テーマ:不機嫌なジーン(143)
カテゴリ:不機嫌なジーン
愛し合ってるのに結ばれない男女の物語というのは、
昔からいろいろあります。 たとえば『ロミオとジュリエット』とか、 『君の名は』とか『冬ソナ』なんかもそうですが、 本人どうしは愛し合ってるのに、 外的な障害がいろいろあって、なかなか結ばれないって話。 でも、 『ジーン』の場合はそれとは違ってた。 この2人には“外的な障害”というのは何もありません。 むしろ、周りはみんな、2人が結ばれて欲しいと思ってる。 家族も、友人たちも。 『ジーン』の2人が結ばれなかったのは、 外的な障害のためではなく、 むしろ“内なる理由”のためです。 そのために、愛し合っていても結ばれなかった。 というよりも、 本人たち自身が、結ばれない道を決断しなきゃならなかった。 自分と、愛する人に対して真摯であればあるほど、 そうしなきゃならなかった。 それは、潔いことなのかもしれないけど、 外的な障害で結ばれない運命よりも、そのほうがもっと悲しい気がする。 ◇ すでに他の人も書いてたけど、 仁子ちゃんの決断は、 「仕事か、結婚か」という選択ではありませんでした。 じっさい、仁子ちゃんは南原教授に 「仕事をやめて俺のところへ来い」 と言われたのではありません。 むしろ、 「俺のところで研究を続ければいい。 そのほうが思う存分研究を続けられるんだから。」 というように言われたんです。 仁子ちゃんは、それにもかかわらず、 いつか、あなたのもとから飛び立ちたくなってしまう。 と言ってしまう。 「飛び立つ」というのは、 たんに“研究者になる”ということではなくて、 同じ研究者であったとしても、 “教授とは異なる道を選んでしまう”ということだろうと思います。 ◇ 南原教授は、 「愛するものを守るためなら、地球が滅んでも構わない」 と考えるような人だし、 彼は、そういう意味で、強い「男気」をもっている人です。 普通の女の子だったら、むしろそういう男の人を選ぶ。 そのぐらい、総てを賭けて自分を守ってくれるような人を選ぶと思う。 でも、仁子ちゃんはちがう。 そうやって「自分が守られること」に疑問をもたずにはいられないから。 自分たちのために地球が滅んでしまったりするのは、我慢できない。 だから、 「いつか自分は、あなたのもとを飛び立ちたくなってしまうだろう」 と予感せざるを得なかったんだという気がします。 ◇ じつは、教授も、そのことを完全に分かっていました。 2人は、お互いに愛し合って、 お互いのことを理解しつくしているがゆえに、 それぞれの“内なる理由”にしたがって、別れを選ばなければなりませんでした。 仁子ちゃんは、その後、 社会の問題にも深く関与しながら、 研究者としての信念を実現するための、仕事を続けていきます。 彼女は幼いころから生きものが大好きだったし、 そういう意味では、南原教授以上に「天性の生物学者」だった。 だから研究者としては、妥協がなかったと思う。 それは、「研究者としての倫理」とかいう以前に、 それこそが彼女にとって最大の幸福で、生きる道だったんだと思う。 でも、 ラジオからあのメロディが聞こえてきたとき、 ふいに仁子ちゃんはうなだれて、後悔と悲しみに頭をかかえます。 そして、そこでドラマは唐突に終わってしまう。 わたしは、このラストが、とても美しいと思います。 悲しいけど・・。 繰り返し見るたびに、美しいラストだと思ってしまいます。 ◇ さて、 話は変わりますけど、 今日は「神宮司教授」のことをとりあげたいんです。 でも、 その前に、まずは「勝田」の話。 南原教授とは対照的な人物として、 このドラマにはオダギリくんが演じた「勝田」という人物が存在します。 もともとこのドラマは、 そんなに「善悪」とかがはっきりしたドラマなわけじゃないけど、 オダギリくんは、いわば「闘う人間」の象徴で、 南原教授のほうは、「闘わない人間」の象徴だったと言えるかもしれません。 