デジタル機器とデジタル世代(Digital generation)
エルメスのApple Watch、ベルトだけでなく、エルメスのロゴ入リ時計も出していました。販売はApple公式とエルメスの一部。ベルトでお値段が異なりますが、公式価格147,180〜181,258円(税込)らしいです。Break Time(一休み)最近ジェネレーションZ(Generation Z)と言うワード(word)を耳にする。近年はデジタル環境の変化を以って世代(ジェネレーション)の区分けがされている。ジェネレーションZは現在の先端世代の総称らしい。終戦後(1945年)の日本の状況は、まだ生き証人がいるけれど、悲惨であったと聞いてきた。戦争賠償金など日本経済はどん底で、当時の日本人は何も考えずに、がむしゃらに働いて戦後復興を成した。しかも戦後わずか9年目にして好景気の時代を迎えている。※ 1956年の経済白書では「もはや戦後ではない」と宣言したそうだが、1954年~1973年までの19年間に続く経済成長期を「高度経済成長」の時代と呼んでいる。この時代を経てデジタル社会が到来するのである。今はデジタルのコンテンツばかりに目が向くが、一朝一夕にデジタル社会になったわけではない。当然そこには経済的背景も存在するし技術革新は必須。自分の生まれていない時代も含めて「一度整理しておかなければ」と言う事で今回デジタル機器の変遷とデジタル世代について経済もからめてザックリまとめて考察もしてみました。当初こんなに長くなる予定ではなかったのですが・・。まあ、いつもの事ね。それにしても家の古い機器を引っ張りだして撮影しましたが、お金かけたねー。と言う感想ですデジタル機器とデジタル世代(Digital generation)戦後のベビーブーム世代デジタル・ジェネレーションとは?ざっくりデジタル史 Apple とMacintoshとスティーブ・ジョブズ氏記録ツールの変遷(Floppy・MO・Zip・光磁気ディスク・ハードディスク他) データの情報量の単位 フロッピー(Floppy)とフロッピーディスクドライブ(Floppy disc drive) ZIPドライブとMOディスクドライブ ハードディスクドライブ(hard disk drive/HDD) ソリッドステートドライブ(Solid State Drive/SSD) MD, DVD, SDカード, USBフラッシュドライブ 光ディスク(第1世代~第3世代)インターネットの普及デジタル・ジェネレーションX世代(Generation X)の時代 カウンター・カルチャー(counterculture)Y世代(Generation Y)ミレニアム世代の時代 ジェネレーションYの学力Z世代(Generation Z)の時代グリニッジ(Greenwich)のコーヒーサイフォン戦後のベビーブーム世代かつては、ジェネレーション・ギャップ(Generation gap)と言うと文化や価値観、思想など、生まれた時代(世代)で異なる事によって起こる認識のズレを単純に指したワード(word)であった。例えば親の育った時代環境と子である自分の現在の環境が違うのは当たり前だから、物の価値観も違ってくるのは当たり前。昨今の親はそれを理解しているが、一昔前の親はそれを受け入れなかった。いつの時代も同じ価値観だと信じて疑わなかった? だから絶えず親と衝突していたのだ。しかも、昔は一つの家に3世代以上が同居していたからね。だから高齢化社会になればなるほどジェネレーション・ギャップの幅は広がるのは必然と言えた。しかも日本は80年前(1939年~1945年)に戦争を経験している。第二次世界大戦(World War II)。しかも負け組だ。これはどこの国もそうであるが、戦争の前後で社会は激変する。まして日本は敗戦国。戦前と戦後に大きなジェネレーション・ギャップが生じたのは当然である。何しろ敗戦国日本の現状は相当に酷かったから、戦争を越えて生き残り、かつ激動の戦後を乗り越えて来た人達の精神力は凄まじかった。強く無いと生き残れ無かったのだから父権も強くなろう・・。戦争は良い物ではないが、その激動を乗り越えて今に繋いだ彼らに敬意は表しても良いと思う。※ 現在は戦後生まれが全国民の8割を越えた。戦前と戦後と言うジェネレーション・ギャップは消えつつある。それにしても逆にまだ国民の2割が戦前生まれと考えると。驚きかも・・。ところで、戦後、世界的なベビーブーム(1946年~1952年)が巻きおこった。これは平和で安定した社会だからこそ新たなジェネレーションが誕生したわけだが、日本では1947年~1949年の3年間に出生数が800万人を超え1949年の出生数は269万6638人で戦後過去最多を記録。極端な人口増加を起こしたのである。※ 2019年の出生数は86万5239人なので今より3.1倍も多かった。※ 2020年の出生数は84万832人とさら減少。※ 1950年から減少に転じる。因みに、アメリカではこの世代をベビーブーマー(baby boomers)と呼ぶが、日本では堺屋太一氏が1976年に著した未来予測小説「団塊(だんかい)の世代」から、「団塊の世代」と呼ばれるようになったらしい。