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邦画(12~)

2019年09月16日
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カテゴリ:邦画(12~)
実は3日間旅をしていました。記事アップは2日ぶり。家を空けるのを大ぴらにしない方がいいのかな、と思うようになりました。ここまでブログをやると、見る人が見れば、もう家を特定できてもおかしくはない、と思ったからです。山大新聞会の同窓会です。なんやかんやあったので、また旅レポートします。ちょっと憂鬱です。新聞会の先輩たち方はみんな、私の文章にダメ出しをする「権利」があるからです。3回ぐらいで毎回長文書いてサッサと終わらそうかと思い始めました。

閑話休題。今月の労組機関紙に連載している映画評です。


「万引き家族」

私は、映画は、だけでなく芸術作品総ては、直に自分の目で見ないと「批評」しないことにしています。絵画もそうですが、映画も直接観ないとわからない事がたくさんあるからです。残念ながら最近、観ないで褒めたり貶したりする人が多すぎる。「主戦場」然り、「従軍慰安婦像」然り。

この映画は、DVで可哀想な少女を貧困家庭の父親と息子がつい拾ってしまう所から始まります。そして、万引きや年金不正受給をしながら、家族みんな幸せに暮らそうとした話です。

カンヌ映画祭パルムドールを獲ったからなのか、家族を非難する炎上騒ぎは起きませんでしたが、本当はこれらは明らかな違法です。可哀想だからといって両親から隠せば誘拐になります。家族をどのように、評価するのか?それは観た者だけが言及する権利を持っています。多分人によって変わると思う。物語の真実は、たいていは揺れて微妙な処にあると、私は思っています。だから、祖母(樹木希林)、夫(リリー・フランキー)、妻(安藤サクラ)、叔母(松岡茉優)、息子?の祥太(城桧吏)そして拾われた少女のゆり(佐々木みゆ)たちは、そういう微妙な監督の要請にきちんと応えて絶妙な演技をしていたと思います。

また彼らは、ちゃんと罪にも向き合っていました(リリー・フランキーだけは疑問符がつきますが)。それだけではない。樹木希林が海を見ていたとき、安藤サクラが「何なんだろうね」と涙を拭ったとき、松岡茉優が無人の引き戸を開けたとき、城桧吏がけじめをつけたとき、佐々木みゆがラスト「外」に何かを見つけたとき、彼らは何かをつかんだような気がします。

あ、それから、日本の貧困に対するセーフティネットの欠如の告発もありました。老人の年金受給が2ヶ月で12万円もない。日雇い労働者が明らかに仕事中事故をしても、労災が下りない。長年勤めている非正規労働者の首切りが平然と行われる。こういう社会ががさりげなく描かれていました。SNSでは「政府から助成金もらっているのに、そんな告発映画作っちゃダメだろ」といっとき話題になりました。「忖度」意識も極まれりですね。改めて言いますが、そんなことをいう若者(だけじゃなく大人も大勢いるけど)の殆どは、作品を実際に観ずに言っています。映画の批判は、作品を観てからにすべきです。
(2018年監督・脚本・編集:是枝裕和作品、レンタル可能)






最終更新日  2019年09月16日 19時14分45秒
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2019年06月16日
カテゴリ:邦画(12~)
今月の映画評です。


「葛城事件」
川崎殺傷事件というなんともいやな事件が起こりました。明確な殺意を持って、20人をも切りつけ、そして自殺をはかった犯人。その数日後に農水相元事務次官というエリートが、「息子が同じような事件を起こすかもしれない」と言って殺すという事件も起きました。そのような時に思い出したのが、この映画です。
観た時、ものすごくいやな気持ちになりました。葛城稔という青年が、死にたくて死刑にしてもらいたくて無差別殺傷事件を起こした、その顛末を描いた作品です。そこに至るまでの家族の数年間を描いています。青年の父親を三浦友和が演っていて、家父長的なその抑圧が稔に事件を起こさせたかのように描いています。父親は一切法律に反することはしていないし、暴力もほとんどふるいません。けれども、ホントにいやな男なのです。中国料理店で店員にクレームをつける場面でそれが見事に表れていました。あんまり嫌すぎて、この作品を忘れたくて、その年のベスト10にも数えませんでした。あれから3年。こんな事件が起きると、直ぐに思い出す。やはりものすごく力のある作品だったなあと思うのです。
今回の2つの事件と、この作品が似ているわけではありません。断じて似ていません。でも、この作品を紹介するのは、引きこもりといい、家庭内暴力といい、父親の抑圧といい、本人たちでないとわからない実情が描かれているからです。「死ぬのならば1人で死んでくれ」とか「お父さんは正当防衛だ、殺されても仕方ない」とか、軽々しく呟いてはいけないと思うのです。映画は本人たちでないとわからない心情を想像する力をくれます。
シネマ・クレールで観ていて、中途で1人の老人が退館しました。父親のせいで葛城稔だけが壊れていくのではなく、長兄も妻もぐにゃぐにゃに潰れていくのが見えてきた頃でした。その先に無差別殺傷事件が描かれるのは必然でした。私も出て行きたかった。そんな気持ちになったのは初めてです。でも、座っていました。後悔しました。
葛城稔役に若葉竜也、妻役に南果歩、長兄役に新井浩文、稔に押し付け獄中結婚をした若い女性に田中麗奈が演じています。登場人物で1番まともなのが、現実には犯罪を犯した新井浩文だったというのは、何かの符号なのでしょうか?(2016年赤堀雅秋監督作品、レンタル可能)






最終更新日  2019年06月16日 09時49分08秒
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2019年03月24日
カテゴリ:邦画(12~)
連載中の映画評はお休み。ちょっとしたレポートを載せました。



「千日前は映画の街だった」


今年の春に新市民会館工事が始まれば、この商店街の看板はもちろん、商店街そのものの風景は大きく変わると言われています。私は2月のとある日、今は寂れているこの十数メートルほどの街を歩きました。今回はいつもの映画評はやめます。今急げば、もしかしたらその最後の「名残り」を見ることができるからです。若い人はご存知ないでしょうか?ほんの18年前までは、まだ此処に6館ほどの映画館が存在していました。もっと前に遡れば、9館以上あったのです。

