カテゴリ:東宝シンデレラ
上白石姉妹と美術にかんする話。
わたしは、以前、 「萌歌の美術の好みはよく分からない」 と書いたけど、 今回のAERAの記事によると、 ≫印象派が好み。 ≫画家であればフォーヴィスムの創始者でもあるアンリ・マティスが大好き。 とのこと。 まあ「マティスが好き」というのは前にも言ってました。 でも、萌歌の嗜好からは、 さほど印象派の要素を感じなかったのですよね。 姉の萌音が、 ≫印象派が好き。とくにモネが好き。 というのは、とても分かりやすいけど、 マティスは印象派に比べてかなり現代的だし、 やはり萌歌の好みは、 ピカソ&マティスが軸になってると考えるほうが、 わたしにとっては分かりやすい。 ◇ もともと、 美術史におけるマティスの位置づけは分かりにくい。 あまりにも現代的だから、 近代の《象徴派》にも《印象派》にも、 そして《野獣派》にさえも収まりきらない面がある。 そのポップなモダニズムは、 現代のグラフィックデザインや、 むしろイラストレーションに近いもので、 いわゆる「西洋美術史」の中には位置づけにくい。 アカデミックな伝統との断絶とか、 従来的な美術史カテゴリーからの逸脱という点では、 コクトーにもルソーにもゴーギャンにも同じことは言えますが、 強いて分類するなら「ポスト印象派」ってことでしょうか。 ◇ これは、 ちょうどエリック・サティの音楽が、 ドビュッシーやラベルなどの印象派とはだいぶ違って、 いわゆる「西洋音楽史」の中に位置づけにくいのと似ている。 さしずめフランス近代が生んだ鬼子なのですね。 実際、 エリック・サティ(1866年生)と、 アンリ・マティス(1869年生)は3才しか違わないし、 出身も同じフランス北部だったりする。 そして、なにより、 サティの「家具のような音楽」と、 マティスの「肘掛け椅子のような絵」は、 ほとんどコンセプトが同じなのですよね。 今でいうなら「アンビエント」ってこと。 ◇ 大久保恭子は、 コクトー&ピカソ&サティの『パラード』(1917)と、 マティスの『ジャズ』(1947)とを関連づけています。 前者は、 見世物小屋のパレードを描いたディアギレフのバレエリュス作品。 後者も、モチーフが似ていて、 サーカスや演劇を切り絵と言葉のコラージュで描いたアートブック。 両作品には、2つの大戦をまたいで30年の間隔があるけれど、 どちらにも「ジャズエイジのモダニズム」というべき通俗性がある。 ちなみに、 アポリネールが「シュルレアリスム」の語を初めて用いたのは、 コクトー&ピカソ&サティの『パラード』に対してです。 サティとマティスの近似性については、 もっと多くのことが考えられねばならないし、 そうでなければ、彼らはいつまでたっても、 「近代の鬼子」みたいな位置づけに据え置かれる。 とくにフランスの近代文化は、 ジャンル横断的にとらえなければ見えてこないものが多い。 戦後の日本人は、 そういうことをすっかり忘れてしまったのだけど、 戦前(とくに大正期)の日本人は、 比較的そのことがよく分かっていた気がします。 ◇ ちなみに、わたしも、 昔から「マティス的」なものが好きでした! それは、より正確に言えば「ミック板谷的」なものですがw わたしが「ミック板谷的」なものを意識するようになったのは、 同世代の例に違わず、 ゴンチチのアルバムジャケットの刷り込みがあるから。 わたしが愛聴してたのは『マダムQの遺産』です。 そもそもゴンチチのCDを雑誌で紹介してたのは、 たぶん由貴ちゃんだったと思う。 ちなみに『マダムQの遺産』に太田裕美が参加してるのは、 もともとプロデューサーが福岡智彦だからです。 まさにゴンチチの音楽なども、 サティやマティスを基礎にしていたところがある。 (とくに初期のころは) ◇ ミック板谷みたいな画風は、 もとはといえばマチスやコクトーに始まるわけですが、 その後のさまざまな画家にも見られます。 個人的には、 パウル・クレーやサミー・ブリスにもそれを感じるし、 ポーラ・マッカードルとか、 ロジーナ・ワハトマイスターとかにも感じてしまう。 岡本太郎にもそういう面がなくはないw そういう作品を見るとき、 わたしの頭の中には、 どこかでゴンチチの『マダムQの遺産』の音楽が鳴ります(笑)。 とりわけ「バスで見た女ひと」という曲。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024.06.18 11:51:53
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