そして仁子ちゃんは、2つの立場のあいだを揺れる存在でした。 で、 そこに、もうひとり重要な人物がいて、それが神宮寺教授。 彼女のセリフに、こんなのがある。 わたしは、数学とダンナのこと以外は考えないようにしてるの。 あとは、ちょっと友人の心配をするだけ。 このセリフは、彼女のポジションをよく表してると思う。 「数学とダンナのことしか考えない」というのは、たぶん、 “人間社会の面倒なことにはなるべく首を突っ込まない”ってこと。 そして、「面倒には巻き込まれたくない」って考え方は、 南原教授が日本を離れてオーストラリアへ戻るときの考え方と同じです。 神宮司教授と、南原教授は、とても近い立場にあると思う。 面倒なことにまで首を突っ込んで、 国を敵に回したりして自分の身を危うくするのは避けたいし、 そのことで家族を犠牲にしたりしたくもない、という考え方です。 けれど、いっぽうで、 神宮司教授は「ちょっとだけ友人の心配もする」と言ってます。 ここが、じつは彼女のアンビバレントなところです。 ここで彼女が言っている「友人」というのは、 もちろん南原教授や仁子ちゃんのことでもあるんだけど、 なんといっても、オダギリくん(勝田)のことなのです。 闘争しつづけるオダギリくん。 彼のことを、神宮司教授は目を離すことができずに見守りつづけています。 彼のことをいちばん気にかけているのが、じつは彼女です。 まったく正反対なキャラクターなのに、 オダギリくんと神宮司教授がもっとも親しい友情関係にあるってことは、 ドラマのなかでも大きな「謎」でした。 彼女は、ふだんは数学の世界に没入してるけど、 じつは、「闘う人間」と「闘わない人間」の真ん中に立ってる人。 そして、両方の人たちのことをよく見てる人。 世の中のことに深く関与して闘ってる人たちの、 その激しさや怖さのこともよく知ってて、 闘う人たちに対して強いシンパシーも寄せてる人。 ※だから、小学校のなかの平和すぎる世界の話を聞いたときなんかには、 「健全すぎるっ!」と目を背けたりもしています。 彼女は、ほんとうはドロドロした人間社会のほうが好きなのかも。。 そして、その闘うことの厳しさや痛みを知ってるからこそ、 仁子ちゃんが「闘う研究者」になることには反対したのかもしれません。 でも、仁子ちゃんが「闘う研究者」になることを選べば、 やっぱり彼女は、 仁子ちゃんに対しても強いシンパシーを寄せることになると思う。 そして、彼女を見守ってると思います。 ◇ ここで、 ふたたび、仁子ちゃんと南原教授のことに話を戻します。 二人が、この先どうなるか。 もういちど、結ばれることって可能なのか。 わたしは、 南原教授だって「研究者としての倫理」が無いわけじゃなかったし、 きっと2人が同じ道を歩むことも可能じゃないか、とも考えました。 でも、あらためてドラマを見返してみて、、 やっぱり難しいのかなぁという気がしています。 その大きな理由のひとつは、やっぱり「有明海」です。 たとえ2人が「研究者の倫理」を貫いて、 同じ道を歩むことができるようになったとしても、 「有明海」の問題を放置したまま、というわけにはいかないんだと思う。 かならず、この問題は2人の中に残ってしまうし、 そこをクリアできないかぎり、2人は同じ道を歩めない気がします。 そして、こればっかりは、 「ドラマ」のなかで勝手に始末をつけられる問題じゃありません。 もちろん、物語そのものはフィクションですけど、 ドラマの中で勝手に「有明海」のことに決着をつけるのは不可能だから。 現実の「有明海」に希望が見出せないかぎり、 このドラマにも、幸福な「続編」は望めないのかなと思っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005.10.01 00:37:07
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