彼らは戦後混乱期、しかも連合国軍による日本占領下で生まれた世代(ジェネレーション)である。最も彼らも必ずしも思想は一塊りとは言えない。戦後孤児、母子家庭など育つ家庭の経済事情の差は今以上に大きく、学歴の開きもまた大きかった。ただ一つ共通であったのは、彼らがもれなく「戦争を知らない子供達」だったと言う事だ。親世代との価値観のギャップは今以上に想像以上に大きかった? だから思春期を迎えると、親への反発、社会への反発が爆発したのだ。彼らは60年代に学生生活を迎え、高校を卒業した者は金の卵と呼ばれ労働の主力とされた。一方大学に進学した者は学生運動に興じる。「自分達が正しい。」は思春期あるあるな思考だが彼らは過激に反発。また抵抗をした。どこの大学も学生紛争が起こり、ある意味華やか? 賑やか? だった時代に青春時代を過ごしている。客観的に見るとやりたい放題な世代だったのでは? この学生運動は後に過激さを増すが、基本大学を卒業すれば引退だし、振り返れば一つの流行のように去って行った感がある。※ 大学の自治会に所属していたが、私の頃は何もなかった。極めて平穏でした。彼らは高度経済成長期に学生時代or青年期を過ごし、役職が付く頃、バブル景気(1986年~1991年)を経験し日本経済に貢献。彼らが現在69歳~75歳。今の高齢化社会の戦後世代の先端にいる人達だ。が、残念ながら、彼らはデジタル世界の住人には入らない。でも、彼らの中からデジタル世界を切り開いた者が現れたのは事実だ。デジタル・ジェネレーションとは?そもそも、Z世代、ジェネレーションZ(Generation Z)と言うワード(word)はアメリカやカナダ中心に始まっている。遡ればジェネレーションZ(Generation Z)はカナダの作家ダグラス・クープランド(Douglas Coupland)(1961年~ )が1991年に著した小説「ジェネレーションX」と言うワード(word)に由来しているそうだ。※ Generation X 加速する文化のための物語 (Tales for an Accelerated Culture)ジェネレーションX(Generation X)は、およそ1960年代中盤~1970年終盤に生まれた世代が該当?とされているが、発案国アメリカではケネディ政権下(1961年~63年)からベトナム戦争終結(1975年)までの時代に生まれた世代を区切りとしている。つまりアメリカがベトナム戦争の泥沼にはまって社会が反戦などで激動しているさなかに幼少期を過ごし、80年代頃? 青年期or成年期に最初にパソコンに触れ始めたのがX世代である。そしてX世代を皮切りにY世代(ミレニアム世代)、Z世代、α(アルファー)世代とデジタルの進化と浸透に伴い次世代にもこの仕分けは続く?あとで細かく紹介。ざっくりデジタル史ここで、私の記憶も交えて、ちょっとデジタルの歴史をざっくり振り返ります。但し、専門家ではないので細かさと正確さは強く求めないでください。テレビが普及し、その後来るデジタル革命。※ 日本ではNHKが1953年2月1日テレビの本放送を開始。1958年、受信契約が100万件。1959年、白黒受像機の普及が200万台。しかし、デジタルと言っても電卓とか、電子時計とかワープロ程度。パーソナル・コンピュータは庶民にはまだ未知の物。パソコンが庶民に浸透するまでは時間を要した。それは金銭的理由が主だった?アメリカでは、1962年11月ニューヨーク・タイムズ紙て将来のパーソナル・コンピュータ(Personal Computer)に関する見通しが語られた記事が掲載されたそうだが、実際Personal ComputerがIBM から発売されるのは1970年代だ。でもそれはまだ相当に庶民から遠かった。まして日本には無縁。1985年、大型の携帯電話が開始された(まだ重くて高価)。3kgもあったから携帯と言うよりは肩にかつぐショルダー型にせざる終えなかったのだろう。※ 月額の基本料金が2万円以上、通話料金が1分100円もしたらしい。重い携帯電話が流通する80年代中盤頃? パソコンも流通。 こちらも非常に高価。Apple とMacintoshとスティーブ・ジョブズ氏Apple Computerが最初のApple Iを発売したのは1976年らしいが、日本で当時それを知る人はどれだけいたか? でもこれは革命的パソコンだった。そして1984年、Apple ComputerはMacintosh(マッキントッシュ)を発売。通称MAC(マック)は最初からウインドウズ。画面のアイコンをクリックするだけのシンプルパソコン。今のとほぼ変わらない。コアなファンが多かった。ある意味サブカルチャー的存在のパソコン登場で一気にマニアに広がった?このApple Computer 創始者がスティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)(1955年~2011年)氏である。2011年10月5日スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏が亡くなった時にちょうどハワイにいた。