今一館だけ現役で残っている岡山日活(平成元年開業)を除けば、この街で最後の邦画封切館は岡山松竹(昭38-平18)でした。現在は駐車場になっています。最後の上映は、やはり岡山を舞台にした寅さん映画でした。

洋画の封切館もその前年に次々と姿を消しました。三館(三スクリーン)が営業していた複合ビルは、現在ではマンションになっています。SY松竹文化(昭47-平17)、岡山千日文化(昭57-平17)、文化シネマ2(昭62-平17)です。



そして、千日前を代表する70ミリの大スクリーンを持っていたOSテアトル岡山(昭和37年開業)は、平成12年11月に閉館しました。「職場の仲間とウエストサイド物語を観た」と昨日のことのように語るお歳を召した映画仲間もいます。名画との出会いは、その前後の記憶と共に強烈です。便利なシネコンがやってきた後は、観る前に買っておいた木村屋のパンを食べながら一日中粘って映画のハシゴをする、というような事も既に一切出来なくなりました。

現在駐車場のテアトル岡山とその隣にあった白鳥座(昭25-60)の街頭看板は、奇跡的に残っていました。

しばらく千日前貸ホールとして大衆演劇などをしていた所には、岡山オスカー(昭50-63)という映画館がありました。北側のパチンコ屋隣に金馬館(昭20-33)がありました。昭和30年代、お正月の千日前は、溢れるように観劇の人が歩いていたようです。

そういう伝統の街に、今度は文化の発信拠点市民会館が出来るそうです。建物が出来たら、ぜひ映画の企画もやって欲しいと思います。






最終更新日  2019年03月24日 12時50分07秒
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2018年10月17日
カテゴリ:邦画(12~)


「歩いても歩いても」
今日は先月亡くなった樹木希林さん出演の作品を紹介します。この一ヶ月いろんな番組が作られていますが、私は女優に絞って書きたいと思います。

樹木さんが主演をつとめた作品を、私は今まで二回紹介しています。ゆっくりと呆けてゆく役をリアルに演じた「わが母の記」(13年5月号)と、ハンセン病患者の人生を垣間見せた「あん」(16年2月号)です。

実は私には、その年のマイベストワンに決めながらもDVDが出ていないために、みなさんに紹介出来ていない作品が二つもあります。「約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯」 (13)では樹木さんは死刑囚の母親役を、淡々と生きる夫婦のドキュメンタリー「人生フルーツ」(16)ではナレーションを勤めています。機会があれば必ず観てください。ふたつとも凄い作品なんです。有名無名を問わず、主役端役を問わず、樹木さんは的確に出演作を選んでいます。

2005年に自身がガンを患って摘出手術をして以降、樹木希林は個性派俳優から大女優に変貌したと私は思っています。

ガンの経験をたった一年後に活かした作品があります。私が1番最初に樹木さんを見直した作品「東京タワー オカンとボクと、時々、オトン」(07)です。後半の抗ガン剤治療に七転八倒で苦しむ主人公の母親の姿は、鬼気迫るものがありました。そしてその直後に樹木さんは全く違うタイプの役に出ているのです。

是枝裕和監督が長男の命日に集った家族の1日を描いた「歩いても歩いても」(08)です。愛しながらも、シコリがあって素直になれない家族の気持ちを見事に写し取った秀作です。主演は阿部寛、女優は夏川結衣でしたが、脇役が主演を食った典型的な映画だったと私は思います。樹木希林は、最初穏やかな母親として登場します。でも、長男を亡くす原因になった子供を15年経っても許していません。夫の浮気を何十年も忘れない、ぞっとする演技もあります。清濁併せ持つ普通の母親の姿を見せて、今観ると凄みさえあります。今年初共演の黒木華が「樹木さんは役を生きている」と評していましたが、私もそう感じています。ガンや内田裕也との長い別居生活をも自分の中で咀嚼消化して、人生を役の中に刻みつけた気がします。遅れて来た平成の大女優でした。(2008年作品レンタル可能)






最終更新日  2018年10月17日 10時19分51秒
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2018年09月25日
カテゴリ:邦画(12~)


岡山での展示は24日で終わりましたが、高倉健展をレポートします。23日に行きました。高倉健に思い入れはほとんど無い。けれども、日本を代表する俳優の回顧展を近くの美術館で開く。映画のファンであり、博物館フェチでもある私は行くべきだと思った。博物館フェチとして図録も買ってしまった。予算オーバー(3500円)だったが、フェチとして仕方ない。




高梁市成羽美術館は、安藤忠雄設計である。これで来るのは3回目なのだが、今回は大幅に展示替えしていて、3回も迷った。迷わすのが目的の設計なのだから仕方ない。


この特別展では、205本の出演映画作品の映像を全て、順番に映し出している。

デビュー作 は「電光空手打ち」(1956)である。まさかの姿三四郎張りの空手映画。最初から主演だった。以降、ほとんどの作品は主演か、それに準ずるものだ。イケメン俳優として前面に出して、当時石原裕次郎が同期としての他社からニューフェイスで売り出していて、高倉健は東映の看板としてデビューした。

1956年だけで11作に出演している。背の高いハンサム男の佇まい。私は、大根と言われても仕方ない演技だと思った。

57年10作、1958年13作に出演。この頃はまるでテレビドラマのように作品が作られる。美空ひばりとは何十となく共演している。吉永小百合もそうなのだが、ホント美空ひばりは映画スターだった。1958年、観客動員数は最高を数えた。以降映画は下り坂になる。

最初の頃から、愚連隊、軍人、ヤクザ的な男、一方では背広を決めた金田一耕助や学生服姿、会社員等の真面目な男。ともかく最初から堅物というイメージで通っている。演技はやはり、表情のバリエーションはあまりない。昨今のアイドルの方がバリエーションはある。そして、ラブシーン(キスなど)は恐ろしいほど無い。高倉健が極端に嫌ったらしい。晩年と違う所は、よく動き、よく喋る。よく喧嘩する。

