テーマ:政治について(20189)
カテゴリ:政治
今回のユーミンの発言で、
もっとも注目すべきことは、 彼女が、 安倍晋三と「ロマンの在り方が同じ」だと述べた点です。 この「ロマン」の意味するところは明確ではありません。 けれど、ごく普通に考えれば、 安倍晋三にとっての最大の政治的ロマンが、 「憲法改正」(とりわけ9条の改正)だったことは明らかです。 今後、 ユーミンの楽曲を分析的に語るうえで、 彼女自身の「政治的ロマン」について考えることは、 おそらく避けて通れないでしょう。 それは彼女の音楽を考えるうえで、ひとつの"棘"になる。 いまや現役ミュージシャンとしてのユーミンは、 ほぼ死んだに等しいのですが、楽曲そのものは今後も残り続けるからです。 ◇ ここで、 考えるべきポイントを3つだけ提示しておきます。 ひとつは、 (彼女の楽曲との直接の関わりはありませんが) 松任谷家とユーミンの存在が、 「頭山満」と「日本会議」との連続性を考えるうえで、 結節点の一つになるかもしれない、ということです。 ふたつめは、 ユーミンがデビューする前に収束した、 全共闘運動との関わりについてです。 とりわけ「いちご白書をもう一度」を聴くうえで、 彼女が「学生運動のことをどう捉えていたのか」という問題を、 考えずには済まないはずです。 みっつめは、 やはり日本軍によるインドネシア占領の問題です。 「スラバヤ通りの妹へ」を聴くかぎり、 ユーミンが、旧日本軍のことを、 「インドネシアをオランダから救った解放者」 と見なしていることは、ほぼ間違いないのです。 その結果として、 インドネシアのことを「妹」と表象している。 しかし、この問題は、 たんに日本国内の議論で済まされるものではありません。 じつはインドネシア国内には、 旧日本軍の行為を「解放」とは考えない人々も大勢いる。 インドネシアにも、韓国と同じように、 日本軍によって強制労働を強いられた人々がおり、 さらには慰安婦にさせられたインドネシア人女性と、 現地に在住していたオランダ人女性がいたからです。 ユーミンの音楽において、 頭山満の「アジア主義」はどう反映しているのか。 そのことを考えるうえで、 「スラバヤ通りの妹へ」は重要な手掛かりになります。 さらに「大連慕情」とのかかわりで言えば、 日露戦争で獲得した大連に「亡き父」がおり、 日本軍が解放してやったインドネシアに「妹」がいる、 ということの意味が見えてくるのです。 そして、 安倍晋三に代表される日本会議の「政治的ロマン」が、 頭山満やユーミンの思想とどのように関わっているのかも、 そこから分かってくるはずです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020.09.10 18:11:51
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