写真はワイキキのAppleのShop前で撮影。多くの人が彼を偲んだ。( TーT)m彼は私たちに色の付いたパソコンを最初に提供した人だ。そしてそれは誰でも簡単に操作できるユーモアと「遊び心」が随所に詰まったパソコンだった。カラーや音響は当初から優れていたからユーザーは音楽関係や映像関係、そしてなぜか医者に多かった。でも、当時パソコンはまだ能力も低い割には値段が高かったから仕事で必要とする人以外はあくまで趣味人に限られていた。前述、Macintosh(マッキントッシュ)の発売は1984年と紹介したが、MAC(マック)以外のパソコンはまだ数字とアルファベットが羅列(られつ)するよくわからない世界であったのだ。MAC(マック)は、ほぼ今のパソコンと同じ、アイコンがならぶ解り易いパソコン。だからマニュアルが無くても何とかなったが日本のパソコンの主流は後に出るマイクロソフト(Microsoft) のウインドウズ(Windows)に持って行かれた。それは官公庁がウインドウズ(Windows)系を使用していた事が原因だ。当初MAC(マック)で始まった会社もどんどんウインドウズ(Windows)に乗り換えて行くのを知っている。私自身もそうだ。今はWindows。ネット株のアプリがMAC(マック)になかったから、仕方無く移行した。でも映像や音楽を司るには今もMAC(マック)だろう。特にカラーは当初から定評があった。マイクロソフト(Microsoft) のWindowsはガンマ線の量が多く、比べると色がくすんでいたしカラーの数が全く違っていた。デジタル写真はMAC(マック)の方が断然綺麗だったのだ。とにかくMAC(マック)は動作環境の中にも遊び心がたくさんつまっていた。当初からMAC(マック)にあったゴミ箱のアプリだってそうだ。いらない書類などゴミ箱に入れるとゴミ箱はふくらんだ。早く棄てるよう促した? シャットダウンの前に必らず削除した。また作業がフリーズすると導火線に火のついた丸いバクダンが登場したし、違うフロッピーを入れたらペッと吐き出したりする。ちょっとワガママさも感じる親近感あるパソコンだった。利用する人達の遊び心も面白かった。iTunesで取り入れた音楽に合わせてユーザーの誰かが開発したアプリは可愛い女の子が踊りながら歌詞を表示するものだ。女の子をクリックしたら洋服がスケルトンになる。使う人達も個性ある変わり者だったのは間違いない。スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏がガレージで創造したパソコンは、彼の夢が詰まっただけで終わるものではなかった。私たちに便利で楽しい創造世界を与え、遠い未来を親近間ある明日にしてくれた。自分が当時どんな気持ちでパソコンをしていたか? トラブルがあっても苦じゃなかった。彼はパソコンを相棒のように、最初の起動時に名前を付けさせた。私の初代はトロンちゃん。次代がサリーちゃん。とにかく可愛い友達のようなパソコン達だった。そう言う意味で言うと、今のiPhoneは違うのよね。スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)氏が今この世界にいない事が非常に残念です。直接「ありがとう」と言いたかったです。心からご冥福をお祈りいたします( TーT)m ところで、パソコンの普及期、80年代~90初頭初頭まではパソコンは分厚いマニュアルを読んで自分で何とかするしかない時代であった。パソコン教室なんて無いし、カスタマーセンターもなかった。マニュアルで解らなければ、友人のそのまた友人の伝をたどってパソコン・マニアを見つけて教えをこいた事もあった。全部なつかしいわー。当時のパソコン通信と言えばコンピュータ同士をつなぐLAN接続。しかもデジタル情報を記録するツールはまだフロッピー (Floppy disk)。モニターはまだブラウン管の時代。でもMacintosh のLCシリーズはソニーのTrinitronを採用していたのでカラーの発色も綺麗。私のパソコン(PC)初購入は90年代初頭? はっきり覚えていないが、1994年発売のMAC LC575は持っていた。当時の販売価格は358000円もしていたらしい。全く覚えていない。標準メインメモリ 8MB。最大搭載メモリ 36MB。ハードディスク 160MBしかないのに※ 当時はパソコンよりむしろメモリーが高かった。写真下、右のドーム型PCのiMacは私のデスクトップタイプパソコンの3代目か4代目。1998年6月発売の初代ボンダイブルーのiMac G3も発売してすぐに購入。流線型の美しいパソコン。人気で手に入れるのが大変でした。販売価格は178000円だったらしい。LC575のお値段の半値だから、これでも当時は安い方。「下がった」と言うべきか?このiMacG3は後に複数のカラーバリエーションで展開。でもやはりこのカラーが一番良い。一体型で良かったのですが、CDディスクドライブが割とすぐに故障。その修理費が数万かかった。Macはスティーブ・ジョブズが復帰してオシャレに蘇った。そのデザインだけでオブジェ。だからいろいろ装備したくなる。