1963年は八割がたヤクザ、ギャングものだった。

1964年。遂に「日本侠客伝」シリーズが始まる(全11作)。表情が生き生きしてる。堅物で朴訥ではあるが型にはまらず最後に怒りを爆発させる高倉健に、世の労働者は共感したのだろう。藤純子とこの時から共演。助演は歌舞伎俳優の萬屋錦之介。型の歌舞伎から高倉健の大きな代替わりだった。

1965年。日本侠客伝続編にも出て、「飢餓海峡」、「宮本武蔵」などの話題作にも出ていた。この年から「網走番外地」始まる。

1966年。しかし、網走番外地って、こんなに作られているんだ(全10作)。

1966年。「昭和残侠伝唐獅子牡丹」。完全に「パターン」を作っている。

1968年。異色作も二作あった。佐藤純弥監督の外国映画みたいな「荒野の渡世人」、西口克己原作の時代劇「祇園祭」。あとはヤクザもの。

1969年「非牡丹博徒花札勝負」藤純子の非牡丹シリーズ始まる。この年侠客、ヤクザものはなんと11/12作に及ぶ。

1971年。「任侠列伝」のチラシを見る。この作は鶴田浩二が主演で高倉健は2番目。次が藤純子。この三人が三枚看板とチラシに書いている。しかし、藤純子は1972年に引退する。この頃から任侠もの自体が作られなくなってゆく。10年以上任侠ものが作られ、さすがに「飽きられ」てきたのだ。

1973、4年。「ザ・ヤクザ」外国の脚本の厚い表紙付きの脚本がすごい。「ゴルゴ13」で使用された型と同じサングラス展示。興味深い。
この年は半分は侠客ものではない。明らかに「転機」である。高倉健も時々ヤクザでも拳銃を使っている。そして高倉健は、76年に東映を卒業する。まるでアイドルの卒業のようだ。出演作のカラーもガラリと変わる。

1976年から78年で5作品だけ。しかしヒットした。これで名実ともに映画スターになったと私は思う。即ち「君よ憤怒の河を渡れ」(76)「八甲田山」(77)「幸福の黄色いハンカチ」(77)「野生の証明」(78)「冬の華」(78)である。この頃から映画は、豊富な予算と大規模な広報戦略を伴う大作主義に移るが、高倉健はその中の最重要俳優だった。高倉健の抑揚のない朴訥な喋りが、演出にマッチした幸せな作品群である。

「幸せの黄色いハンカチ」の脚本を見た。細かい所で、勇作のセリフ「こいつと一緒にならなかったら俺は二度と幸せになんかなれない」を「幸せになれんかもしれん」と自然の言葉に直していた。

このあと、年一本ペースで映画出演。「南極物語」(83)の過酷なロケ。きちんとした役作りをしていた。少しの表情の変化が、多くのことを物語る幸せな時期。この時期に至っても惚れ惚れするほどのイケメン俳優である。

実はリアルタイムで映画館で見始めたのは「鉄道員」(99)からだ。思いもかけず泣いた。大根だと思っていた高倉健で泣けたのが我ながらショックだった。佇まいだけで、全てを語っているように思わされた。この時初めて高倉健をすごいと思った。日本ではあまりヒットしなかったが「単騎千里を走る」(06)はとても良かった。後期は、5年10年7年6年と次回作の間隔が空く。

2012年「あなたへ」が遺作である。2014年、没年83歳。

1972年、京都東映撮影所で「望郷子守唄」の撮影が行われていた時、テレビでは浅間山荘の中継が映されていた。楽屋でメイクをしながらテレビを見ていた高倉健は、助監督の関本郁夫に向かい「こんな日に撮影なんて出来ねぇよな」とつぶやく。小沢監督に伝えて、この日の撮影は中止になったという。高倉健は連合赤軍の思想に共鳴していたわけではない。ただ、極寒の浅間山麓で冷水を浴びながら闘う者たちを暖房の効いた控室で見ていることに耐えられなかったのだと、関本は証言する。(伊藤彰彦「映画俳優高倉健」)それはおそらくホントだろうし、私は十分に信じることが出来る。高倉健が高倉健として映画スターになったのは、そういう「優しさ」だろうと、私は205作のフィルモグラフィーを観てそう思うである。






最終更新日  2018年09月25日 08時38分02秒
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2018年09月16日
カテゴリ:邦画(12~)

後半の四作品です。特に「沖縄スパイ戦史」はこの時点マイベスト出ました!



「沖縄スパイ戦史」

とりあえず、いまのところこの作品がマイベストワンです。戦後73年目の夏。ギリギリのタイミングだった。当時14歳から18歳の少年たちが証言をするのは、1年遅ければ何人かが語れなくなったかもしれない。絶妙のタイミングだった。当時、軍人に協力した住民たちがいなくなったからこそ、口を開き始めた人もかなりいたと思われる。必要なタイミングだった。今沖縄南西諸島に次々と配備されるミサイル基地。自衛隊基地が出来てしまえば、「軍隊は住民を守らない」だけではない。有事が近づけば「住民を利用」し、「住民を監視」することが、正にその場所で、たった70数年前に起きた。しかもたった1年足らずで。


純粋な中学生ぐらいの子供を徴用する。スパイとして有効に使えるだけではない。子供を人質に使えるのである。陸軍中野学校の恐ろしいほどの、これはスパイ戦術ではない、人非人の戦争技術である。おそろしい。


有事法制で、特定秘密保護法で、しだいと可能になっている。昔の再現なんてあり得ない、という保証はどこにもない。自衛隊の最高法規「野外令」を見る限り、沖縄の出来事を一切反省していないのは明らかである。波照間島の住民を1/3、500人近くを強制移住させてマラリヤ感染で死亡させた山下(偽名)も、一切反省の言葉を語らなかったではないか。波照間島の碑文が強烈である。「山下(偽名)のことを赦しはしても、決して忘れない」。公の碑文にこんな文句を見たのは、私は初めてだ。

また、住民をスパイ疑惑で、軍人に密告したと思われる人が雄弁に語ったフィルムを、この映画は記録している。「あの時代は、殺さなかったら殺される。貴方とは認識が違う!」恐ろしい。過去の話ではなく、現代のこととして、とてつもなく恐ろしいドキュメンタリーが出来上がった。

