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テーマ:ベトナム旅日記(111)
カテゴリ:イベント、楽しみ
昨日書いたように、クチトンネルはベトナム戦争の戦跡です。わたしと同じくらいの世代の方ならかこのクチという地名に覚えがあるかもしれません。
クチには南ベトナムゲリラ軍の基地がありました。この辺りが「鉄の三角地帯」と呼ばれるほど難攻不落の基地で、手を焼いたアメリカ軍は枯葉剤を撒いてジャングルを消し去ろうとしたり、農民をゲリラとして殺したり、それが世界に知られることになり、アメリカ国内でもベトナム戦争に反対する声が上がることになった、そんな土地でした。 南ベトナムゲリラ(ベトコン)は、地下トンネルでアメリカ軍に対抗しました。 全長200kmを超えるこのトンネルは単なる通路ではなく、基地であり、生活空間でした。 ゲリラたちの半数はこのトンネルの中で暮らし、半数がジャングルに身を隠して暮らしていたそうです。 なのでアメリカ軍にトンネルの位置を特定されないよう様々な工夫をしていて、その一つが 有名なこの出入り口です。人間1人がギリギリ立てる大きさの穴で、蓋は上に土や葉っぱなどをかけてカモフラージュされています。入る時は、肘が引っかからないように両手をまっすぐ上に伸ばして蓋を持ち、膝を曲げていきます。蓋がピッタリハマったら手を離すそうです。他にも、 槍のような刃を並べた落とし穴や色々な罠が仕掛けられていてアメリカ兵を苦しめたそうです。 トンネルの中には調理場や作戦会議室、倉庫などもあり、作業場もあって、ゲリラたちはそこで不発弾を解体して手に入れた金属でそれらの武器を作っていたそうです。 わたしが聞いた説明では、ゲリラはカーキ色の服を着ていて、黒い服を着ているのは農民だとのことでしたから、これはクチの農民の人たちがしていたことなのかもしれません。 米軍が放置して行ったものか、戦車なども置いてありました。 トンネルのごく一部が保存されていて、中に入れるようになっていました。 狭くて低くて、ここで生活するのはチョットと思ってしまいました。右上の写真は日本製のタイヤから作られたサンダルで、鼻緒が変な向きについています。それを履いて歩くと足跡の前後が逆になって、跡を辿られないように考えられたそうです。 こうして見てくると、1955年から20年間もこうしたことを続けて、大国アメリカに抗い勝ちを収めたベトナム人に敬意すら感じてしまいました。 最後に、ベトコンの人たちがお昼に食べていたという蒸かしたキャッサバ芋を食べさせてもらいました。 ほとんど全部食べてしまった後でごめんなさい。 砕いたピーナッツを混ぜた塩をつけていただきました。ほんのり甘くて、決して不味くはありませんでしたが、トンネル内に調理場があったと言っても、お料理というのはこの程度のものだったのかなと思いました。 それから戦争当時の映像を見ました。プロパガンダフィルムなのですけど、若い人たちが歌ったり踊ったりしているところとか、単なるプロパガンダではない当時の日常の貴重な記録と感じました。 これでトンネルツアーは終わり。1時間半かけてホーチミンに戻りました。 そうそう、この日は、枯葉剤で消滅してしまった元ジャングルに再生した(植えられた?)木々の間を歩き回りましたので、たっぷり虫除けスプレーをまぶして出かけましたが、やはり虫はほとんど見かけませんでした。 あ、もう一つ書き忘れました。 クチでは、有料で実弾射撃の体験ができます。わたしは近寄りませんでしたが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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