配線はオシャレじゃないし、使いづらいからキーボードもマウスも無線仕様にした。右側 iMac G4 2002年発売。アームに液晶ディスプレイが付いた変わり物。左側 iMac G5 2004年発売。液晶ディスプレイ一体型。新しい物好きなのではありません。当時のパソコンはCPUもハードもメモリーも進化がすさまじく1年毎に買い換えないとついていけない状況だった。(本当は半年くらいです。)この時点で右のiMac G4はすでにクラシック音楽を聴くだけの専用機になっていた。もはやメモリー増やすよりCPUも良い物を・・で買い換えたと思う。因みにiMac G5からiTunesはネットに接続するようになった? だからiMac G4では重くて無理だったのかも・・。右の球体2個と奧にウーハーがある。左の四つ葉のクローバー(別売り)2個も音響用スピーカーです。Appleのおかげで音響機器(オーディオ)はいらなくなった。因みに、2001年10月MAC(マック)専用のデジタルオーディオプレーヤーiPodが発売される。iPodも5機種くらい買いました。一番のお気に入りが右のiPod nano。海外旅行のお供で活躍。左からiPhone 12iPod touch (PRODUCT)REDiPod nano 第6世代 (PRODUCT)RED※ iPod nano 第6世代は右のベルトに取り付けて使用。一応クリップにもなっている。これが後に進化してApple Watchになったのかな? 因みに最近エルメスがApple Watchに参入。文字盤にエルメスのロゴ入リ、素材も違う? ベルトでお値段が異なります。※ (PRODUCT)REDはApple shopでしか購入できないタイプで寄付が付いたもの。※ Appleで直接購入すると文字の刻印サービスがあるのだが、今回のiPhone 12は無かった。※ iPhone 12の赤は一般のお店でも購入できる。※ iPod touchにもバーチャルアシスタントSiriが搭載されている。他メーカーでもデジタルプレヤーは出ていたが、iPodではフォスター電機(Foster Electric Company)のイヤフォンを純正の付属イヤフォンとして採用したので良いヘッドフォンをわざわざ購入しなくても最高の音楽が聴けた。音にもこだわっていたApple。スティーブ・ジョブズは神 °˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖° m(゚-゚*)ところで、私は音楽CDは買う派です。決してレンタルはしなかった。初期のパソコンはiThunesがうまく移行せず、パソコンを変える度に音源の入れなおしの必要があったからです。最も一度パソコンに落としたらCDはいらなくなるのでディスクは綺麗なままで保存されています。今はサブスクでしか音源を聴かない人達が増えているようですが、私は音源のCDを本箱に並べているのでジャケットを見るだけでも過去に自分が付き合った音楽が見えて楽しい。そしてジャケットがあるから永遠に忘れる事なく思い出す。サブスクだともし音源が消えたら過去の自分の音楽履歴も失われる。スマホ無くしたら終わりだし、年齢を重ねて行くと記憶も薄れて行くからね。絶対忘れるよ。情報と言うのは聞くだけでなく、目でも捉えてダブルで脳裏に焼き付けた方が良いのです。サブスク頼りにしていると、いつか困る事になるゾと、アナログな事を言いながら、今「Ado」の「ギラギラ」をリピートしながら書いている。「Ado」は基本ネット配信。仕方ないからiTunesから購入。AdoさんはジェネレーションZ(Z世代)を代表する人です。やはり天才が多い?(YouTubeの)ストリートピアノにもはまっているが、Z世代は革命児が多いのかな?記録ツールの変遷(Floppy・MO・Zip・光磁気ディスク・ハードディスク他)パソコンのデータのバックアップは大切です。かつては大容量の記録ができるツールが無く、フロッピー(Floppy)を何十枚も使用した時代もあった。今考えると狂気の沙汰ですねデータの情報量の単位コンピュータでは主に2進数を扱うので2の10乗=1024 が単位1bit(ビット)=8byte/B(バイト)1KB(キロバイト)=1024B(バイト)1MB(メガバイト)=1024KB(キロバイト)1GB(ギガバイト)=1024MB(メガバイト)1TB(テラバイト)=1024GB(ギガバイト) ※ 1024でなく、1000バイトであらわす時もある。解り易いから?フロッピー(Floppy)とフロッピーディスクドライブ(Floppy disc drive)2DD=約720kB(キロバイト) ワープロ用2HD=約1.44MB(メガバイト) パソコン用上のフロッピーディスクドライブ(Floppy disc drive)はUSBが付いているので近年の物。昔のはもっと大きかったしケーブル接続だった?そもそも昔のパソコンにUSBポートなんて無いからね。ZIPドライブとMOディスクドライブZIPドライブ(Zip Drive)とMOディスクドライブ(MO disc Drive)ZIPドライブ(Zip Drive)登場。Zipでも100MB(メガバイト)。