岡山では、一週間の上映期間しかなかった。ほとんどの日本人は観ていないことになる。大勢の「日本人」に観てほしい。


(解説)
第二次世界大戦末期、米軍が上陸し、民間人を含む20万人余りが死亡した沖縄戦。第32軍・牛島満司令官が降伏する1945年6月23日までが「表の戦争」なら、北部ではゲリラ戦やスパイ戦など「裏の戦争」が続いた。作戦に動員され、故郷の山に籠って米兵たちを翻弄したのは、まだ10代半ばの少年たち。彼らを「護郷隊」として組織し、「秘密戦」のスキルを仕込んだのが日本軍の特務機関、あの「陸軍中野学校」出身のエリート青年将校たちだった。
1944年の晩夏、42名の「陸軍中野学校」出身者が沖縄に渡った。ある者は偽名を使い、学校の教員として離島に配置された。身分を隠し、沖縄の各地に潜伏していた彼らの真の狙いとは。そして彼らがもたらした惨劇とは……。

長期かつ緻密な取材で本作を作り上げたのは、二人のジャーナリスト。映画『標的の村』『戦場ぬ止み』『標的の島 風かたか』で現代の闘いを描き続ける三上智恵と、学生時代から八重山諸島の戦争被害の取材を続けてきた若き俊英、大矢英代。
少年ゲリラ兵、軍命による強制移住とマラリア地獄、やがて始まるスパイ虐殺……。戦後70年以上語られることのなかった「秘密戦」の数々が一本の線で繋がるとき、明らかになるのは過去の沖縄戦の全貌だけではない。
映画は、まさに今、南西諸島で進められている自衛隊増強とミサイル基地配備、さらに日本軍の残滓を孕んだままの「自衛隊法」や「野外令」「特定秘密保護法」の危険性へと深く斬り込んでいく。

2018年8月25日
シネマクレール
★★★★★

http://www.tongpoo-films.jp/OSS_B5_H14_Z.pdf




「グッバイ・ゴダール」
題名になっているのだから、彼女とゴダールが別れるのはもちろん、その理由さえも途中までで明らかであり、なんの驚きもない。


ゴダールをリスペクトしながらも、カリカルチャしているのは予想出来るのであるが、なにしろ私はゴダール作品を一作とも観たことがない。よって、批判しているのか、からかっているのか、わからない。また、それがわからないので、日本よりも遥かに本格的だと聞いていたフランス五月革命について、批判しているのか、冷めた目で見ているのか、それが正しいのかもわからない。当然ゴダールのとる態度もわからない。


もう一つの見所は、当時のファッション、音楽、映画についてだろうが、どれだけ再現性が素晴らしいのかもわからない。


もう一つの見所は、「映画とは何か」ということだろうと思う。一つの自動車の中での6人の延々800キロに及ぶケンカの場面は、いかにも映画らしいシチュエーションであり、裸になる必然性が台詞に出た途端に2人が完全ヌードを披露するのは、正しく必然性を伴うだろうが、映画文法の使い方である。上手いと思う。しかしだからと言って、素晴らしいことにはならない。私にとって素晴らしい作品は、あくまでも共感出来るテーマが如何に緊張感持って2時間前後の枠の中に納めさせるか、ということだからだ。それによってのみ、私は映画の魔法を感じる。


この作品のテーマを「映画とは何か」だとすれば、いろんな点でわからないことが多すぎ、判断出来ないということになる。


主演女優の魅力はあった。


(解説)
ジャン=リュック・ゴダール監督作『中国女』で主演を務め、彼の妻となったアンヌ・ヴィアゼムスキーの自伝的小説を映画化。若くしてゴダールと出会い、ミューズとなったアンヌが彼と過ごした刺激的な日々を描く。アンヌ役に『ニンフォマニアック』シリーズなどのステイシー・マーティン、ゴダール役に映画監督フィリップ・ガレルの息子ルイ・ガレル。『アーティスト』などのオスカー監督ミシェル・アザナヴィシウスがメガホンを取った。

(あらすじ)
パリで哲学を学ぶ19歳のアンヌ・ヴィアゼムスキー(ステイシー・マーティン)は、映画監督のジャン=リュック・ゴダール(ルイ・ガレル)と恋に落ち、彼の新作『中国女』で主演を務める。新しい仲間たちとの映画作りやゴダールからのプロポーズなど、初めて体験することばかりの刺激的な日々にアンヌは有頂天になる。一方パリでは、デモ活動が激化していた。

(キャスト)
ルイ・ガレル(ジャン=リュック・ゴダール)
ステイシー・マーティン(アンヌ・ヴィアゼムスキー)
ベレニス・ベジョ(ミシェル・ロジエ)
ミシャ・レスコー(ジャン=ピエール・バンベルジェ)
グレゴリー・ガドゥボワ(ミシェル・クルノー)
フェリックス・キシル(ジャン=ピエール・ゴラン)

監督・脚本・製作
ミシェル・アザナヴィシウス

2018年8月25日
シネマクレール
★★★★




「カメラを止めるな!」

最初の全体の1/3のノーカットワンテイクのゾンビ映画は、正にB級ゾンビ映画であって、この後どんな仕掛けが来ても(「この映画は2度始まる」というのが作品の謳い文句)、この1/3がある限りダメだな、と思っていたのだが、一応それさえも伏線だったというのは、まあまあのアイデアでした。


ともかく話題の作品なので、チェックするのが私の義務です。結果は、悪くはないんだけど、今年を代表する作品かというとそうでもない。というとっても中途半端な評価になりました。


どうしても、低予算の限界というのがあって、クオリティは低くならざるを得ないのです。でも300万ではなくて、一千万近くかけたぐらいのクオリティは持っています(あの大阪のおばちゃんプロデューサーはよかった)。よくがんばっている。演技(特に劇中主演女優の演技)、ロケハン(もっと仕掛けが欲しい)、脚本等々少しだけ詰めが甘い部分がある。


