カテゴリ:詩歌つれづれ
サザン30周年ということで小文を書いていて思い出したが、そういえば歌人・俵万智さんはサザンが相当好きと見えて、作品の中で効果的に使われていると思った記憶があるので、彼女のメジャー・デビュー作(?)で、一世を風靡した名歌集「サラダ記念日」(1987)をけさ久しぶりに繰ってみたら、やはりと言うべきか、3首もあった。
・・・以下、「研究目的」ということで、テキストの引用をお許しいただきたい。 思い切りボリュームあげて聴くサザンどれもこれもが泣いてるような 吾の好きなサザンオールスターズを弟も聴く年頃となる 忘れたいことばっかりの春だからひねもすサザンオールスターズ 「サラダ記念日」の中では、むしろ地味目な感じの3首であるが、どれもこれもが細心の神経が行き届いていて、平明でありつつ上手いなあと思う 「どれもこれもが泣いてるような」と言うのは、桑田のヴォーカルの特徴をとらえて見事。 2首目も「吾の」なんて万葉集みたいな上古語を唐突に使って、ある種の格調とメモリアル(記念碑)感を醸し出している。 ・・・いうなれば、和歌短歌は「そんじょそこらの散文とは違うのよ~、ツンツン♪」感でもある 3首目の「ひねもす」も同工異曲な古語の使い方。 歌集の中で、そのほかのJ-POPについては、けさざっと見た限りでは、松任谷由実の「ダウンタウン・ボーイ」への言及が一箇所あるだけだと思う。 ・・・なるほど、確かにこれもすごい名曲で的確な使い方だと、かつて片田舎のダウンタウン・ボーイであった僕も思った。 「サラダ記念日」は、普通に庶民的な、当時の20代前半ぐらいの女の子のデレ~ッとした日常生活を詠みながら、ビミョ~なツンツン・タカビ~・シンデレラ系お嬢様感も漂わせている。 今の言葉でいえば、その「ツンデレ」な感じが、絶妙と言えるかも知れない。 こうして見ると、確かに当時、プロ歌人から一般読者にまで、あまねく衝撃を与えただけのことはある。 ちなみに、当時から上野千鶴子東大教授を首魁とする、闘うジェンダーフリー過激派フェミニズム陣営からは、「女の敵」だの「タヌキ顔」呼ばわりだのされて、激しく敵視されているのは、まことにご迷惑さま・お気の毒さま~と言うほかはない それはともかく、当時、僕もそのインパクトを、けっこうまともに受けとめた一人だ。 そして、しばらく経ってからだったが、自分でも歌を詠む真似事をしはじめた。 200万部以上売れ、短歌表現におけるポピュラリティ(大衆性)を代表する分かりやすい作品であるが、歌壇のプリンセスと呼ばれ、今なお別格扱いである俵さんは、やはり庶民の心(・・・というのも手垢にまみれた言い回しだが)と同時代性ということを、天賦の才で熟知している才女と言うべきであろう。 ・・・めちゃくちゃ尊敬している。というか、崇拝に近い お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
June 28, 2008 10:06:36 AM
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