MOディスクドライブ(MO disc Drive)登場。640MB(メガバイト)※ MOは光磁気ディスク(magneto-optical disc)の事。ZIPドライブ(Zip Drive)は1994年後半にアメリカのアイオメガによって開発されたリムーバブル磁気ディスクメディア。100MBから後に250MB、750MBの製品が登場するがその頃は他に乗り換えている。やっと外付けの大容量ハードディスクドライブ(hard disk drive/HDD)登場外部補助記憶装置として利用。上の大きい方のが古い 外付け別電源 3TB(テラバイト)=約3000GB(ギガバイト)下のポータブルハードディスク(HDD) 4TB(テラバイト)=約4000GB(ギガバイト)上下共、撮影写真の保存用のみで使用。どれも容量で値段が違います。今は大容量で、しかもサイズも小さくなってきたが・・。ソリッドステートドライブ(Solid State Drive/SSD)すでに大容量の記憶媒体は次世代のSSDに突入。パソコンに内蔵されている標準SSDは240GB(ギガバイト)~ それを容量の大きいSSDにチェンジした残骸が上らしい。写真もらいました専用ケースに入れて外付け用もできる。2~3年前あたりから新型パソコンはすでにハードディスク(HDD)からソリッドステートドライブ(Solid State Drive/SSD)に移行が始まっています。半導体メモリをディスクドライブのようにしたもので、以前のHDDがディスクを回転させて読み込んでいたのと事なりディスクに磁気的に記録するため振動にも強く、消音。消費電力も少なくすむ上に軽量というメリットずくし。データの転送速度はHDDの5倍はあるらしい。技術革新は日々起きていて素晴らしい事だが、デジタル世界に終わりは無いから先端を追っかけるのは大変だー。我々庶民は安価になったら導入。次のが出たら安くなるから一歩遅れてついて行ってる感じかな?※ 今のパソコンはネットだけなら長く使用できますが、パソコンの世代が開き過ぎると、データの移動ができない物もあるので気をつけてください。MD, DVD, SDカード, USBフラッシュドライブ一般の人がお馴染みの小容量の記憶媒体 サイズ比較用ですミニディスク(MiniDisc/MD)光ディスク かつてのカセットテープ代わり? 音楽の録音用に一時期使用。DVD(Digital Versatile Disc)光ディスクSDメモリーカード(SD Memory Card/SD)フラッシュメモリー系 デジタルカメラ、スマホなどで利用USBフラッシュドライブ(USB flash drive)フラッシュメモリー系SDメモリーカードとUSBフラッシュドライブは簡易に持ち運べる大容量フラッシュメモリ。USBフラッシュドライブはそのままUSBに差し込めるので便利。SDメモリーカードはサイズにあったリーダライタが必要。カメラやスマホのSDカードは形が様々。リーダライタは複数形が読み込める物が便利。下は4タイプ付いている。※ パソコン自体にSDメモリーカードの差し込みが付いている場合もある。読み込みの速度はパソコンの能力そしてリーダライタの能力による。それにしても今は何でもUSB接続が一般的になったけど、昔は各社のパソコンに互換性も無かったから接続のジャックとか、コネクターの形は様々。その互換性の無いパソコン同士、またプリンターやファックスなど器具に繋げる為にケーブルも色々購入してきた。今更使用しないだろうケーブル。解る人は解るらしいが、何のコードだったか解らなくなったケーブルの束。お金かけてきただけに棄てるに棄てられないジレンマ。今は逆に貴重?デジタル世界をリードしてきた「ジェネレーシヨンX」以前の人達。彼らに断捨離って無理そう。光ディスク(第1世代~第3世代)10年毎に変革されている。1980年代初頭第1世代のCD(Compact Disc)が登場。1990年に第2世代のCDが登場。従来のCDの約6倍の記録が可能になったDVD(Digital Versatile Disc)は第2世代。※ 1991年ソニーがMD(MiniDisc)を発表するが、これはあまり流行らなかった。いわゆる昔のカセットテープがMDに代わった感じ? 2000年に第3世代CDが登場。青色レーザー(Blue laser)を使用したBlu-rayはここに入る。※ 2005年頃持ち運びできる小さなフラッシュメモリ(Flash Memory)が登場。値段は高価。その主力がUSBフラッシュドライブ(USB flash drive)。写真とか小さなデータの持ち運びに利用しています。値段がシェアを決めるが今は用途で分けられているかも。海外旅行で写真を撮ると一日の枚数も膨大で、しかも最近はカメラの性能も上がりかなり高画質。データは一度デジカメのメモリーからパソコンに落とし、それを携帯している外付けのハードに移動させる。この作業を毎晩行うのが結構大変です。充電の為のコンセントも諸々順番待ちだし・・。 パソコンはもちろん旅行に携帯するデシタル機器もどんどん増えて行く。カメラもニコンなのでそれなりに大きい。電池の予備などもある。キャリーケースがデジタル機器で一杯。