(解説)
監督&俳優養成スクール・ENBUゼミナールの《シネマプロジェクト》第7弾作品。短編映画で各地の映画祭を騒がせた上田慎一郎監督待望の長編は、オーディションで選ばれた無名の俳優達と共に創られた渾身の一作だ。国内では「ゆうばり国際ファンタスティック映画祭2018」でゆうばりファンタランド大賞(観客賞)を受賞。無名の新人監督と俳優達が創った”まだどこにもないエンターテインメント”を目撃せよ!
監督 上田慎一郎
出演 濱津隆之、真魚、しゅはまはるみ、長屋和彰、細井学、市原洋、山﨑俊太郎、大沢真一郎、竹原芳子、吉田美紀、合田純奈、浅森咲希奈、秋山ゆずき
http://kametome.net/index.html

2018年8月30日
TOHOシネマズ岡南
★★★★


「検察側の罪人」

思いもかけず骨太だった。アイドル映画の欠片もなかった。木村が悪ぶった善人という何時もの役割じゃない、闇を深くする役割をしていつもの大根役者の悪い所があまり見られなかった。


正義とは何か。

検察はストーリーを作って、罪人を仕立てる。それが検察のやり方である。そう教え込めれた沖野は、しかし最後は反対の方向に行く。

「こうやって冤罪は作られてゆくのね」立花さんが呟き冤罪の構造そのものをくっきり浮かばせた。骨太の映画だったという所以である。映画的な行き過ぎの趣向は、そのおまけみたいなものだろう。

原田眞人監督だということを失念していた。しかし毎年毎年自ら脚本まで書いて、よくも作るものだ。いかにも映画的な映画でした。顧みれば、原田眞人監督はいつも「正義」をテーマにしている。「八月の1番長い日」「関ケ原」如りである。


(解説)
ある殺人事件を巡り、2人の検事の対立を描く。都内で発生した殺人事件。犯人は不明。事件を担当する検察官は、東京地検刑事部のエリート検事・最上と、刑事部に配属されてきた駆け出しの検事・沖野。最上は複数いる容疑者の中から、一人の男に狙いを定め、執拗に追い詰めていく。その男・松倉は、過去に時効を迎えてしまった未解決殺人事件の最重要容疑者であった人物だ。最上を師と仰ぐ沖野は、容疑者に自白させるべく取り調べに力を入れるのだが、松倉は犯行を否認し続け、一向に手応えが得られない。やがて沖野は、最上の捜査方針に疑問を持ち始める…。
監督 原田眞人
出演 木村拓哉、二宮和也、吉高由里子、平岳大、大倉孝二、八嶋智人、音尾琢真、大場泰正、谷田歩、酒向芳、矢島健一、キムラ緑子、芦名星、山崎紘菜、松重豊、山﨑努

2018年8月30日
TOHOシネマズ岡南
★★★★

http://kensatsugawa-movie.jp/sp/index.html







最終更新日  2018年09月16日 08時00分11秒
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2018年05月16日
カテゴリ:邦画(12~)
今月は高畑勲追悼になりました。金曜ロードショーでこの作品をやります。ぜひ見てください。



「かぐや姫の物語」
4月に岡山市出身のアニメ監督、高畑勲氏が亡くなりました。直前の2月にも赤磐市で、氏は病をおして講演をしたそうです。この『かぐや姫の物語』の背景に、郷里で土と共に生きた永瀬清子の詩の影響があったことなどを話したそうです。

原作は「竹取物語」。竹から生まれたお姫様が月に戻ってゆくお話です。日本人ならば、ほとんどの人が知っていますね。けれども、原作をきちんと読んだ人はほとんどいません。かな文字で書かれた日本最古の物語は、単なるお姫様物語ではなく、批判精神旺盛で謎に満ちたお話になっているのです。高貴なはずの宮廷の中の人々を、欲望や愚かさに染まった世界に描く。そしてかぐや姫は、ある罪を得たために地上に生まれたことになっていました。罪とは何だったのか?

監督は大胆な脚色を試みます。先ずは生まれてたった半年で成人に成長した姫の少女時代を、自然児として描きます。鳥虫けもの草木花、そして春夏秋を美しく描き、木地師の捨丸との交情を丁寧に描いたあと、竹取の翁は天から授かりものの姫を「幸せに」するために都に家を建てて突然引越すのです。

劇中なんども歌われる印象的なわらべ歌があります。特にその後半はかぐや姫だけが(なぜか)知っていたとして、このように歌われます。
「回り巡れ巡れよ遥な時よ、巡って心を呼び返せ。鳥虫けもの草木花、人の情けを育みて、まつとし聞かば今かへりこむ」
ー自然に親しみ、人の心を取り戻し、愛しい人が本当に私を待ってくれているならば、すぐにでも帰ってきます。ラスト近くに明かされるその歌の真の意味が、どうやら姫が月から地球に降り立った本当の理由らしいのですが、正直、一回観ただけでは観客の私たちにはピンと来ません。

アニメだから描ける詳細な時代考証、大胆な筆使いによる心理描写。高畑監督は、毎回同じタッチでは映画を作りませんでした。いつも実験作と言われるものを作って来ました。今回2回目を観て、私はやっと監督の描きたかったものが、単なる恋愛譚でもなければ、権力批判でもなく、壮大な自然賛歌であり、人間賛歌だったことに気がついたのです。言うなれば地球賛歌です。傑作でした。

監督は次は平家物語を構想していたらしい。岡山空襲で奇跡的に生き延びた監督のつくる、戦争と平和の物語をホントに観たかった。心からご冥福をお祈りいたします。
(2013年作品、レンタル可能、18日にはテレビ放映あり)






最終更新日  2018年05月16日 11時15分07秒
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2018年04月11日
カテゴリ:邦画(12~)

3月に観た映画は10作品でした。久しぶりに二桁に乗った。比較的いい作品が多かったようにも思う。三回に分けて紹介する。



「15時17分、パリ行き」

終わってみて、主人公たちは事件の当事者本人たちだったのに気がつく。全く違和感がない。むしろ、ストーンなどは10キロ以上のダイエット場面(実際は太ったのか?)をやっていて、俳優魂さえ感じる。

私は、94分間の上映時間をフルに事件発端から終わりまで時系列に映すのかと想像していた。違っていて、3人組の子ども時代、そして事件直前までの若者らしい旅のエンジョイを丁寧に写していた。


