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まいかのあーだこーだ

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2021.02.13
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NHK「皇室が守り続けた“いのちの美”」を見ました。
伊藤若冲と円山応挙のことが取り上げられていました。

正月時代劇の「ライジング若冲」を見たとき、
中川大志の演じた円山応挙は、
ただ"語り部"として登場しているだけかと思ったけど、

あらためて考えてみると、
あれって応挙の物語として見ることもできますね。



円山応挙は、
農家の出でありながら、
若くして狩野派に学び、
やがては天皇の御所造営に食い込むまでになり、
現在につづく「円山派」の基礎を築きました。

かなりの出世を果たした「やり手」です。

しかし、
彼の経歴のなかでいちばん重要なのは、
狩野派に学んだ後、
絵師のとして大成するまでの、
独自の修行と幅広い交遊の期間なのですよね。

まさに、あのドラマでは、
その時期の応挙の姿を描いていました。

彼は、狩野派の保守性に飽き足らず、
当時の町人文化に交わって庶民的な画風を吸収し、
その一方、
西洋玩具屋に働いては、異国の近代文明にも接し、
いわゆる「眼鏡絵」を作ったりしながら、
遠近画法や写実画法にも取り組みました。

京都に生きた応挙は、
江戸の北斎より二回りほど年上ですが、
やはり西洋近代の息吹を浴びていたと思います。

応挙が売茶翁のオープンカフェに出入りしてたのも事実で、
「蓬莱山図」「竹林七賢図」など道教っぽい作品も多いし、
仙嶺だの、洛陽仙人だのと名乗ったりもしている。
大典顕常が応挙の絵を誉めることもあったようです。

ちなみに、
若冲のパトロンは大典顕常でしたが、
応挙には円満院祐常や三井家のような大パトロンがつきました。



円山応挙や伊藤若冲は、
それまでの伝統的な様式美が覆い隠していたものを、
近代的な写実主義によって剥ぎ取ってしまったわけですが、

応挙の場合は、若冲ほどには過激ではありません。

若冲の写実性は、
ある種のポルノグラフィに近いところがあります。
世俗的な欲動と、近代的な力動にまかせて、
ちょっとグロテスクなものまでが露わになっている。

下品で、暴力的で、悪趣味。
かりに狩野派が、能のわびさびであるならば、
若冲の絵は、歌舞伎のどぎつさにも似ています。



これに対して、円山応挙の場合は、
伝統から革新までの技法に学んだ集大成的な様式によって、  
パトロンの需要と、時代の要請に、
わりと穏当なかたちで順応したのかなと思う。

若冲が内的衝動の人だったとすれば、
応挙はあくなき技法の探究者だった、ともいえます。
ドラマでも、そのように描かれていました。
名前を変えるたびに技法も変えていたのではないでしょうか。





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最終更新日  2021.02.13 11:30:06


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