「チャンバラ時代劇」であった。

 和菓子屋を営んでいた両親は、お得なナイトショーを観ようと、店を閉めた後によく下北沢まで出掛けたものである。もちろん小学生だったひろし君も一緒に連れられて、超満員で立見の館内で汚れた空気を吸いながらうつらうつらしていた。
 そして映画が終ると、駅前の『代一元』という中華そば屋で支那そばを食べ、小田急線の最終電車で帰るのが定番となっていた。今考えると、とんでもない両親だったのである。
 ただそのお陰で、ひろし君はいつの間にかラーメン党の映画好きになったのだから、ある意味では感謝すベきかもしれない。

 時は移り、その代一元もそして一時は四館もあった映画館の全てが消失し、うたかたの夢となり果ててしまった。現在の下北沢には、いずこともなく若者達が集まってくる。そして本多劇場を始めとするマイナーな劇場が点在する街となった。
 もちろん経堂にあった二館の映画館も、今はもう跡形もなく消失していることは言うまでもない。



作:五林寺隆

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最終更新日  2019.02.03 10:27:08
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