お勧めブログ・バックナンバー4 (グランドティートン国立公園 他)
リンク先をのせました。アメリカ編を1度整理しなければ・・と思っていたのですが、イエローストーン国立公園と同様に開いて見たらカテゴリーの変更だけではすみませんでした。写真もなぜか変色? 入れ替えしたり、新たに足したりとグランドティートン国立公園もちょっと大変でした どうも思い立ったらやってしまわないと次に進めない性格故に長引いてしまってスミマセン m(_ _)m お勧めブログ・バックナンバー4 (グランドティートン国立公園 他)グランドティートン国立公園(Grand Teton National Park)1~8ワイオミングおまけ ジャクソンホールの幌馬車 1~2ワイオミングの動物シェーンの時代に見るアメリカ開拓史の事情ホームステッド法(Homestead Act)アメリカの国立公園トップ10の一つグランド・ティートン国立公園(Grand Teton National Park)は前回紹介しているイエローストーン国立公園のすぐ南に位置しているのでツアーであれば、だいたいセットで回るコースとなっています。ゲートとなるシティはワイオミング州ジャクソン(Jackson)。ジャクソンには空港もある。アメリカで唯一の国立公園内の空港だそうだ。1929年、国立公園に指定されたのは18番目と割りと古い方。見所は西部開拓史時代を描いた映画シェーンの世界感と、相反するロッキーのダイナミックな自然。広大な草原(Prairie)地帯は西部開拓史に想いはせてしまう所。そこにあたり前のようにある平原も、実は先人が苦労して切り開いた草原です。そしてバックにそびえる古代隆起してできた壮大なロッキー山脈。壮大ながらも今はほのぼのとする光景です。そして一度、山に入れば今度は大自然を身で感じるうっそうとした原生林のダイナミックな自然に遭遇。そこはトレッキング好きの方にお勧めです。ところで、西部開拓史と言うと、日本人からしたら西部劇で見た開拓民の苦労ですが、それは開拓民は正義で、彼らをいじめる悪いヤツラと言う構図。しかし、現実には先住民族であるアメリカンインディアンから土地を奪っての白人達移民の開拓は、映画シェーンのような白人同士の正義と悪との話とは全く別次元。開拓民の方はそれはそれなりの苦労をされたようですが、それよれも元々そこにいて土地を奪われた原住民であるアメリカ・インディアンの方が悲劇でした。(アメリカ史ではふれられていませんが・・。)2010年06月、「ジャクソンホールの幌馬車 2 (インディアン強制移住法)」の中でそのあたりは少しふれているのですが、今回白人側がなぜ西部をめざしたのか?開拓移民に関する法律を最後にのせました。リンカーン大統領が署名した「ホームステッド法(Homestead Act)」です。リンク ジャクソンホールの幌馬車 2 (インディアン強制移住法)ワイオミング州 グランドティートン国立公園(Grand Teton National Park) 1929年指定グランド・ティートン国立公園 1 (シェーンの世界) 2010年06月リンク グランド・ティートン国立公園 1 (シェーンの世界)グランド・ティートン国立公園 2 (スネーク・リバー) 2010年06月リンク グランド・ティートン国立公園 3 (スネーク・リバー・オーバールック)グランド・ティートン国立公園 3 (スネーク・リバー・オーバールック) 2010年06月リンク グランド・ティートン国立公園 3 (スネーク・リバー・オーバールック)oxbow bendグランド・ティートン国立公園 4 (ジャクソン・レイク界隈) 2010年06月リンク グランド・ティートン国立公園 4 (ジャクソン・レイク界隈)グランド・ティートン国立公園 5 (ジェニー・レイク) 2010年06月リンク グランド・ティートン国立公園 5 (ジェニー・レイク)グランド・ティートン国立公園 6 (ヒドゥンフォール) 2010年06月リンク グランド・ティートン国立公園 6 (ヒドゥンフォール)グランド・ティートン国立公園 7 (インスピレーション・ポイント) 