そこでわかるのは、彼らはホントに「普通の若者」だということだ。驚くほどに。むしろ、中学生時代は、毎日校長室に呼び出され、ADDだから薬を飲めといわれ、私ならば社会的問題にするようなことを言われる。でも普通の若者に彼らは育つ。親が良かったのかもしれない。けれども、彼らはいざという時に、やるべきことをした。そのことがヒーローの本当の実態なのだ、ということも、描く。更に言えば、保守派のイーストウッドらしく、キリスト教の最良の教えを全面に出した。


傑作じゃないけど、とても良い映画だった。


見どころ:クリント・イーストウッド監督が、2015年8月に高速鉄道で起きた無差別テロ事件を映画化。列車に乗り合わせていた3人のアメリカ人青年がテロリストに立ち向かう姿を描く。事件の当事者であるアンソニー・サドラー、アレク・スカラトス、スペンサー・ストーンを主演俳優に起用し、当時列車に居合わせた乗客も出演。撮影も実際に事件が起きた場所で行われた。

あらすじ:2015年8月21日、554人の客が乗るアムステルダム発パリ行きの高速鉄道タリスに、武装したイスラム過激派の男が乗り込み無差別テロを企てる。乗客たちが恐怖に凍り付く中、旅行中で偶然乗り合わせていたアメリカ空軍兵スペンサー・ストーンとオレゴン州兵アレク・スカラトス、二人の友人の大学生アンソニー・サドラーが犯人に立ち向かう。


2018年3月6日
ムービックス倉敷
★★★★




「嘘八百」

映画とは、元々まがい物を如何に本物らしく描くか、が問われるモノである。だから、これは監督と脚本家の人生を描いているとも言える。前回の「百円の恋」は見事だった。まんまと快く騙された。今回は、どうかな、という点が1、2ある。それならば良いではないか?と言われそうだが、快く騙されるためには、1つでもあればダメなのである。


ホントは5点満点で3点だった。でも、エンドロールで取り返した。そうだよね、いくらなんでもあんな多額の現金もって外国へ行けるはずがない。ただ、大の男2人がそのことに気がつかないというのは、如何なものか?いや、気がついて見逃したのだ。だから「あいつがやっと男になった」と言ったのだ。と解釈は可能かもしれない。と思ったところで、「快く騙され」つつあることに気がつく。もう一つ納得いかないのは、本物の箱と但書があるのならば、2度と使えないはずなのに、どうしてわざわざ偽物を用意するのか、どうしてもわからない。


武正晴と足立紳のコンビの色はこれで行くのか、変えて行くのか、見守りたい。「夢を目指してどん底生活から一発逆転を目指す男たち、というコンセプト」まだ時代から求められている気がする。

(解説)
中井貴一×佐々木蔵之介、
日本が誇る俳優の豪華W主演が実現!

あの千利休の幻の茶器が、茶の湯の聖地で発見された。その真贋や、鑑定額や、いかに─?! 日本中を沸かせる世紀の骨董ロマンが、2018年の笑い初めにふさわしい「開運!お宝コメディ」になった。この茶器を巡って大騒動を巻き起こすのは、日本映画界を代表する俳優、中井貴一と佐々木蔵之介。いずれも人気実力ともに抜群で、ジャンルを問わない演技派だが、中井貴一は『グッドモーニングショー』、佐々木蔵之介は『超高速!参勤交代』『超高速!参勤交代 リターンズ』とヒットを飛ばしたコメディ映画主演の記憶が新しい。その二人が満を持しての本格共演。騙し騙されつつの出会いから、一世一代の大芝居を打つ痛快コンビの結成まで、がっぷり四つの丁々発止が見逃せない。脇を固めるのは友近、森川葵、前野朋哉、堀内敬子、坂田利夫、木下ほうか、塚地武雅、桂雀々、寺田農、芦屋小雁、近藤正臣らひと癖もふた癖もある超個性派俳優陣。芸達者たちのトボけたやりとりや愉快なてんやわんやに大笑い。大人による大人のためのコメディ映画が誕生した。

『百円の恋』の監督と脚本家の
注目タッグがさらにパワーアップ!

本作は大阪・堺を舞台にしたオリジナルストーリー。『百円の恋』で2016年日本アカデミー賞優秀作品賞・最優秀脚本賞を受賞した、いま最も注目を集める武正晴監督と脚本家足立紳の再びのタッグに、更なるパワーを加えるのは、NHK連続テレビ小説「てっぱん」などで活躍する脚本家で堺親善大使を務める今井雅子。リアリティのあるストーリーテリングに、お宝鑑定好きにはたまらない骨董トリビアを散りばめ、強欲うずまく人間たちの化かし合いを二転三転させながら、ときにホロリとさせる人情話を盛り込んで、最後は思いもかけないどんでん返しに持っていく手腕は見事という他ない。実力はあるものの不運続きの人生をおくる、負け組の男二人が仕掛けた一発逆転の大勝負。日本映画界屈指の才能が年明けに送り出すのは、嘘八百からまさかのマコトにたどり着く、胸のすくような開運エンターテインメントなのである。


2018年3月1日
シネマ・クレール
★★★★




「希望のかなた」

独特のゆったりとしたリズムで描かれる、北ヨーロッパの難民事情と人々の暮らし。フィンランドの人々の心の動きを出来るだけ映像として現さないやり方は、確かに日本の抑制の効いた映画にあったと思う。監督の日本好きは、明らかにやりすぎのすしバーや、すしの学習のために、なぜか藤沢周平の文庫本を2冊も買ってゆくことで知れる。


イラクとシリアの若者の友情も、政府の「戦争状態にない」という裁定も、ネオナチの3回にも及ぶ意味のない暴力(しかもユダヤ人め、というわけのわからない非知性を見せる)も、本気かユーモアなのかわからない監督の独特な映像世界に助けられる。ヘルシンキなんて、ホントにあんな街なんだろうか。まるで昭和40年代の日本のように思える。


