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仕事というもの、このやっかいなもの。
私の時間を引き裂き、愛しいものから常に身体を引き剥がそうとするもの。 このやっかいで、憎らしいもの。 それがないと生きていけないもの。 悲しくも情けなくも、仕事は空気のように必要だ。 自分という、たった一本の長さ1m半少しの物体。 これをただ、呼吸させ、温め、生かしておくことに、どうしてこんなややこしく複雑な作業が必要になるのだろう? それを仕事、という。 野菜を作っていれば生きていけるかと、たとえば一日にニンジン一本。 ほうれんそうひと束。 玉ねぎ一個。 芋、一個。 それから雌鶏が生んでくれる卵2個。 およそそれくらいあれば、この体は保たれ続けるのではないかと、 真剣に考えた。 仕事のなかった日々。 しかしこの世の中は、 どうにもせつなくも、 「お金」 というものが必要なのだ。 お金、このやっかいなもの。 これがなければ、社会に存在できないのだ、と初めてほんとうにわかった。 あの頃。 病気になったら? 「税金の振込先」と「あなたの支払うべき金額」が淡々とタイプされた、あの恐ろしい封書を受取ってしまったら? それに反逆し、病気は自分で治すと決めることが、私にはできなかった。 それが現実の、私だった。 再び「仕事」に就く。 あの嫉妬するほどの、風躍る自由さと、上下する不安を棄て、 少しの胸の痛みとともに、社会という建物に再び足を踏み入れる。 そこは前ほど巨大な建物じゃない。 エレベーターもない。 システマティックでもない。 でも動くことを許される。 突き動かされるほど激しく。 それは救いだ。 人は結局、自由じゃない。 何かに縛られることに一生縛られる。 そのことに納得し、受け入れられたとき、成功した人生と呼ぶのだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010年03月04日 21時52分07秒
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