カテゴリ:漫画・アニメ
アニメ「約束のネバーランド」。
第1期から第2期までの全話が終了しました。 最終話の内容は、ずいぶんと駆け足で、 これまでにくらべて、 だいぶ絵のクオリティが低いのも驚きでした。 ラトリー家の歴史についても、 ハッピーエンドまでの流れも、 かなり話を端折ったような印象を受けました。 あとで調べてみたら、 原作のほうは5つの章に分かれていて、 今回のアニメの内容は、 そのうちの第1章と第2章に当たるらしい。 アニメの最終話のラスト数分間は、 いわば残りの3章分のダイジェストのような、 あるいは予告のような映像だったのかもしれません。 ◇ アニメ終盤の出来が悪いのは、 原作者が脚本の執筆から離脱したためという噂もあります。 いずれにせよ、 制作体制になんらかの混乱があったのかなあと思う。 今回の最終話については、 もういちどしっかり作り直してほしいと感じますし、 残りの3章分についても、 きちんとアニメ化してほしいという声は出るでしょうね。 …ただ、個人的な考えをいえば、 かりに残りの3章分をアニメ化しても、 よくある騎士物語みたいなものにしかならない気はする。 ここまでの内容を見ただけで、 おおよその物語の構造は理解できたのですが、 やはり、この作品でもっとも重要なのは、 第1章にあたる農園の物語なのだろうと思います。 ◇ ◇ 「鬼滅の刃」にしても、 「進撃の巨人」や「東京喰種」にしても、 最近は、人間が喰われる内容の漫画が多い。 「BEASTARS」も擬人化された肉食獣の話です。 「約ネバ」には邪血の少女が出てきますが、 彼女は、人間を食わなくても耐えられる鬼であり、 その意味では「鬼滅」の禰豆子と似ています。 いずれにしても、 《喰う者と喰われる者の関係》を考えることが、 これらの作品に共通したテーマなのだと思います。 ◇ ちなみに「約ネバ」の物語の設定は、 カズオイシグロの「わたしを離さないで」に似ています。 「わたしを離さないで」は、 《臓器提供》の話であり、かなり時事的なテーマに触れている。 一方の「約ネバ」のほうは、 鬼に供するための食用児の養殖の話ですが、 これはあきらかに"人間と家畜"の関係の比喩になっていて、 《食》という万人共通の問題を扱っていますから、 臓器移植よりも、さらに根源的な内容であり、 誰ひとり避けられないテーマに触れていると言えます。 ◇ 動物として生きている以上、 喰われることの苦痛や、喰うことの罪責感から逃れられません。 その意味で、 動物は不幸になるように運命づけられているし、 あらかじめ不幸な存在として設計されています。 多くの人は、 これを回避するために「気にしない」という手段をとっていて、 気にせずに済むような高度な社会システムも整備されています。 そして人間は、 事実上、家畜などの動物を「脳のない肉」と見なして食べています。 じつは家畜にも、脳があり、意識があり、 苦痛や幸福感があるということを便宜的に無視しています。 一方で「約ネバ」の鬼たちは、 人間の肉よりも、むしろ脳を食べる生き物として描かれます。 彼らは、人間のような精神を獲得するために脳を摂取します。 実際、 脳を食う生き物が現れたとしたら、 真っ先に狙われるのは、大きな脳をもっている人間です。 鬼たちは、 人間の脳を安定的に食べるために、その養殖をおこなう。 良質な脳を獲得するために、その家畜を愛情をもって飼育します。 ◇ わたし自身は、 普段から気にせずに肉を食べていますが、 現代社会では、このことを気にする人も増えています。 動物に強いられた本源的な不幸であるにもかかわらず、 そのことを気にせずにいられなくなっているのは、 逆にいうと、 この不幸を回避する手段が増えているためかもしれません。 たとえば、動物の生命を奪わずに、 たんぱく質だけを摂取する技術も生まれはじめている。 あるいは、食による栄養補給とは別の手段で、 人間としての身体を維持する可能性も見えてきている。 将来的に、それらの技術は完成するだろうと思います。 そして、 この本源的な不幸から逃れたところにこそ、 人間のほんとうの自由はあるはずだ、というのが、 この作品の最終的な思想なのだと思います。 ◇ ◇ ところで、「約ネバ」の物語には、 人間と鬼との葛藤だけでなく、 鬼同士、あるいは人間同士の階級闘争の問題も絡んでいて、 かなり重層的な構造になっています。 食を支配する者は、あえて飢えを作り出そうとするし、 医療を支配する者は、あえて病を作り出そうとするし、 暴力を支配する者は、あえて騒乱を作り出そうとします。 それによって階級の安定を図ろうとするからです。 いつまでたっても問題が解決しないのは、 階級を支配する者たちによる、そのような邪悪さのためです。 さらに「約ネバ」の物語には、 混血性の問題も折り込まれています。 邪血というのは、 おそらく人間と鬼との混血であり、 いわゆる異類婚姻から生まれた子供だと思いますが、 この「邪血」という言葉のなかには、 異質なものと交わることへの忌避感が読み取れます。 つまり、それは、 人の側から見ても「汚れた血統」であり、 鬼の側から見ても「汚れた血統」だということ。 しかし、混血は、 "ハーフ"であると同時に"ダブル"でもあって、 双方の長所をあわせもった存在でもあります。 「約ネバ」の物語では、 混血性によって双方の断絶が乗り超えられていくようです。 ◇ この物語は、 TBSの平川雄一朗によって実写化されましたが、 さほど話題にはなっていない感じです。 ちなみに平川は「わたしを離さないで」のドラマ版も担当しています。 わたしはまだ見ていないのですが、 こういう作品を映画化するときは、 たんなるアニメの実写化という安易な認識ではなく、 世界に通用するコンテンツだという強い自覚をもって、 はじめから海外にむけて発信すべきだと思います。 そのためには、 物語の思想・背景をとことん深めなければならない。 そうしないと、 せっかくの国産のコンテンツが無駄になってしまいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.17 17:30:37
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