そして重い。インターネットの普及インターネットが開発され庶民も利用しだすのが90年代だが、日本では2000年代からやっと本格化。高速通信が可能になった事も大きいが、何より通信費が価格破壊された事が要因だ。90年代でも、日本でのパソコンの普及率はまだ低い。限られた人だけ。ネットが無い段階でのパソコンの用途は限られている。当初はワープロの延長にすぎなかったパソコン。私にとっての初期のパソコンはワープロ代わりと音楽と時々ゲーム。Macintoshではかなりハイレベルな3Dゲームができた。日本ではやっと安価な携帯電話が普及。しかしアナログだ。通信にISDNが開始されるのは90年代末。 アメリカでは93年にはインターネットでピザの宅配が行われていた(カリフォルニアの地域限定)が、その時点で日本の公式ホームページは3件しかなかった。そのうちの一つが首相官邸の写真一枚のせてただけの日本政府。世界の大学がインターネットでつながり始めていたのに日本のネット環境はまだ皆無。「アメリカより8年以上遅れていた」。因みに93年時点、日本のインターネット代は月額30万~80万円くらいしていた。(私、当時調べてました。)ミレニアム(新世紀)になってやっとメモリーが安くなりパソコンも安価になり、通信費も安くなりインターネットは当たり前のツールになってきた。その時にADSL通信が開始。とは言え、古いCPUのパソコン、あるいはハードやメモリの低いパソコンでは使用できなかったから買い直しです。メモリーの数字は一気に上がったし・・。ADSLから光通信の期間は割と早かったような・・。当時は光と言っても遅くて実際の速度はADSLと変わらなかった。パソコン自体の立ち上がりも遅くて、作動するまでに色々用事ができた。ある意味なつかしー。 日本でインターネットが普及したのはソフトバンクが2001年(平成13年)9月「Yahoo! BB」サービスを開始して確か月額2980円? と言う格安通信費を打ち出したから。これがなければ日本の通信費は高いまま、日本庶民のインターネット時代はもっと遅かったはず。孫社長ヾヾ(^-^) ありがとぉ♪ところで、先に「インタネーットだけで日本はアメリカより8~10年スタートが遅れている」と前述しましたが、実は私、93年頃に日本ですでにインターネットを経験しています。日本ではまだ稀少でした。国立ガン研の研究者が独自でインターネットを確立。それが国立ガン研のみならず厚生省からも支持された研究室となっていて、そこで一時期秘書をしていた事があるのです。ネットサーフィンはその時に経験。しかし当時、アメリカのサイトくらいしか見る所もなかった。また当時、アメリカと言えど、サイトは文字多め。企業によっては文字しかなかった。ネットを自宅でしたら幾らになるか? を当時調べたのもそうした理由です。因みに、当時のガン研を利用するインターネットのお値段はA宅→ 国立がん研のサーバーにアクセス → 例えばアメリカの大学のサーバーに接続。A宅の料金は国立がん研のサーバーにアクセスしている時間の電話料金と言う事でした。当時の国立がん研は大学教授や医師などの希望者に無料でアカウントを出していたので私も知り合いの私立医大の教授を紹介。先生曰く、インターネットで通信をしようと世界の医者から言われるけどインターネットて何? と言う世界だったそうで、とても喜んでいました。そして2000年期になって、ようやく私も自宅でISDNを契約しインターネットを始められた。前述したよう2001年にソフトバンクがADSLを使用した格安インターネットサービスを開始。私もすぐに乗り換えた。実はたまたま派遣の仕事でその時にソフトバンクのコールセンターに居たのです。インターネットとはご縁がありありだったのです。さて、2000年期に入り携帯もデジタル化し、スマートフォンも登場。日本は2010年くらいから本格的に普及? この10年で激増したが未だガラ系は高齢者に残っている。私は基本パソコンで処理するのでスマホはラインとゲームと電話のみ。電話はガラの母用です。パソコンを持っていない者はスマホでネット接続。だからスマホ・マスターは若者だったのかもしれない。2020年以前、パソコンよりむしろスマートフォンが主流?スマートフォンでインターネットするのが当たり前のようになった。今はスマホだけで色々できる時代。逆に無いと何もできない不便さ。しかし、スマートフォンが主流だと思っていたが、2020年1月、コロナのパンデミックで時代はまた変革された。会社とお家のリモートによりパソコンがまたバカ売れ。子供の学校や塾もリモートに突入。新しいα(アルファー)世代が誕生するのです。※ X世代、Y世代(ミレニアム世代)、Z世代とアルファベットはZで終わり。次に来るのはギリシャ文字の α(アルファー)となり、α(アルファー)世代になるらしい。デジタル・ジェネレーションX世代(Generation X)の時代先に紹介しているとおり、アメリカではケネディ政権下(1961年~63年)の時代からベトナム戦争終結(1975年)までの時代に生まれた世代を区切りとしている。そして青年期以降にパソコンもしくはインターネットを経験して現在にいたる世代。