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まいかのあーだこーだ

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2022.10.02
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朝ドラ「ちむどんどん」の炎上の理由について、
週刊現代は次のように説明していました。

たしかに粗っぽいところはあるが、ここまで酷評されるほどの作品ではない。では「批判の声」が増幅されてしまったのはなぜか。その主たる要因はツイッターなどのSNSサイトにあるだろう。毎朝、ドラマが放映されると同時に、脚本や時代考証の甘さ、主人公の言動をあげつらい批判する「ちむどんどん反省会」がSNS上で開かれる。それをそのまま拾い上げ、ニュースとして垂れ流すネットメディアが後追いすることで、反省会がますます盛り上がるという悪循環が生じてしまったのだ。

同じように、
芸能ライターの弘世一紀も次のように話しています。

反省会は『おかえりモネ』や『なつぞら』のときもありました。今回はベタな展開やキャラが立った登場人物が多かったので、叩きやすかったのでしょう。メディアもその風潮に乗っかったほうが記事のクリック数が稼げるので、批判記事をどんどん配信し、視聴者を煽ったのだと思います。結果的に物語の粗探しがヒートアップして、火種がどんどん大きくなってしまったのです。

https://gendai.media/articles/-/99663?page=2




つまり、
問題なのは、

SNSの論調に対して、
ネットメディアが何らの批評性も発揮できなかったこと。

ネット記事はおろか、
果ては大学教授や国会議員までが、
無批判にSNSに「同調」するようになったこと。

そして、自称ドラマ評論家の面々も、
例によって、なんらの存在意義もなしていないのです。

たんにSNSの論調に追随するだけ。
これでは評論家の存在する意味がありません。



今回のような事態に直面すると、
もはや、ドラマそのものを批評するよりも、
むしろ 評論家を批評する ほうが先決ではないかと思えてきます。

ためしに、
誰かひとり、
ドラマ評論家を槍玉に挙げてぶっ叩きたくなる。

実際のところ、
評論を仕事にしているのだから、
自分自身が逆に批評されるぐらいの覚悟はできているでしょう。


手っ取り早いところで、
メディア評論家の碓井広義 の昨日の記事下矢印
https://news.yahoo.co.jp/byline/usuihiroyoshi/20221001-00317034

現在のところ、
ヤフーのアクセスランキングで1位になっていますが、
中身を読めば、
たんにSNSの反応をテキトーに寄せ集めて、
安易な記事によってクリック数を稼いでいるのが明白です。



碓井広義は、
今回の朝ドラが酷評されている理由として、

「ご都合主義のストーリー」と、
「共感できないキャラクター」の2点を挙げています。

しかし、
「ご都合主義だ」とか「共感できない」というのは、
語彙の乏しい素人の視聴者が、
気に入らないドラマを批判するときの常套句であって、
わざわざ専門家が用いるべき文句ではありません。

たとえば、碓井広義は、
「過去の朝ドラのダメ男に比べて、賢秀のダメ男ぶりは度を超えていた」
と述べているのですが、

しかし、
「度を超えているから共感されない」だの、
「度を超えていなければ共感できる」だのというのは、
まったくもってテキトーな説明でしかありません。

そもそも、
ほんとうの意味で「度を超えていた」のは、
どこの誰がどう考えたって、
娘を売り続けた「おちょやん」のテルヲのほうであって、
それに比べれば、賢秀のダメっぷりなど可愛いものです。

それにもかかわらず、
作品としては「おちょやん」のほうが評価されてしまうのは何故か。

碓井広義は、
「キャラクターが共感されないから酷評されるのだ」
などと安易に説明していますが、

実際には、
たとえ共感されないキャラクターがいても、
作品は評価されるのです。

その謎を解き明かせなければ、本物の評論家とは言えない。



朝ドラ史上「最悪の父親」はテルヲでしたが、

朝ドラ史上「最悪のヒロイン」は誰かといえば、
それは、どこの誰がどう考えてみても、
娘を捨てて米兵と駆け落ちした「カムカム」の安子に違いありません。

しかし、彼女は、最終的に視聴者の共感を得ました。

これに対して「ちむどん」の暢子は、
たんに鈍感なだけで、
べつに悪いことなど何もしていないのに、
まるで極悪人であるかのごとくに視聴者から叩かれ続けました。

それは何故なのか。

碓井広義は、
「共感されないから酷評されるのだ」
などと説明していますが、そんなものは何の説明にもなっていない。

なぜ、
「カムカム」の安子の非道っぷりは共感されるのに、
「ちむどん」の暢子の鈍感さのほうは共感されないのか。
その謎を解き明かせなければ、本物の評論家とは言えない。



結論を先にいうならば、
キャラクターに対する共感と、
作品の評価とはまったく無関係だからだ、というほかありません。

碓井広義は、自分でこの矛盾に気づいていないのでしょうか?

それとも、
たんにSNSの反応を寄せ集めて、
やっつけ仕事でテキトーな記事を書いているだけなのか。



一方、碓井広義は、
「ご都合主義だから酷評されるのだ」
とも書いているのですが、

ほんとうに視聴者はご都合主義を拒否しているのでしょうか??

もしも、
ご都合主義を完全に除去するならば、
戸田恵梨香が主演した「スカーレット」のように、
物語の最後には、
一人取り残されたヒロインが黙々と薪を燃やし続けるような、
殺伐としたエンディングになりかねないのですが、
そのようなリアリティを本当に視聴者は望むのでしょうか?

もちろん、
わたし自身は、
あの「スカーレット」の荒涼としたエンディングを絶対的に支持します。
しかし、あのエンディングを支持した視聴者は、むしろ少数なのです。

お茶の間の視聴者のほとんどは、
最終回で登場人物の全員がご都合主義的に大集合するような、
大団円のエンディングをこそ望むに違いないのだし、

それどころか、
最後にあらゆる男女が全員カップルになって結ばれるような、
死ぬほどご都合主義的なハッピーエンディングをこそ望むのです。

碓井広義のように、
「ご都合主義だから酷評されるのだ」
などと説明するのは、まったくのデタラメであって、

ほんとうならば、
「せっかくご都合主義にしたのに、なぜ評価されなかったのか?」
と問うべきなのです。

そして、
その問いに答えが出せなければ、本物の評論家とは言えない。


※次回は別の評論家を誰か槍玉に挙げます。







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最終更新日  2022.11.08 13:01:20


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