(解説・物語)
社会への深い洞察に満ちた、アキ・カウリスマキの新境地。
無償のやさしさと辛辣なユーモアが、世界を覆う不寛容を打ち砕く。

2017年のベルリン国際映画祭で観る者すべての胸に深い余韻を残し、批評家のみならず観客からも圧倒的支持を受けたアキ・カウリスマキ監督『希望のかなた』。同映画祭で見事、監督賞を受賞したカウリスマキは、前作『ル・アーヴルの靴みがき』で“港町3部作”と名付けたシリーズ名を自ら“難民3部作”に変えて、今や全世界で火急の課題となった難民問題に再び向かいあいました。
シリア難民の主人公カーリドは、“いい人々のいい国”だと聞いていたフィンランドで、無情にも難民申請を却下され、ネオナチからのいわれのない暴力にさらされます。これは、やむなく故郷を離れた難民たちが、希望を求めた土地で実際に直面する現実です。そんな酷薄な現実にさらされるカーリドに、ヴィクストロムをはじめとする市井の人々が救いの手をさしのべます。カウリスマキ映画ではおなじみの、社会の片隅でつつましやかに生きる、少しばかり孤独をかかえた人々のちいさな善意が、カーリドの願いを叶え、魂を救うのです。『希望のかなた』は今、世界が忘れかけている“当たり前”の人間性を、辛辣なユーモアと無償のやさしさをもって描いたヒューマンドラマ。カウリスマキからのメッセージは、不寛容がはびこる世界に生きる私たちの、心のより所となることでしょう。

主人公カーリドを演じるのはシリア人俳優シェルワン・ハジ。ヴィクストロム役のサカリ・クオスマネンをはじめとする個性的なカウリスマキ組の常連たち、そしてカウリスマキの愛犬ヴァルプとのアンサンブルを見事にこなし、映画初主演ながらダブリン国際映画祭で最優秀男優賞を受賞しました。また、物語に絶妙にシンクロするフィンランドのベテランミュージシャンによる演奏シーンの数々や、痛烈な“わさびネタ”も必見です。


2018年3月1日
シネマ・クレール
★★★★




「ブラックパンサー」

この映画の落とし所を支持する。アベに観させてやりたい。


しかしながら、いくら荒唐無稽SFと言いながらも、何千年も、「超文明」を育てながら、旧石器文化に由来するアフリカ文化をそっくり真似た都市つくり映像は、あまりにもアフリカを馬鹿にしていないか?太鼓ではなく、アフリカの気候に合わせた全く新しい音楽が作られなければいけないし、ヨーロッパとの交流が密かにもたれてあったとするならば、それなりの服装をしなくちゃならない。


脚本で言いたいことはよくわかる。アベンジャーズに移ったら、これらの志がなくならないか、心配


(見どころ)
マーベルのキャラクターで、国王とヒーローの顔を持つ男を主人公にしたアクション。超文明国ワカンダの国王だった父親を失ったブラックパンサーが、国の秘密を守るため世界中の敵と戦う。監督は『クリード チャンプを継ぐ男』などのライアン・クーグラー。『42 ~世界を変えた男~』などのチャドウィック・ボーズマンがブラックパンサーにふんし、『それでも夜は明ける』などのルピタ・ニョンゴらが共演。

(STORY)
アフリカの秘境にあるワカンダで産出される鉱石ヴィブラニウムは、全てを破壊してしまうほどのパワーを持つ。歴代の王は、悪用されないように鉱石の存在を極秘にしていた。若くして王になったティ・チャラ(チャドウィック・ボーズマン)は、謎の男エリック・キルモンガー(マイケル・B・ジョーダン)がワカンダに潜入しようとしていることを知り……。
(キャスト)
チャドウィック・ボーズマン、マイケル・B・ジョーダン、ルピタ・ニョンゴ、ダナイ・グリラ、マーティン・フリーマン、ダニエル・カルーヤ、レティーシャ・ライト、ウィンストン・デューク、アンジェラ・バセット、フォレスト・ウィテカー、アンディ・サーキス
(スタッフ)
監督・脚本:ライアン・クーグラー
脚本:ジョー・ロバート・コール


2018年3月12日
Movix倉敷
★★★★







最終更新日  2018年04月11日 13時57分00秒
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2018年03月19日
カテゴリ:邦画(12~)
楽天ブログは、毎日よく読まれた記事のベスト5を教えてくれる。時々、自分で書いてすっかり忘れていた記事が出て来て、自分でその文章に感心することがある。​重松清「その日のまえに」​の場合もその一つであり、その感想に導かれて、最近それを原則とした映画を見た。まだ見ていないと思っていたからであるが、実は最後まで見ると一回見て、なおかつ記事に書いていることが判明した。そこで、前回の記事と今回の記事、二つ並べてみることにした。先ずは、前回の記事、9年前の記事である。(以上の文は18.03.19に記入)



『その日のまえに』どこも まっしろ
2009年01月13日
カテゴリ 邦画(09~) (121)

日曜日に見た『青い鳥』の場合は、村内先生は石川啄木詩集の愛読者であった。いじめというリアルな現実の前には、啄木のほうが確かにあっているような気がする。
例えば、

気の変わる人に仕えて
つくづくと
わが世がいやになりにけるかな

打ち明けて語りて
何か損をせしごとく思ひて
友と別れぬ

(映画の中では一首も紹介されなかったが)そんな歌の中の現実が、これから向かう学校の現実の真の姿を探す手助けにもなっただろう。

同じ原作者のこっちの映画の方は、結局宮沢賢治が大きくクローズアップされた。どちらの原作にも、実は啄木も賢治も出てこない。けれども、この二人が脚本に使われたのは偶然ではないだろう。岩手県出身の二人の詩人はどちらも言葉の天才で、東北の重く垂れ込める空が、どちらも登場人物の心像風景にぴったり合うのだろう。

監督 : 大林宣彦
原作 : 重松清
脚本 : 市川森一
出演 : 南原清隆 、 永作博美 、 筧利夫 、 今井雅之 、 勝野雅奈恵

原作は既に読んでいる。けれども、冒頭から明るい音楽とともに始まる。ずいぶんと原作とは違うタッチで描かれる。ガンで死ぬ人たちの話であるが、泣かす映画にしてしまっては、確かにつまらない。人はその日のまえにどのようにすごし、その日をどのように迎え、その日のあとをどう生活して行くのだろう。映像と見せるためには、むしろ泣くのはほんの少しでいい。あとは淡々とした明るいタッチの方がいい。