45歳~60歳以下。世代と経済の互換性を見る図を造ってみた 表1 1940年~1980年初頭しかし、この世代はアメリカに限定される部分がある。日本と同じには語れない。ベトナム戦争(1964年~1973年)の開始から敗北により精神も経済も疲弊していた時代にアメリカで生まれた子供達だからだ。※ 日本は第二次世界大戦(World War II)以降に戦争は無い。しかしアメリカでは再び戦争に突入。その頃アメリカでは親世代の離婚率も上昇している。ベトナム戦争は終わっても時代は代理戦争(冷戦)に突入。アメリカでは徴兵制度があったから、それは他人事ではすまされなかったのだ。カウンター・カルチャー(counterculture)50年代の経済が好調であった古き良き時代を懐かしむ親世代に対して、若者の間では60年代末からヒッピー(hippie)が流行する。一時は一世を風靡(ふうび)するヒッピー(hippie)。位置づけからすればサブカルチャー(subculture)と言えるが当時は反体制的なカウンター・カルチャー(counterculture)として捉えられた。※ counter・・対抗する、立ち向かう、正反対に からcountercultureは既存に対抗する文化。世代が違うから詳しくは解らないが、教会的な倫理に反した自由奔放な生活や生き方をして既存の体制に反逆した若者達だ。アートはサイケ、ファッションが独特で男性でもロン毛でヒゲを生やしアクセサリーをジャラジャラ? ドレープのあるローブのような長い羽織をしたり、今の目線でオシャレではあったが総じてアナーキー(anarchy)な印象がある。実は叔父に1人いた。小汚いカッコと叔母に言われ、お金はかかっているんだ・・と反論していた叔父。流行が過ぎると叔父はハイソサエティー相手のアクセサリーのデザイナーになった。そして今は行方不明です。(。>﹏<。) 自由すぎだ。話しは戻って、叔父もそうだが、日本の場合は一過性の流行の域を出なかった? 本気の人は今も貫いているかもしれないが、たいていの人はすぐに次の流行に乗った。因みに第一次ブランドブームが起きたのも70年代だ。つまり日本では思想よりもスタイルとファッションが真似されただけ? 日本での半体制派は学生運動の方に目立っているかも。だから日本とアメリカは違う。アメリカのヒッピー(hippie)の特徴はベトナム戦争の徴兵をのがれた若者が多かったと言われている。だからここから反戦活動も始まっている。Generation X は幼少期に彼らを見ているわけで、ヒッピー(hippie)である自由主義な親に翻弄された世代でもあるかも・・。私の記憶は70年代以降であるが、こうして振り返ると新しい世の中に新しい思考の人達が集まってワサワサしていたアナログだけどユニークな時代だったのかも・・。自分はGeneration X に入ると思うが、確かに「何でも許容できる振り幅あり」の世代かもしれない。それは先のように当時の社会環境が育てたのかも? 同性愛にしたって、私は普通に肯定派。同じ人間同士、なぜ悪い? 逆に肯定派でも「それを個性として肯定する人」はどうかと思う。「好き」な気持ちに理屈をつける必要は無いからだ。考えはシンプルで良い。・・・と思っている。そもそも論議する必要性も無い。カトリックの教会的にはあるのだろうが・・。最近流行のようにジェンダーレス(genderless)が来ている。ジェンダーレス(genderless)は男女の性差による環境が取り払われた世界と言える。すごく良いと思う。流行にしてほしくはない。これが当たり前の世界観にこれからきっとなるだろう。Generation X 自体がすでに理解ある世代なのかもしれない。言われればホイホイ信じちゃう? 納得しちゃう? ところもあるかも・・。それが良いのか悪いのか? は別として・・。Y世代(Generation Y)の時代1981年頃~1990年台後半頃までに生まれた世代。デジタル社会となった2000年代以降に成人を迎えた世代だからミレニアム世代とも。現在40歳~20代半ば。表2 1980年~2021年現在バブル期にパソコンが一気に進化と同時に売れたのだろう事が想像できる。アメリカより遅れる事、日本にデジタル社会が到来するのは、ほぼミレニアムからと言える。インターネットの通信の環境が整うのがこの時期だからである。それにしてもジェネレーションXは高度成長期に生まれて、バブル経済期に成人しているので最もラッキーな世代かも。一方、ジェネレーションYはバブル期に生まれてはいるが、成人する頃にはバブル崩壊後の不景気でつつましい生活をよぎなくされた世代かもしれない。特にジェネレーションYの後半に生まれた者は親が不景気の時代に幼少期をすごしているから尚更だ。この図を見て思うのは、インターネットに真っ先に食いついたのはジェネレーションXだったのではないか? と言う事。特に彼らはバブルを経験しているので不景気でもひるむ事なく欲しい物を手に入れたと思う。そしてジェネレーションZは、そんなジェネレーションXの子供世代である。何でもそろった環境を与えられた最も良い世代かもしれない。彼らの将来は明るい。