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国立文楽劇場・人形遣いのカンロクさんと来年の打ち合わせ。
なんか、ただ公演するだけじゃ妻有でやる意味ないね、ほんとはね、という話から、 「妻有大田楽」をつくろう! って話になった。 ひゃー、めっちゃ楽しい!やりたい!! 地元の伝統芸能を訪ね、集め、説得して、集結してもらうんだ。 そしてカンロクさんが演出して「魅せる」ものにする。 そこには文楽人形も加わる。 ほかのミュージシャンなんかも加わる。 でもベースは地元の人たちがつくる「妻有大田楽」なのだ。 これは一朝一夕にできないよ。 2012年だね、次の大地の芸術祭。 ほんとにやる? やる!やりたいです! てなわけで盛り上がったところで、カンロクさんが「鼓童」と打ち合わせがあるという。 私も同席していいというから、わいってなもんで参上。 ところが私には引け目があった。 実は「ナマコドウ」いや、生で鼓童の舞台を見たことがなかったんである! なぜだろう?ほんと不思議だけど。 いっちども。 昨日は初日だったんだけど、ちょうど公演の時間に用事があって見られなかった。 そして飲み会の席で予感的中。 代表の藤本さんが笑顔で質問。 「今日は初めてご覧になっていただいたんですか?」 うっ! 初めてどころか、まだいちども。。。 しらり~っとした空気がその場を支配する。 やばいっ。 それはほんとうに申し訳なく情けないのであるが、だけど事実見ていないのだからしょうがない。 しかし1時間もすれば場はほとんどどんちゃん騒ぎ(6人だけど)。 私はそこで挙手!そして宣言。 「はいっ!私は明日公演を観に行きます!」 おーっ。と盛り上がる。 そして約束どおり、観に行きましたよー。もちろん自腹で(←自分で進んでそうしたんです) それは、やっぱり、世界の鼓童だった。 なんにも偏見なく、すごかった。 その音、演出の豊かさと洗練。 こういうものに理屈も理由もいらないです。 大太鼓(専門用語はわかりません。ごめんなさい)、ほらよく写真にあるじゃないですか。 ふんどし一丁でもんのすご大きい太鼓に向かって背中を向けてる、あれですよ。 大抵の和太鼓集団であれは一番のハイライトである。 そして彼らは明らかにマシンジムなどでボディビルさながらに鍛えている。 逆三角形の背中、隆々たる肩筋、引き締まった臀部。 「見ろ、これを見ろ~!!!」 と言わんばかりで筋肉の影を強調して太鼓をぶったたく。 私はそのたびにわりとげんなりしていた。 綺麗だけど味気ない高級料理みたいで。 どれも同じ味がするんだもん。 しかるに、今日の鼓童の大太鼓は違った。 何が違うって、体型。 はじめ、「鼓童って売れてるからおいしいもの食べて筋肉鍛える暇がないのかなー」なんて極めて失礼なことをちらりと思ったりしたが、ほどなく状況がわかった。 太鼓打ちがボディビルダーになる必要はない。無駄な筋肉はかえって動きを妨げる。 というのは聞いたことがあった。 あったけど、実際ほんとだわ、とすとんと納得したのである。 この身体は、見せるためなんかじゃない、太鼓をたたくためなのだと。あたりまえのことを。 手前の大太鼓の反対側、大太鼓の向こうにはもう一人太鼓打ちがいる。 でもその姿は見えない。 雷様のような印が大きく描かれた太鼓の膜は、これまで聞いたことがないしっとりとつややかな膜面を感じさせた。 膜の音はしないのだ。ただ、ぶぁおーん、ぶぁおーん、とゆらめきながら響く波動のようなものだけ。 次第に太鼓打ちの形は太鼓の風景に溶けていき、ほとんど形というものを意識しなくなってくる。 ただ、荒ぶる暗雲、天からの稲光に立ち向かう存在のように、一心不乱に格闘している。 あちらにいる、見えない太鼓打ちは、天そのものである。 どどどど、と、まるで挑発するように、雲という大きな腕でむんずと捕まえようとするように、天と地から響いてくる音響がこちらの太鼓打ちを捉える。 地上の太鼓打ちは、いかにも人間くさく、しかしある限りの力としなやかさともって天に向かっていこうとする。 そんな風景が見えた。 私の席はもんのすご遠かった。 マメですか?というくらい人間が小さい。 当日券だからしょうがないけど。 マメ大きさのナマコドウにパンチをくらってしまった私には、もっともっと強烈なパンチをもらえる可能性があるっていうことで、また新たな楽しみができたわけだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009年12月18日 20時49分09秒
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