肝心の心の部分を、宮沢賢治の『永訣の朝』が代弁する。

けふのうちに
とほくへ いってしまふ わたくしの いもうとよ
みぞれがふって おもては へんに あかるいのだ
(あめゆじゅ とてちて けんじゃ)

(略)
ああ あの とざされた 病室の
くらい びゃうぶや かやの なかに
やさしく あをじろく 燃えてゐる
わたくしの けなげな いもうとよ

この雪は どこを えらばうにも
あんまり どこも まっしろなのだ
あんな おそろしい みだれた そらから
この うつくしい 雪が きたのだ

(略)

詩に託して、雪の岩手県の映像が流れる。
その静かな白さが、私には心地よかった。
原作は去年一番泣いたものだった。
映画は泣きはしない。
けれども、死を迎えるということはこういうことなのだ、
と静かな気持で納得できる映画であった。
(以上の文は09.01.13記入)

以上が9年前の映画の感想。
この半年前に、私は父親を亡くしている。だからこそ、小説を読んで大泣きし、映画を観てこのようにしんみりしている。それから、9年後にDVDで観て何を思ったか?

以下がその感想だ。
「その日のまえに」(2008)大林宣彦監督作品

10年前のDVDを観る。永作博美のガンの発病と、夫の南原清隆の葛藤を縦軸に、幾つかの生死の物語を描いた作品。多くは重松清の原作に依ってはいるが、クラムボンの「永訣の朝」がずっと流れたり、迎え火の代わりの花火大会に、全ての死者を集合させたり、大林宣彦監督らしい演出も目立つ。演出があまりにも大林宣彦監督監督していて、原作読了時のように泣ける映画にはなっていなくて、なんか乾いた笑さえ出てくる。

この時は元気だった今井雅之や峰岸徹が、そのあと少ししてガンで死ぬなんて、この時にはみんな思いもしなかったに違いない。また、大林宣彦監督自身がガンに侵されながらも、克服して10年後に作品をものにするなんて、思いもしなかったに違いない。
(以上の文は18.03.01に記入)

この湿度の違い!
どちらの感想がより読ませるか、と言えば、私は9年前を挙げる。もちろん、どちらの感想もわかりにくいという欠点はある。しかし、映画からどちらがより豊かなものを得たか?で比べれば、あまりにも明瞭であるからだ。

と言われて、現代の私はもう少し絞り出す。

大林宣彦監督は、お涙頂戴にワザとしなかった。本来ならば、発病の発端があり、告知があり、紆余曲折を経て死亡(ここで観客を泣かす)、そして最後の手紙の場面へと移る(「忘れてもいいよ、」という言葉で余情をつくる)のがセオリーだと思う。しかし、映画では、何度も時制が行ったり来たりする。実はこれは、最初の場面から既に終わっていて、その先の南原の回想から始まっていたのだ、と見るのが最も分かり易い観方ということになる。これは日本文学の伝統である。構造がないのである。

「その日のまえに」をいくら私たちが映画で観たとしても、必ず終わってみれば、「その日のあと」の物語になるだろう。それならば、最初から終わっていた方が、ホントの「その日の迎え方」になるだろう。と、監督が考えたとしても、無理はない。

結果的にはヒットしなかった。永作博美を自分の妻として、勘違いできないからである。とし子という名前にして、永訣の朝を何度も歌わせ、わかりにくいその詩に、とし子の死を重ね合わせる。という凝った演出に、共感したものだけが、この映画に満足しただろう。(以上の文は18.03.12に記入)






最終更新日  2018年03月20日 08時15分04秒
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2018年03月14日
カテゴリ:邦画(12~)


今回の映画評は「この世界の片隅に」です。

「お前だけは、この世界で普通でまともであってくれ」すずの幼なじみの水原さんはそう云って戦場の海に帰って行きました。

本編の最後にすずは、夫の北條周作に向かい「この世界の片隅で、私を見つけてくれてありがとう」と言います。いや、私たちこそありがとう。こんな世界を見つけてくれて。

何度観ても発見がある。正に映画です。ちょっとぼんやりしたところのある少女すず(声・のん)が、広島から軍港呉の町に嫁に行った戦前戦後のことを描いたアニメです。

機会があれば、映画館の大画面で観て欲しい。DVDで見るのならば、隅から隅まで画面の片隅にも気を配って欲しいと思います。

私が2回目に観たのは、広島の映画館でした。その前にすずの実家の江波を歩いていたのですが、江波の旧広島地方気象台(現気象館)がさりげなく描かれていて感動しました。あるいは、戦争終盤の呉の町を俯瞰で写したときに、家々の屋根に所々黒い穴が空いています。あれは、焼夷弾の穴に違いないと思います。普通の人は絶対に気がつかなくても、確実に当時の風景や生活を再現しようという、監督の執念を感じました。

戦争は、たくさんの大切なものを奪っていきました。とっても絵が上手かったすずの右手、5歳ながらも軍艦の名前を全部覚えていた利発な姪の少女、広島の両親や妹の許嫁、鬼(おに)いちゃんこと南洋戦線で散ったすずの兄、初恋の幼なじみ、ひとつひとつの店の名前や住人まで調べて描かれた広島の街や呉の町。その全てが、戦争や原爆で消え去りました。それを劇的に悲しく描くのではなく、誠実に画面をつくることで提示するのです。それでも、遂には北條家の人々の笑顔までは奪うことはできませんでした。
白タンポポが主流の呉の町に、一つふたつ咲いている黄色いタンポポは、すずです。根付いて風にそよぐ風景が、この作品のテーマです。

本篇が終わったあとに、おまけがあります。クラウドファウンティングで一定額以上出資した個人・団体の名前を紹介する場面に、すずの失われた右手が、遊女白木リンの儚い半生を描きます。最後にその右手が観客の私にさよならをした時に、それまでなんとか堪えていた私に滂沱の泪を流させました。傑作でした。
(原作・こうの史代、2016年片渕須直監督作品、レンタル可能)






最終更新日  2018年03月14日 13時00分08秒
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