2010年06月リンク グランド・ティートン国立公園 7 (インスピレーション・ポイント)グランド・ティートン国立公園 8 (シュワバッカー・ポイント) 2010年06月リンク グランド・ティートン国立公園 8 (シュワバッカー・ポイント)ワイオミング州 おまけジャクソンホールの幌馬車 1 2010年06月リンク ジャクソンホール(Jackson Hole)の幌馬車 1ジャクソンホールの幌馬車 2 (インディアン強制移住法) 2010年06月リンク ジャクソンホールの幌馬車 2 (インディアン強制移住法)幌馬車隊の目的は野外レストラン余興で襲う役割のインディァンの方々ワイオミングの動物ワイオミングの動物(エルクとプレーリードック) 2010年06月リンク ワイオミングの動物(エルクとプレーリードック)グリズリー・ベア(Grizzly bear) 2010年07月リンク イエローストーン グリズリー・ベア(Grizzly bear)シェーンの時代に見るアメリカ開拓史の事情前回触れた西部探検のルイス&クラーク探検隊がもたらした地理情報や地図は1840年代以降になって、西部方面への入植者を増やしていく。その理由の一つは人口の増加である。アメリカへの移住者が増えて土地が必要になったからだ。「自由な天地」と、人々は西に向かった。しかし、そこにもすでに先住民族のインディアンが住んでいた。当初政府は、そこに住んでいるインディアンの長達と交渉し、物々交換、あるいは金銭により土地の譲渡をしてもらう条約を作ったそうだ。(1785年、公有地法が制定)つまり、いったん買い上げ、国の公有地にしてから開拓民に分譲して払い下げる・・と言う形をとったのだ。※ オハイオなど一部、そうした形できちんと契約された土地の例は残っている。しかし、アメリカへの入植者が増えるとインディアンを人と思わない白人達も増えた。当初メイフラワー号で移民してきた者はインディアンに助けられて生き残れたのに・・。彼らを追い出して政府から土地を買うことも無く、自分の土地をかってに造り出す者が出てきた。開拓した者が権利をうる・・と言う考えに近い。まさに西部開拓の時代は無法地帯だったと言える。欧州の国ではかってに植民地としたアメリカの土地を売買。フランスよりアメリカはルイジアナを1500ドルで購入。もはやそこにはインディアン達の土地と言う概念が無い。さらに移民は続々やってきた。人があふれて未開の土地に続々人がやってくる。耕作すれば土地が得られる・・とかってに信じて・・。「入植した農民が5年間耕作すると無償で一定の土地が得られる法律」があったから?実は順番が違う。かってに開拓して居座った者達が土地をよこせと騒いだのだ。「居住しています。」・・と言う既成事実を先に造ってから政府に訴えたのである。彼らの訴えのもと、リンカーン大統領はホームステッド法に署名した。それが新たな土地の規定である。※ エイブラハム・リンカーン(Abraham Lincoln)(1809年~1865年) 第16代アメリカ合衆国大統領ホームステッド法(Homestead Act) 1862年に制定アメリカ西部の未開発の土地、1 区画 160エーカー(約64.6ヘクタール 東京ドーム役14個分の土地)を無償で払い下げると言う自営農地法である。もちろん申請には条件がある。申請時に 21 歳以上敷地内に12× x14フィート(3.6×4.3m)以上の大きさの住居がある事が必須。建設後、自ら耕作した土地で最低 5 年間は農業を営んだという実績が必要。この法律により、さらに入植者が増えたのは言うまでも無い。最終的に、1862年~1986年の間に160万件が申請。その総面積は2億7,000万エーカー (1.097兆m2) アメリカの国土の10%に達しているそうだ。よく解らない広さだが、日本が2904個分くらいらしい (_ _ ??)/◇ワカラン・・とにかく途方もない広さの土地が無償で得られた・・と言う事です。次回アンテロープキャニオンなど国立公園でないけど景観の凄いアメリカを紹介して、お勧めはひとまず終わります。渡来人もう少しお待ち下さい m(_ _)m