新しい未来を造るのは彼らなのだろう事が間違いなく予想される。ジェネレーションY 現在26歳の甥のケース6歳の誕生日に子供用PHS(携帯電話)をプレゼントしたらSNSで20歳の男性からナンパのメールが来て笑った。甥は早めだったが、それでも彼らの時代携帯電話は中学時代(2007年)クラスのかなりに普及していた。ただ画像を送ると高額料金を請求される時代であったから使用に制限がかなりあった。パソコンに関しては、自宅のパソコンに触れる程度。今ほどに学校にパソコンは普及していなかったと思われる。パソコンの値段はまだ高かったから家でもあまり触らせてもらえなかったかもしれない。中学の入学祝いに電子辞書を贈った。辞書は完全に本からデジタルに移行していた世代だ。書物離れが加速するのも解る気がする。彼らはパソコンこそ触れていないが、電子辞書と言うツールで検索はしていた。デジタル機器の取り扱いは思っているより慣れた世代かもしれない。自分の信じた道をきちんと構築して進学、就職と勧めてきた甥は頭の良い子。彼は中身的にはジェネレーションZに近いかも。ジェネレーションYの学力ただ、懸念するのは彼らが完全に「ゆとり教育」世代だと言う事。「ゆとり教育」の弊害は、確実に日本全体の学力レベルを落としたと言う事。甥のように親が気づかい塾に通っていた子とそうでない子の学力差はかなりだ。できる子にとって公立の学校は、満足できなかったろう。日本では横並び教育が推奨されてきた。ダメな子が落ちこぼれないように標準が下げられる。だから頭の良い子は先に進めない。天才が生まれない土壌。むしろ天才を疎む土壌があるように思う。日本を造り牽引するのは標準の子では無いと言う事にいつ気付くの?天才をたくさん育てて日本に貢献してもらわなければならない。その天才がたくさん出てきているのが「ジェネレーションZ」かも。Z世代(Generation Z)の時代1990年後半頃~2012年頃に生まれた世代。とは言えGeneration Yとの端境期(はざかいき)は微妙。※ 1990年以降とする分け方もある。私が分類するなら、バブル経済の終わりに生まれた世代かな?現20代前半以下から小学生くらいまでの若者。彼らが今、時代の先端を行く? 注目のジェネレーションZ(Generation Z)である。※ 小学生(9歳)以下は次の世代にカウント? α(アルファー)世代。ジェネレーションαが決まっている。おそらくリモート世代に分類かな?とにかく生まれた時からデジタル・ネイティブで、スマホ・ネイティブでSNSネイティブ。彼らジェネレーションZの大半がジェネレーションXの子供の世代。先に紹介しているようインターネットに真っ先に食いついたジェネレーションXの子供達と言うのが特徴と言える。「独特の感性を持つとも評される彼ら」当然である。私たちがかつて見ていた未来の中に生まれているのだから当然世界の感じ方も違ってくる。このボーダレスなグローバルな世の中しか知らない彼らだから、最初から日本だけなんて眼中にない。目の前にあるのは地球全土だろう。壮大な世界の中で自由に生きていこうとする彼らがうらやましくて仕方が無い。ある分析によれば、彼らは「恐怖・リスクを避けて、安全・安心を求める」とされているが、これはGeneration Yの分析のように思う。生まれた年代を1990年初頭とするか? 終わりとするか? で違いがでたのではないか? と思う。Generation Xの子供達であるならば、何も怖い物は無いのではないか? 好きな物に飛びつく。そして実行する。目の前には自分の想像した世界が広がっている。その実現が彼らには可能。そんな自信に満ちた世代と感じられる。何より親が子を信じて応援している世代だ。子供の頃から諸々、英才教育を受けてもいたはず。それはGeneration Zの親(Generation X)は先に紹介したよう高度成長期に生まれて、バブル経済期に成人しているからだ。お金が無くても子供の為に自分の時以上に可能性を与えたいと願ったのではないか? と思うからだ。そう言う意味でGeneration Yとの違いは、親自身の経済的背景が端的に表れているのではないか? と推察する。私の造った表を見てね。最後にインターネットにまつわる伝説を一つ紹介グリニッジ(Greenwich)のコーヒーサイフォンインターネット事初めの伝説があります。私は雑誌か何かで読んだのか?初期のインターネットは写真一枚、あるいは文字しか無いと言うのがほとんど。そんな中で唯一UPされていた動画がイギリスのグリニッジ(Greenwich)の研究室に置かれたコーヒーメーカーだったと言う。普通にサイフォンにコーヒーがたまって行く映像がずっとカメラで撮され流されていただけ。でも、そんな映像を見た世界の人から「コーヒーが出来ていますよ。」と言うメールのお知らせがたくさん届いたと言う。私も無い時代にネットサーフィンしているから解る。画像は飛びつきますわ。皆さん敢えてグリニッジのコーヒーを監視していたと言うのも解ります。写真はかろうじて・・だろうけど映像は全く無かった時代ですから。その頃から考えると本当に未来に来たようです。インターネットの機器の変遷。自分も整理しておいて良かったです。おわり